続いて、菊澤研宗氏、矢野和男氏、ヤマザキマリ氏との対談を振り返る。1回目の緊急事態宣言が発出された2020年4月以降はオンラインでの対談となったが、それぞれ異なる領域の知性との対話はウィズコロナ時代の示唆に富む内容となった。

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コロナ禍だからこそ響く言葉

――次に対談された菊澤研宗先生は、独創的な組織論の第一人者としてファンの多い方ですね。

山口
日本型の組織が「合理的に失敗する」というのは、菊澤先生ならではの印象深い言葉ですね。損得計算の結果と価値判断とのずれに、人間として、リーダーとしての見せ場があるというお話も、非常に納得、共感できるものでした。ずれたときの意思決定のあり方を学ぶ材料として、つらい恋愛が最適であるという見解も面白かったです。

損得と価値の摩擦、目の前の目的合理性と長期的に見て守るべき価値合理性との齟齬という問題には、個人も組織もいろいろな場面で遭遇すると思います。そのときに自律的、主観的な判断ができるかどうかが重要ですし、主観的な判断を下すには責任を取る覚悟も必要です。今の若者は失敗を恐れる気持ちが強いとも言われますが、やはり若いうちから場数を踏んでそうした覚悟を鍛えておくことが大事なのでしょう。

菊澤先生のような組織論の大家が哲学の大切さを訴えておられるということも、とても嬉しく感じました。経営における組織論、組織行動論というものは、探求すればするほどリベラルアーツの領域と近接していくということを、先生とお話しして再確認できました。

経済か感染対策かという正解を出すことが難しい課題に直面しているコロナ禍の今だからこそ、先生のおっしゃることがあらためて心に響くのかもしれません。

――次の矢野和男フェローからオンライン取材という形になりましたが、いかがでしたか。

山口
やはりオンラインでの対談は、印象に残りにくいと感じました。リアルならお部屋の様子や書棚にどんな本が並んでいるのかもよくわかり、情報量が圧倒的に多いので記憶をとどめやすいのだと思います。

とはいえ、矢野フェローが取り組まれている幸福の計測という「サイエンスと幸福学の近接」には興味を惹かれました。サイエンスというのはそもそも「価値ニュートラル」であり、科学的な探究とは真善美のうちの「真」の探究であって「善」と「美」の探究は行わないというのが基本的な態度だったように思います。

そのサイエンスが、「幸福な生のあり方」という善や美と関わる価値を探求する方向に向かっているということは、ルネサンス以来の文明化の流れである「便利・安全・快適」の追求が行き着いた結果ではないか、ある意味で科学による文明化の終焉を示唆するものではないかと感じます。

山口周『自由になるための技術 リベラルアーツ』(講談社)

科学の歴史的な転換点を実感

古代においては自然科学と人文科学のめざすゴールは一致していたはずですが、ルネサンス以降はいったん分離していました。矢野フェローの研究は、それが再び一致する方向に戻りつつあることを象徴しているようで、歴史的な転換点を目の当たりにしているのかもしれないという感慨を持ちました。

ドイツの芸術家ヨーゼフ・ボイスは、人間のあらゆる活動を芸術活動と捉え、誰もが幸福な未来に向けて社会を彫刻できるという「社会彫刻」の概念を提唱したことで知られています。幸福を探求する矢野フェローも易経などを研究に活かしておられましたが、幸福な生のあり方ということを考えるとき、礎となるのはやはりリベラルアーツで、それは社会彫刻において必須のリテラシーなのだということをあらためて認識できた対談でした。

――今回、書籍にまとめられるのは次のヤマザキマリさんとの対談までですが、ヤマザキさんとはこの対談以前から交流がおありだったそうですね。

山口
ええ、でも初めて伺う話もあり、帝政ローマ時代と現在のイタリア人の倫理観がまったく異なるというのは意外でした。人種も同じ、住む場所も同じなのに、キリスト教布教前と後では完全に思考様式や行動様式が異なっている。宗教は、民族や文化圏に共通するOS(Operating System)のようなもので、だから宗教が変われば価値観や振る舞いも変わるということですね。そして古代ローマと日本の共通点は、宗教的拘束がない社会で世間が戒律をつくる点という指摘も興味深いものでした。『テルマエ・ロマエ』の映画化にあたり、イタリア人俳優ではなく日本人の俳優を使ってよかったというエピソードは、思いもよらない話で新鮮でしたね。

また、イタリアをはじめ西洋の文化では、自分の意見を持つこと、そのために教養や知識を持って自分の頭で考えること、そして勇気を持って自分の意見を提示し、発言に責任を持つことが重視されるとおっしゃっていましたが、そのこともリベラルアーツの大切さを示していると思います。

その1で、人と異なる意見を出すことを勇気の問題にしてしまうと根本的な解決にならないと言いましたが、ヤマザキさんがおっしゃっていたように欧米ではみんなと違う意見、立場を示す精神的な強さを、子どもの頃から授業でディスカッションを行って鍛えていくわけですよね。そこに違いがあるのだと、振り返ってみて感じました。

自分の意見を主張することが面倒だからと自分の頭で考えることをやめてしまうと、多様性も寛容性も失われてしまうというのはそのとおりで、日本社会の生きづらさを解消していくためには、そこを変えていく必要があるのだろうと思います。

山口 周(やまぐち しゅう)

独立研究者・著作家・パブリックスピーカー。1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)など。最新著は『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』(プレジデント社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。

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