一橋ビジネススクール教授 楠木 建氏

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※本記事は、2020年7月8日時点で書かれた内容となっています。

友達にも、いろいろなタイプがあります。まずは「学友」。前回お話ししたように、学生時代は友達になりやすい条件が揃っています。同級生とか同窓生とか、今でも会うとお互いすぐに昔に戻れる。こういう関係はかけがえのないものだと思います。

ただ、会うと楽しいのですが、僕の趣味としては昔の関係をあまりひきずりたくない。高校時代までのクラスメイトで今も連絡を取り合って会う人はひとりもいなくなりました。

50代半ばにもなると、ちょっと生活のフェーズも変化するので、やたらと大学の同窓会のお誘いが来たりするのですが、僕はそういう集まりにも行かないほうです。本当に一緒に勉強したゼミの仲間であれば、会って話をすると楽しいのですが、もうちょっとユルい同窓会や、卒業時期の異なる幅広い世代の人が集まる場とか、大学に勤めていることもあってそういうイベントのお誘いがあるわけです。そういう集まりに出ますと、まったく面識もないし何の関係もない人から、「君は何年卒か」と言われたりします。「昭和62年卒です」と言うと、「そうか、7年後輩だな」とか言われる。これがすごく嫌なんです。まあ先輩は先輩なのですが、それ以上何の関係もない。そういう人に限って、あたかも先輩として僕に貸しがあるような感じでヘンな話を振ってきたりします。

その最たる集まりが、ボスのような人間が定期的に開催する仲良し会です。政治家でもないのに派閥のようなものを作って、そこから何かの利得を引き出すことだけを考えている人たちの集まりってありますよね。「気が合う」とか言いながら、100%利害でつながっている。「俺はこいつをかわいがってるんだ」「あの人にはかわいがってもらっています」という関係性が、鳥肌が立つほどイヤなんです。なので、少しでもそういうリスクがある場には行かない。ソーシャルディスタンスを堅守しています。

同窓とか同期でなくても、共通の趣味のコミュニティーで友達になるというパターンもあります。僕の場合はバンド活動です。これは実際に集まって、一緒にリハーサルをして、ライブをやる。趣味としてものすごく楽しいし、そこで音楽の話をしているともちろん盛り上がるのですが、連絡を取り合ってゆっくり話をするという友達とはまた少し違う。バンドだけのお付き合い。朝集まって、スタジオで3~4時間演奏して、みんなで昼ごはんを食べて、音楽の話をして、そこで解散。共通の趣味だけを共有する友達です。

そういうコミュニティーで人が知り合って友達になっていくことは、誰しもあるでしょう。趣味がゴルフであったり、釣りであったり、サーフィンであったり、そういうスポーツの場合もあるでしょうし、文化的な活動だと句会とか陶芸の仲間とか人それぞれでしょう。そこから趣味以外の時間でも一緒に出かけたり、会って話をするという友達になるケースもあるのでしょうが、僕はバンド以外の能動的趣味がないのでよくわかりません。

3つ目の友達のタイプが、広義の「戦友」です。会社の同僚でもつらい時期を一緒に耐えて乗り越えてきた友達とは、相当に深いつながりができます。一橋大学には大学の同窓会の施設である「如水会館」という場がありまして、たまに利用します。20年くらい前ですと、実際に戦争に行かれた方々の戦友会というものがよく昼間に開かれていました。軍隊で一緒だったおじいさまたちの話を横でそれとなく聞いていますと、話の盛り上がり方が半端じゃないんです。涙あり笑いありで、もう話が全然尽きない。「その時な、中尉の乗ったタンクがだな、いきなり被弾したわけだ……」とかすごいダイナミックな話題が次々に出てきます。そこには本当に深いつながりがあることがひしひしと伝わってきました。

僕にとっての戦友は、大学院時代を共に過ごした仲間です。大学院というのは、つらい上にすごく長いのです。修士課程だけだと2年間なのですが、その後の博士課程まで行きますと、さらに3年。その間、ずっと一人で勉強している。しかもお金を払って勉強しているだけなので、仕事でもない。誰かの役に立っているわけでもない。その先に何か仕事があるかどうかも極めて不確実である。駆け出しの頃というのは、当然何をやってもうまくいかない。もう、人間が暗くなる要素が全部揃っているのが大学院なんです。

今の僕はこの仕事を気に入ってやらせていただいていますが、生まれ変わってもう一度同じ仕事をやりたいかと聞かれれば、絶対にイヤです。あの大学院の5年間を再び経験したくないからです。僕にとってそれぐらい暗い記憶です。特に僕の場合、しばらく社会に出たくないという消極的な理由で大学院に行っているので、学問的な使命感はまったくありませんでしたし、こういう研究がしたいという確たる目的もありませんでした。これが大学院での生活をますます空虚で辛いものにしました。

その時期、大学のゼミからの同期だったのが青島矢一君。大学院も一緒でした。ゼミも大学院も榊原清則先生という厳しい指導教官の下で勉強していましたので、もうお互いに傷を舐めあいながら、二人で耐えていました。人生でいちばん暗い日々を共に過ごした青島君とは、彼がどう思っているかは知りませんが、僕は勝手に「戦友感」を持っています。青島矢一教授とは所属大学は同じですが、いまはキャンパスも離れていて、彼も忙しいのでたまにしか会う機会がありませんが、それでも会って話しをするだけで、「友達ってこういうことだよな」という実感があります。

他に思いつく友達のタイプは、配偶者とか恋人ではない「異性の友達」。この種の友達がいる人といない人で、人間のタイプは分かれると思います。僕の場合、若い頃から今日に至るまで異性の友達は一人もいません。

楠木 建

一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

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楠木教授からのお知らせ

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この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける

「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
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