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※本記事は、2020年5月12日時点で書かれた内容となっています。

現時点(2020年5月12日)では、ヨーロッパで大規模な都市封鎖が起きていまして、例えば観光地のベニスでは、今まで見たことがないほど空気が澄み切っているそうです。あるいはインドでは、カフェオレのようなガンジス川が川底の見える清流になっているとか、そんなことが起きている。

こういう予期せぬ出来事があると必ず出てくるのが、「ポストコロナで人々の価値観が変わる」、「生き方が変わる」、「世の中が一変する」という話です。この種の話に僕は割と懐疑的です。もちろん変わるところもいろいろとあるでしょうが、ほとんどのことは「喉元過ぎれば熱さ忘れる」。大体元通りになるのではないかと思っています。

近過去で言うと、ポスト○○(まるまる)で世の中が一変するという話は、阪神淡路大震災の時にもありましたし、リーマンショックの時にもありました。東日本大震災の計画停電の時にも、ポスト震災で世の中が変わるという話はありましたが、現実は大体のところ元に戻っています。今回のコロナでも、僕は個人的には同じ成り行きだろうと思っています。

なぜかと言えば、人間もまた動物だからです。動物である以上、その本能というか、ちょっとやそっとでは変わらない本性というものがあります。僕は、結局のところこの世の中を形づくっているのは人間の本性だと思っていまして、そうした考え方を勝手に「本性主義」と言っています。世の中の変化や技術の進歩、これもまた人間の本性が駆動しているものです。

今回のコロナ騒動のような時ほど、人間の本性とか本能を軸に物事を考えるのが有効だ、というのが僕の考えです。大体コロナ以前の世の中がああいうふうになっていたのも、それなりの必然的な理由があってのことです。その必然的な理由を形づくっているのが、僕は人間の本性だと思っているんです。ですから本性が大きく変わらない限り、世の中はそう大きくは変わらない。変わるとしてもゆっくりとしか変わらない。

ペストの時代を生きたフランスの思想家のモンテーニュを最近いろいろと読み返しました。彼の言葉に「われわれはやはり自分のお尻の上に座るしかない」というのがあります。さすがにうまいことを言うと感心しました。モンテーニュが言う「お尻」、これが人間の本性だというのが僕の見解です。本性からは逃れられない、本性には逆らえない、ということです。

具体的な例で話しましょう。最近では“オンライン飲み会”をする人も多いようです。なぜこういうことをするのかというと、 “飲み会”という行為が人間の本性に根差しているからです。本性ですから何としてでもやりたい。手段としてはインターネットがある。そこで“オンライン飲み会”ということになる。それでも、コロナ騒動が収束した後、“オンライン飲み会”を続ける人は少数派だと思います。つまり“オンライン飲み会”は定着しない、と僕は思います。

なぜか。“オンライン飲み会”は人間の本性に反しているからです。一時的避難としてはいいけれど、やっぱり五感で時空間を共有して、お酒を飲んで食べて話す楽しみこそ人間の典型的な本性です。それがコロナごときで変わるわけがない。コロナの収束後には、みんな普通にリアル飲み会を始めるでしょう。僕自身はお酒を飲みませんが、やっぱり親しい友達と集まって、一緒にご飯を食べながら雑談するのが楽しみです。家の近所に「パルテノペ」という僕がスキなイタリアンレストランがあるのですが、営業再開を楽しみにしています(5月12日時点)。

“オンライン飲み会”は「新しい生活様式」にならないというのが僕の予想ですが、仕事や生活の一部がリモートに変わっていくということはあると思います。ただ、それにしても新しい変化が起きたということではありません。既に起きていた変化がコロナで加速しているだけです。先週、僕のよく知っているIT企業の経営者とお会いした時に聞いたのですが、この方の会社は地価が高い渋谷のビルの複数のフロアをオフィスとして使っていたそうですが、すでにいくつかのフロアは返したそうです。IT企業であれば、やってみればリモートワークでも十分に仕事が回っていく。コロナが終わった後も全員が毎日会社に来る必要はない。この経営者の方は早々にそういう意思決定をしたそうです。こういうことは、前から起きつつあったことがコロナによって加速的に前倒しになったということです。

これもまた本性の発露です。なるべく通勤のような面倒を減らしたいというのは、今も昔もこれからも変わらない人間の本性です。「会社には行くものだ」というのは習慣に過ぎません。習慣は必ずしも本性ではない。人間の持つ本性を包んでいるのが習慣であって、そのラッピングが取れてしまうと、楽をしたいという本性が作動して、リモートワークや仕事のデジタル化が進んでいくという成り行きです。これは生産性の向上という意味でも歓迎すべきことです。人間はそもそも生産性を向上させようとするものです。なぜかというと、無駄や面倒を減らしたいというのは人間の本性だからです。

「不要不急の行動を控えましょう」、緊急事態宣言を受けてこれがひとつのキーワードになっているわけですが、これにしても人間が元々不要不急のことをいっぱいしていたからです。何で不要にして不急であるにもかかわらず、そういうことをしていたのか。人間の本性がそれを欲するからです。

コロナが収束した後、経済活動はどう回復していくのかということが大きなテーマになっているわけですが、「不要不急のことほど回復は早い」というのが現時点での僕の仮説です。この背後にあるロジックは、不要不急のことほど人間の本性に根差している。人間の本性に根差していることほど需要は強い。したがって、不要不急のことほど、その実回復は早いのではないか、という三段論法です。

例えば、銀座のナイトクラブ。今は壊滅的な打撃を受けていると思います。考えてみれば、ナイトクラブというのは不要不急の極致です。しかし同時に人間本性の極致でもあります。人間本性をわしづかみするサービスなので、お金も時間もかかる実に非合理な消費がずっと続いていたわけです。僕は、こういうところはコロナ騒動が終われば、もう何事もなかったかのようにお客さんは戻ってくると思います。逆に、合理的な目的を持った「有用有急」のこと、先の話に出てきた通勤とかリアルなオフィスというものの方が、デジタルに代替されやすいのかもしれません。

僕の唯一の能動的な趣味はバンドでの音楽活動です。これもまた不要不急。しかもライブは3密の極み。4月に予定していたライブは当然のごとくキャンセルとなりました。ただし、僕は騒動が明けたら、絶対に活動を再開してライブをやろうと思っています。なぜかといえば、それが僕の本能の中枢にあるからです。

楠木 建

一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

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