一橋ビジネススクール教授 楠木 建氏

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これまでは、競争戦略におけるコンセプトの重要性を話してきましたが、キャリア形成でも話は同じです。あなたは何になりたいのですかとか、あなたのキャリアのビジョンは何ですかと聞くと、自分の都合だけの独りよがりの話になりがちです。例えば、30代までに起業したいとか、グローバルに活躍する渉外弁護士になりたいとか言うわけですが、こういうのは全部自分の都合です。願望に過ぎません。

自分以外の誰かの役に立たなければ仕事にはなりませんし、キャリアも形成できません。競争戦略と同じように、顧客への提供価値という視点が中核にある必要があります。キャリアについても、自分が提供しようとする価値を凝縮して表現するコンセプトを旗印として掲げるべきだと思います。

コンセプトが抽象化されていないと、具体的な職業カテゴリーで、自分のキャリアをイメージしがちです。子どもだと、アナウンサーになりたいとか、ケーキ屋さんになりたいとか、プロ野球選手になりたい。大人になると、コンサルがいいとか、弁護士になりたいとか。コンサルタントになりたいと言っている人の95%は、その仕事が実際のところ何だかわからないで言っている。具体的なありようの詳細は仕事の中でしかわからない。キャリアについてもまずは抽象化したシンプルなコンセプトからはじめないと、具体的な動きがとれません。

僕の仕事のコンセプトは「芸者」なんです。もちろん職業カテゴリーとして向島とかに実在する芸者ということではありません。僕は三味線も弾けませんし、踊りもできない。だいたい男なので芸者さんにはなれません。抽象的なメタファーとしての「芸者」です。「学問」というよりも「学芸」をやりたい。ここで僕なりの価値をつくりたいと考えています。

ビジネスをされている方はみなさんお忙しいので、普段の仕事の中でロジックをゆっくりと考える時間はなかなかない。そこで、暇な僕が皆さんに代わってビジネスに役立つような論理を考えてご提供しましょう、というのが僕の仕事です。

「芸者」というメタファーにはさまざまな意味合いがあるのですが、ひとつには、自分の仕事がサービス業だという意識があります。考え事をお届けする以上は、それを受け取ってくださる方々にとって面白くてためになる「サービス」でなければならないという気持ちです。普遍の法則や真理を探究する学問には、あまりサービスという視点はありません。僕の場合は「学芸」ですので、受け手にとって面白くてためにならなければならない。これが「芸者」というコンセプトに込められた意味合いのひとつなんです。

「芸」という言葉には、「競技」ではないという意味合いも含まれています。学者や研究者という人の中には、良く言えばストイック、悪く言えば内輪の競争にかまける人が少なくない。砲丸投げの選手のように、1センチでも遠くに投げるために、自分を律して学術的な真理のフロンティアを追求していく。学問というのはそういうものなのですが、ともすればやたらと競争的になって、競技的になる。見ていてもさほど面白くない。砲丸投げの大会をやっていても、オリンピックでもない限り、チケットがソールドアウトにはならない。そこに何らかの「お客さま」がいる仕事を、僕はやりたいのです。

こういった思いを込めて、僕は自分のキャリアコンセプトを「芸者」と定めています。これは卑近な一例ですが、具体的な職業カテゴリーよりももっと抽象的なレベルで、自分のやりたいこと、提供したいと思う価値の本質を言語化したキャリアコンセプトを持っておく。これが長く続く仕事生活に一貫性を与え、日々の蓄積を実のあるものにすると考えています。

楠木 建

一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

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楠木教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける

「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。

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