一橋ビジネススクール教授 楠木 建氏

今回のテーマは、「ディープインパクト」です。人間が生活していると、外界からの刺激にさらされて、いろいろなものが入ってきます。それで心が動くとか、注意を注ぐとか、反応するということが日々あります。その中で「インパクト」というのは、何かが来た結果で自分自身に変化が生じる。イメージで言うと、何かが当たったときに、単にそれが当たっただけではなく、その結果としてこちらの形が変わってしまうとか、どこかがくぼんだとか、ひびが入ったとか、そういう影響のことです。まれにではありますが、「ディープインパクト」というべき強い影響を受け、自分の思考や行動や路線が大きく変わることがあります。

自分の経験からこのディープインパクトを考えてみますと、大学と大学院のときの指導教官が榊原清則先生という方で、この先生のインパクトには相当ディープなものがありました。そもそも会社に勤めないで生きていくとしたらどんな道があるのか、大学生の頃なんてお店屋さんとかしか思いつかなかったときに、榊原先生が「だったら学者になるのもいいんじゃないの?」という思いもよらないオプションを示してくださいました。これが今の自分につながっています。榊原先生がいなければ、僕は決して今の商売には就いていなかったと思います。

当時は35か36歳ぐらいと榊原先生も若かった。パッションに溢れたすごく熱い方で、もう学生に対しても全力で向かっていく。ゼミが終わった後、決まって先生は学生と飲みに行くんです。学校の近くの居酒屋みたいないつも決まった店でした。1次会終わって遅くなっても、2次会に行って、3次会はラーメンを食べに行く。もうみんな先生と話したくてたまらない。指導は極めて厳しいのですが、そういう魅力にあふれた先生でした。

榊原先生のゼミは人気が高く、志望者のほうがゼミの定員よりも多いのが常でしたから、面接をして選びます。小さなゼミの部屋の前の廊下にゼミに入りたい人が並んで、順番に呼び込まれて面接するのですが、部屋から出てくるやつ出てくるやつ、みんな泣いているんです。なんでみんな泣きながら出てくるのかというと、要するに面接でとっちめられてくるんです。まだ子どもでナイーブなので、ガツンと言われると動揺してしまって、泣いて出てくる。順番を待っていた僕は、これは大変なことになったぞ……と思いました。

厳しい先生ですが、ゼミは知的に楽しいもので、少しでも先生から吸収したいという気持ちにみんなが自然となっていきました。そろそろ卒業でどうしようという時期に、先生に「あなたね、あなたが会社になんか入ったら、不幸で口が曲がっちゃうよ」と言われました。学生に対して、向いている向いていないというようなことをビシッと話される先生に、そう言われまして、そんなに不幸になるなら大学院もありなのかなと思いました。

そして大学院に入ると、これがまた本当に厳しい。途中で辞めてしまう人もいるくらい、真剣に一人ひとりの大学院生に正面から構えて指導していただきました。僕が言うのもなんですけど、恐らく経営学者の輩出という意味では一番の研究室だったのではないかなと思います。例えば、イノベーションの経営学的研究で、本当に優れた仕事をしている一橋大学の青島矢一教授は、学部の榊原ゼミの時から同級生なんです。いつも厳しく先生に言われて、青島君とお互いに傷をなめ合いながら大学院時代を過ごしました。

もう論文を書いても何をやっても、「駄目だね」「0点だね」って言うんです。「0点だね。まったく面白くない」と言われたとき、この分析方法は間違っているからこっちの方法にしなさいというアドバイスがあれば、次はこうやってというようにアクションが起こせるのですが、「面白くない」と言われると、面白いとはどういうことかを考えざるを得ないですよね。そういう直撃弾を浴びながら当時考えた経験は、ディープインパクトとして今でも僕の基盤になって残っています。

それと、知的活動の源泉というのは“批判”であるということ、既にあるものをそうじゃないだろうと考える。すべての言説や主張は、“批判”から生まれるということも先生から教わりました。

先日先生が70歳になられて、お祝いにゼミのOBが集まりました。みんな普段からそんなに頻繁に会っているわけではないし、それなりに忙しい人たちだったりするのですが、ものすごい出席率でした。やっぱりそういうことなんだと、改めて思いました。順番に当時の榊原ゼミの思い出を話していくのですが、「なんで先生はあんなに言い切れたのかな」とか、冗談めかして「あれで人生を間違えた」とか言う人もいました。

いやもう榊原先生は強烈な人でした。その後しばらく経って自分が大学生をゼミで指導するようになってみると、このことをますます痛感しました。先生の吸引力はワンアンドオンリーのものであったことを改めて知りました。

楠木 建

一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

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