「第1回:『時間』という資源の特性。」はこちら>
「第2回:4ビートで生きる。」はこちら>
「第3回:『何をするか』より、『何をしないか』」はこちら>
「第4回:川の流れに身をまかせ。」はこちら>

「時間」というのは、供給が“ただ”だという話をその1でしましたが、全体供給量でいうと当然寿命があるので、いつかは止まるわけです。つまり、時間的な資源をより豊かにしようすれば、できることは寿命を延ばす。すなわち健康に気を付けるということしかないということになる。

これだけ長寿な社会になって、100歳まで生きている人が増えたとしても、最後まで元気でいることはなかなか難しい。じゃあ、元気を保証するから100歳まで生きなさいと言われても、まだ僕は第3コーナーなので明確にはわかりませんが、“どうなのかなあ”という感じです。

もっと言うと、不老不死みたいなことを言う人がいて、もう工学的にいろんなパーツを使えば、脳だけで人間はずっと不老不死でいられるとか言うんですね。でも、それが幸せなのかというと、決して幸せじゃないだろうと僕は思います。不老不死は、あげると言われても要りません。やっぱりどこかに終わりがあって、はじめていろいろなことができるし、考えることができる。

もし100歳まで元気でいられたとしても、人間の本性は変わらない。人間が突然、質的に高度になるわけはなく、結局は間延びするだけだと思うんです。例えば、昔の30歳は、大人でした。僕の30歳を振り返ってみると、自分の都合ばかりで、なんかどうしようもなく子どもでした。80ぐらいまで生きるんじゃないかな、と無意識のうちにも思っているから間延びする。

僕は今、『サザエさん』のお父さんの磯野波平さんと同い年なんですが、昭和21年の男性平均寿命は50.06歳。その時代の54歳というと、それなりの構えみたいなものができていたんでしょうね。それにしても、もうすぐ死んでしまうだろうという暗黙の前提があったからでしょう。それが100歳まで延びてしまうと、結構間延びして、下手すると45歳ぐらいでもまだ自分の損得ばかり考えてちゃらちゃらしているとか、そういうことになりかねない。僕は、それはあまりいい社会ではないと思います。

もちろん、人間の命は地球よりも重いというのが近代社会の倫理ではありますが、これはやっぱりなかなか難しい問題です。つまり、その3で最大の制約がトレードオフなんだという話をしましたが、制約があるからこそ価値があるということだと思うんです。価値ある時間が制約されるのではなくて、制約されているからこそ価値があるというロジックの方が強いのではないか。

第3コーナーを曲がりきって、第4コーナーに入ってきて、何となく首をちょっと曲げるとエンディングが見えてくるんです。第2コーナーとかバックストレートを走っているときには見えなかったものが、結構見えてくるわけです。だから一生懸命やろうというその日の仕事の力になる。

僕という人間は、20年前30年前と比べると明らかに真面目になっていると思います。それは当たり前のことですが、一日一日をやっぱりちゃんとやっていかないとなあとか、自分の仕事をまっとうしなければという気持ちが、若い頃よりも強くなっている。あくまでも当社比なので、傍から見たらあまり大したことないんですけど。

僕は、“限(きり)がない”というのは非常に悪いことで、「時間」について特にそう思うんです。よく“足るを知る”というじゃないですか。これは高峰秀子先生の教えなんですが、人間の理想の状態というのは“足るを知っている”ということなんです。お金とかものについて、“足るを知る”という話をする人は多いと思うんですが、僕は「時間」についてこそ“足るを知る”ということが大切だという実感があります。どんどん話がじじくさくなるんですけど。

人間はつくづく記憶で生きていると思うんです。記憶こそ人間の最大の資産で、こういうことがあった、ああいうことがあったという脳内にある記憶が、結局その人のよりどころになる。僕は記憶というのも希少性の産物だと思うんです。そんなにめったにあることじゃないんで記憶されているわけです。だからもし、100歳まで元気、120歳まで元気だと、もう記憶することがいっぱいあり過ぎて、かえって記憶がなくなる、記憶できなくなるみたいなことが起きるんじゃないかなと。

だから僕は、本当に第4コーナーを曲がって、ホームストレートに入ってきて、もうゴールが目の前に見えたとき、どんな景色が見えるのかとか、どんな気分なのかというのが非常に楽しみなんです。そこでなんかいい感じで走れているということが、やっぱり仕事生活の理想だと思うんです。引退みたいなことは、昔は考えられませんでしたが、今はいつまで仕事をするのかを、ぼんやりとではありますが、考えるようになりました。

そんな時は、やっぱり高峰秀子先生に教えを求める。高峰秀子いわく、「引退です、なんていうのはおこがましい。そのうち誰からも必要とされなくなるんだから、そうしたら煙のように消えてなくなればいいじゃない」。僕も、心からそうありたいと思っています。

ここでは紹介しきれなかった話をお届けする、楠木建の「EFOビジネスレビュー」アウトテイクはこちら>

(撮影協力:六本木ヒルズライブラリー)

楠木 建

一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。