日本初のグランピングリゾート
星野佳路氏と矢野和男氏の対談前日、記者であるわたしは、ロケハンや対談の詳細調整のために星のや富士に向かった。最寄り駅である河口湖に着いたのは、PM3:00。クルマでは何度も来ている場所だが、電車で来るのは初めてのことだ。改札を出ると、外国人の多いことに驚かされる。しかも、多国籍。富士山のグローバルな人気に改めて気づかされた。駅からタクシーに乗ると、河口湖の湖畔を半周した後、細い道へと右折する。そこで初めて星のや富士の小さな看板を目にした。
間もなく、レセプション棟が見えてくる。ここは、受け付け専用の建て物。クルマで来たお客さまは、ここの駐車場に自分のクルマを置き、チェックインする。非日常への入り口だ。
記帳を済ませると、スタッフに壁一面にディスプレイされたカラフルなリュックサックを選ぶよう言われた。理由もわからないまま、ひとまず黄色い帆布のリュックをお願いする。ヘッドランプや双眼鏡、ダウンのひざ掛けや空気で膨らませるクッション、エリアマップ、富士山の等高線がデザインされた手ぬぐい、オリジナルのお菓子などが入っているという説明を聞いて、ここが日本初のグランピングリゾート施設であることを思い出した。
グランピングとは、GlamorousとCampingの造語で、キャンプの良いところを増幅し、わずらわしさなどのネガティブを取り除いた新しいリゾートのコンセプトで、星のや富士は、その日本第一号になる。本来、不自由や不便も含めた行為こそキャンプだとは思うのだが、準備や設営、後片付けなどが面倒で足が遠のき、取り揃えたキャンプ用品を物置きに眠らせている人は少なくないだろう。そんなキャンプの醍醐味だけ、良いところだけを体験できるというグランピングの考え方は、とても腑に落ちる。リュックサックは、そんなグランピングのパスポートであり、シンボルだ。
レイクビューの特別席
レセプション棟のガラス扉の外には、専用のジープが横付けされていた。荷物とともに乗り込むと、ジープは急勾配の細い山道を登りだす。200~300mほど山道を走ると、宿泊施設エリアに到着する。
キャビンと呼ばれる40の部屋は、2階建てでそれぞれが独立したコンクリート打ちっぱなしの建物になっている。スタッフの案内で、小道を部屋まで歩く。部屋の鍵を開け、靴を脱いで中に入る。その瞬間、大きな窓の向こうにある河口湖と富士山麓が目に飛び込んでくる。白でシンプルに統一された室内は、この景色のために設計され、コーディネイトされたものであることが直感的に理解できる。
ドアを開けて、広いテラスに出てみる。河口湖の向こうの富士山が、外気や鳥の鳴き声とともにさらに迫ってくる。そしてこのテラスには、気持ちのよさそうな炬燵が用意されている。ここはレイクビューの特別席なのだ。
翌朝、6時に起き、星のやオリジナルのコーヒーを備え付けのドリッパーでつくり、部屋に用意された暖かいコートを着てテラスの炬燵に入った。富士山麓に朝日が差し込み、うすい靄がかかる。スローモーションのように湖面をカヌーが行く。そんな静寂の中を、鳥の声とともにお寺の鐘の音がゆっくりと響き渡る。センス・オブ・ワンダー(自然の神秘や不思議さに目を見張る感性)が自分にあるのかはわからないが、それは心の中で手をあわせたくなるような時間だった。
キャビンには、テレビはもちろん、時計もなければBGMもない。でも、冷蔵庫には、シャンパンからワイン、ビールまでさまざまなアルコールが用意されている。夜にはテラスに火がともされる。必要とあらば、24時間ルームサービスも受けられる。過剰な情報にあふれた日常から、余分なものだけが削除されていた。
森と焚き火とシングルモルト
フロントとダイニングのある建物は、キャビンの上の斜面にある。階段を歩いて上っていくと、スタッフが迎えてくれ、ダイニングに案内される。
夕食は、グリルディナーのコース料理。旬の野菜で彩られたサラダからスープを経て、メインのステーキは地元の甲州牛の肉を、シェフといっしょに焼かせてもらう。山梨のウィスキーでフランベして仕上げられたステーキは、味もボリュームも申し分なし。デザートはビスキュイという富士山をイメージさせるスポンジケーキが、富士五湖であろう5つのトッピングとともに出されるといったように、ひとつひとつが地元と関連した素材であり、器となっている。また、ディナーは森の中のクラウドテラスで、ダッチオーブンのコース料理を選ぶこともできる。
夕食を終えると、森の中にある階段を上って、クラウドテラスに向かう。テラスには、広いウッドデッキがあり、タープのある野外料理用のクラウドキッチンがある。そこを通り抜けてさらに階段を上ると、ライブラリーカフェが現れる。中にはネイチャー系の書架があり、薪ストーブの前でコーヒーや紅茶、ハーブティーなどを飲みながら読書や歓談ができる空間になっている。外に出ると、焚き火を囲んでお酒を飲みながら話ができるラウンジがある。シングルモルトを飲みながら、空を見上げると、森の木々のシルエットの上に満天の星空が広がっていた。
夕食前に合流した対談の主役のひとりである矢野氏に、焚き火に向かい合いながらこんな質問をしてみた。
「矢野さんは研究者でありビジネスマンなわけですが、ご自身はどちらの資質が強いと思いますか」
答えは、意外なものだった。
「わたしは、自分のことを起業家だと思っています。日立という組織の中で、世の中にインパクトを与えるスケールの大きなビジネスをつくり出すこと。それが、今のヒューマンビッグデータや人工知能の研究の根本にあります」
他にも、森の中の焚き火Barで、アメリカでの体験やここには書けないことまでいろいろな話をした。
「圧倒的な非日常感」という体験
翌日の朝食は、ダイニングでスパニッシュオムレツ、地元のソーセージやベーコン、ダッチオーブンで焼いたパンなどのグリルモーニングをいただいた。朝食は、クラウドテラスでの焼き立てホットサンドや、キャビンの炬燵にモーニングBOXをルームサービスで頼むこともできる。早起きしたからか、空気が違うのか、普段は抜くことの多い朝食も、きれいに平らげた。
星野リゾートの標榜する、「圧倒的な非日常感」。それを、情報や刺激に慣らされたお客さまに実感してもらうことは、容易ではないだろう。しかし、星のや富士では存分に味わうことができる。それは、スタッフのホスピタリティ、サービス、設備、アクティビティといった要素ひとつひとつのクオリティが高いことはもちろん、富士山と河口湖、国立公園の森というこの土地だけの魅力を存分に楽しめる仕組みが、さりげなく、しかし徹底して施されているからだ。
東京の日常に戻った時に、わずか半日前の夜明けの富士山が遠い世界の出来事のように思い出された。それは、ここでの体験が圧倒的な非日常感であったことの証明だろう。