「第1回:人類の孤独を解消するテクノロジー(前編)」はこちら>
「第2回:人類の孤独を解消するテクノロジー(後編)」はこちら>
「第3回:人はAIと共に進化する」
「第4回:パネルディスカッション前編」はこちら>
「第5回:パネルディスカッション後編」はこちら>
データが明らかにした幸せの正体
私は日立製作所で人の幸せについて研究し、2020年ハピネスプラネットという会社を立ち上げました。人間の幸せ、ウェルビーイングな状態を研究し、世界中の研究者と共同研究を行ってきました。私たちはテクノロジーの力を使って、具体的には加速度センサーで24時間365日の人間の動きを10年以上に渡って計測し続け、誰と誰が対面でどれくらい話をしたのかというデータも取得してきました。のべ1,000万日を超える10兆個以上のデータを解析することで、幸せな状態とそうでない状態は何が違うのか。ということを研究してきました。
人が何かにチャレンジする時には、安全なコンフォートゾーンから出て不安と緊張のゾーンへと踏み込んでいく必要があります。そこで頑張ると能力は向上し、夢中になるフローゾーンに入り、やがて習熟するとコンフォートゾーンに戻る。幸せな人は、一カ所にとどまることなくこの循環を回せる人です。
さらにこれを繰り返すことで、人は挑戦して成長するという右回りで上昇するスパイラルを登っていきます。これが仕事や人生を楽しんでいるという、幸せな状態です。ひとつのフレームにとどまらずリフレーミングし続ける能力を持った人は、仕事の生産性も高い。こういうことも、データを分析することでわかってきました。
人が幸せに働くための「三角形の法則」
人間は社会の中で生きていますから、人間関係は大変重要です。しかし単にコミュニケーションが多ければいいというわけではないことも、データからわかってきました。ある人にAという知り合いとBという知り合いがいて、良く話しをする。その時にAとBも直接話をすると、関係性は三角形になります。しかしAとBが会話をしないと、関係性はある人を起点にVになります。人を取り巻く関係性で三角形が多いか、V字が多いかというのは、人が生き生きと働ける生産的な環境か、孤独を感じる非生産的な環境かの分かれ道になります。
V字というのは、すなわち用事でつながっているだけの関係性です。例えばあなたが現場の監督で、職人のAさんとも、本社の担当者のBさんともよく話をするのに、AさんとBさんは全くコミュニケーションがない。あるいはあなたの奥さんは、娘とよく話をする。あなたともよく話をする。しかしあなたと娘さんとの間には壁があって話しをしない。V字という用事だけの関係性は、しばしば板挟みや分断を生みます。
一方で三角形というのは、仲間という関係性があることを示しています。三角形が多い職場というのは、信頼や連帯感でつながったコミュニティという要素を持った環境になっている。これは、人が幸せに働くことで高い生産性を実現する重要な条件です。身体のセンサーデータを分析しても、V字の関係性の中で働く人は、会話するたびに元気度が下がっています。やっぱり人間は、用件の報告や指示だけではだめなのです。
しかし企業の組織というのは、V字だけでできています。組織図どおりのコミュニケーションをしていると、データで証明された不幸で非生産的な状態に必ず陥ります。横とか斜めのつながりを持ったコミュニティであることが、先ほどのスパイラルを力強く回す個の力になり、それが組織の生産性や創造性を高めることはデータ分析でもはっきりしています。個人が幸せを感じて働くことで、企業が生産性を上げる。そんなウェルビーイング経営のお手伝いをするために、私は2020年にハピネスプラネットという会社を立ち上げました。
人の力を増幅するAI
私は以前からデータ分析やAIの開発を行ってきましたし、ハピネスプラネットではAIや関連するテクノロジーを駆使したサービスを提供してきました。私は、生成AIによってあらゆることの前提が変わると思っています。今の仕事の仕組みは、AIがないという前提でできています。最初から使えるAIがあるのに、今までのやり方でやる必要はもうないわけで、これからはゼロリセットで考えることが重要です。
ChatGPTが2年半前に出てきて、皆さんも活用されていると思います。生成AIは、仕事の一部を代替するAIエージェントが自動化や効率化を図る、ということで騒がれています。それはもちろん重要なのですが、AIの世界では“Intelligence Amplifier”、人間の力を増幅することもAIの役割だと考えられています。先ほどのOriHimeは、AIでなくとも人の力を増幅していましたが、自分の力を拡張して創造的にイノベーティブに変えていく。AIにはそういう力があるのです。人間らしくない仕事、これは大いにAIに任せればいい。それ以上に、人間らしい仕事はAIで人の力を増幅して取り組むことが重要です。
ただ、ChatGPTに問いかけても、一般論は出てきますがなかなか人を動かすような回答にならない。これには理由がありまして、何か特定の思想や立場に偏らないよう、バイアスを排除するように作られているからです。でも信念や嗜好など、バイアスのない人間はいません。バイアスは人間の特徴であり、価値なのです。そこでこれを一律に排除するのではなく、より多様な人が協調し合ったり、時にはぶつかり合ったりできるAIを開発しました。
家電量販店のノジマ様では、社長のBunshinであるAIが、店長や管理職の人たちの悩みや相談に24時間365日答えてくれる環境を作りました。これによって例えば全国の店長や管理職の方が、「価格競争にならずにこの店を地域一番店にするにはどうすればいいでしょう」といった質問を社長のBunshinに投げかけ、議論することができるようになりました。
自分で成長するAI「FIRA」
生成AIは圧倒的に物知りではありますが、賢いわけではありません。賢さは、既存の知識を組み合わせた新しい課題、問題、質問を考えることで、今までは人間がAIに指示を出すプロンプトの作成で頑張っていたわけです。しかし課題、問題、質問を考えることもAIが行い、AI自身が成長して賢くなっていけば、経営課題のように非常に複雑で高度な問題についても、AI自身で議論を深めることができる。そう考えて開発した新しいAIサービスが、「Happiness Planet FIRA(フィーラ)」(以下FIRA)です。
これはプロトタイプになりますが、この中にいる600人の経営のエキスパートの中から適任者を選び、「製造業における生成AIの活用戦略を考えたい」という質問を投げかけると、それぞれの知見を駆使したディスカッションが始まります。人間は最初の問いを入れるだけで、非常に深い議論が展開されます。
今日はその一部をご紹介して終わりたいと思います。詳しく知りたい方は、ハピネスプラネットのホームページをご覧ください。また私は7月に『トリニティ組織』という本を出しましたが、この本の後書きは「FIRA」に書いてもらいました。私は一文字も手を加えておりません。機会があれば、読んでみて下さい。(第4回へつづく)
矢野 和男(やの かずお)
株式会社日立製作所 フェロー 兼 株式会社ハピネスプラネット代表取締役CEO
1959年山形県酒田市生まれ。1984年早稲田大学物理修士卒。日立製作所入社。同社中央研究所に配属。2007年主管研究長、2015年技師長、2018年より現職。博士(工学)。IEEE Fellow。1993年単一電子メモリの室温動作に世界で初めて成功し、ナノデバイスの室温動作に道を拓く。2004年から先行して実社会のデータ解析で先行。論文被引用件数は4500件、特許出願350件以上。大量のデータから幸福度を定量化し向上する技術の開発を行い、この事業化のために2020年に株式会社ハピネスプラネットを設立し、代表取締役CEOに就任。ウエルビーイングテックに関するパイオニア的な研究開発により2020 IEEE Frederik Phillips Awardを受賞。