「第1回:トランプ現象を理解するために必要なこと」はこちら>
「第2回:世界の読み解きに必要な神学リテラシー」はこちら>
「第3回:「不可能の可能性」とイノベーション」はこちら>
「第4回:キリスト教の強さの裏にあるもの」
「いいかげんさ」が普遍性につながっている
山口
初期キリスト教の使徒の一人であるパウロは、律法を厳格に守って良い行いをして生きることが信仰ではない、ということを言いました。そのことが、キリスト教が世界に広まるきっかけだったというふうに言われたりしますけれども。
佐藤
パウロをどう解釈するかについてはいろいろな意見がありますが、教義の根本では、キリスト教は決して律法宗教ではありません。いいかげんだからこそ、いろいろなものを内包できるのです。
ですから教理についてもさまざまな議論があります。例えばイエス・キリストというのは人なのか、神なのかという議論、これは1600年くらい論争しているけれど結論が出ていません。「神学論争」というのは「意味のない議論」の代名詞にもなっていますが、これには特徴があります。神学論争では論理整合性の高い側が負け、低い側が勝つのです。なぜかというと、論理整合性の低い側は、権力の力を使うからです。そのため、勝っても一種のやましさ、コンプレックスがつきまとう。そして負けた側は異端という扱いを受けますが、自分たちは正しいという信念を持ち続けるので、正統教会のなかにグノーシス派のような異端的なものが残るわけです。神学論争とはそのような論争なので、議論の積み重ねがないという特徴もあります。科学の論争のように過去の議論の上に新たな知見が加えられ議論が発展するのではなく、同じテーマが形を変えてむし返されるだけで、永久に反復し続ける。そうした「いいかげんさ」が、逆に強みになっているのだと思います。
山口
先生は神学というのはそういうものだというふうに書かれていますね。
佐藤
そう。だからある意味では虚学であり、無意味な学問なんです。その代わり、総合大学というのはその無意味な学問を行う神学部があるからこそ、総合大学と名乗れる。そうでなければ実学を教えるポリテクニック(高等専門学校)と変わらないことになります。実学は近代合理主義によって支えられているわけですが、近代合理主義だけでは理解できないことが世界には数多くあります。そうしたことを読み解くうえで、神学という目に見えない世界を扱う学問も含めた体系的な知が必要なのです。
日本人は無宗教ではない
佐藤
それからキリスト教がなぜ大きな影響力を持ったのかということについて言うと、人種や国が違っても人間の宗教性は変わらないということもあるでしょう。そのことを明確に言ったのがロシアの哲学者、ニコライ・ベルジャーエフですね。日本人は宗教性が低いとされていますが、それは勘違いです。日本で一番強い、一番影響力のある宗教は、宗教でない形で現れます。例えば、戦前の国家神道は宗教ではないという建前でした。宗教ではなく日本帝国臣民の慣習であると。だから神社を参拝しても、これは慣習だからとされた。
では今の日本人が信じている宗教は何か。まず「拝金教」ですよね。1枚の原価18円ぐらいでつくられる紙が1万円の価値を持ち、カネのために殺し合いをしたり、自殺したりするのは、カネに一種の宗教性があるからです。
山口
殉教ということになるわけですか。
佐藤
そうです。ほかにも例えば「偏差値教」がありますね。高偏差値の大学に合格するために、小学生のうちから猛勉強して難関中高一貫校に入ることをめざす。高偏差値の大学に入れば将来は必ず恵まれると信じる、一種の宗教ですよね。それから就活も宗教。
山口
大企業に入りさえすれば安泰だと信じる宗教ですね。
佐藤
ベルジャーエフは、無神論者は無神論という宗教を信じているだけだと言いました。となると、大多数の人間は無神論教か、拝金教か偏差値教、出世教…。そういった宗教が蔓延しているから、私に言わせると真実の宗教に対する関心が低くなっていく。
しかし真実の宗教というのを信じている人というのはそれなりの力があるから、日本人の公称1%、実際は0.2%くらいしかいないであろうキリスト教徒の、かなり熱心な信仰を持っている石破茂という人が国家のトップになっているのではないでしょうか。戦後の総理大臣だけでも、片山哲、それから死の直前に洗礼を受けた吉田茂、大平正芳、鳩山由紀夫、麻生太郎、そして石破さんと、36名中6名の首相がキリスト教徒です。
山口
出現率は統計的にみると異常です。
佐藤
ありえない数字でしょう。なぜキリスト教徒で国のトップになる人がこれほど多いのか。彼らがどれくらい熱心に教会に通っているかは別にして、キリスト教的なエートス、価値観というものに、やはり政治的に勝利する何かが埋め込まれていると考えざるを得ない。
山口
フランスの哲学者、パスカルが主著『パンセ』の中で言っているのは、理性によって神が実在すると言い切れないかもしれないけれど、神が実在すると考えても失うものはなく、むしろ生きることの意味が増すということですね。「パスカルの賭け」と呼ばれていますが。
佐藤
それは間違いないでしょうね。だから私も鈴木宗男事件で連座して捕まったときも「ああ、これで人生終わりだ」とは思いませんでした。
山口
ヨブ記※などをお読みになっているからですね。
佐藤
そうです。こんな理不尽なことがあっても、何も失うはずがない。この試練は必ず克服しなければいけない。そういう発想になりますからね。
山口
そうすると、パスカルの賭けではないですが、キリスト教を信じているということ自体がよりよい人生を生きることにつながると経験則的に理解されていったことで、影響の範囲が広がっていったのかもしれないですね。
※ ヨブ記:旧約聖書に収められている書物の一つ。信仰の厚いヨブが突然、さまざまな苦難に見舞われるが、絶望的な状況にあっても神を信じ続け、最終的には救われるという内容。
第5回は、7月15日公開予定です。
佐藤 優
1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。1985年同志社大学大学院神学研究所修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。
2005年に発表した『国家の罠』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。以後、作家として外交から政治、歴史、神学、教養、文学に至る多方面で精力的に活動している。『自壊する帝国』(新潮社、第5回新潮ドキュメント賞、第38回大宅壮一ノンフィクション賞受賞)、『十五の夏 1975』(第8回梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞)など著書・共著多数。2020年第68回菊池寛賞。
山口 周
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。
著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)、『ビジネスの未来』(プレジデント社)、『クリティカル・ビジネス・パラダイム』(プレジデント社)他多数。最新著は『人生の経営戦略 自分の人生を自分で考えて生きるための戦略コンセプト20』(ダイヤモンド社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。