佐藤 優氏 作家・元外務省主任分析官・同志社大学客員教授/山口 周氏 独立研究者・著作家・パブリックスピーカー
世界情勢が混迷を深め、不確実性が高まる今日。複雑な世界を読み解き、生き抜くためには表層的なノウハウではなく、深い教養に裏打ちされた思考力が求められる。今回の対談では、元外交官であり、地政学、国際情勢、そして神学に精通する作家の佐藤優氏を迎え、哲学・歴史・神学の知見をもとにトランプ現象を読み解くとともに、キリスト教をベースとした価値観や行動原理について語り合った。山口周氏との対話を通じ、リベラルアーツとは飾りとしての教養ではなく、生存戦略として活かせるものだという確信を深めていく。

弁証法的歴史観

山口
このたびはお時間をいただき、ありがとうございます。私、佐藤先生のご著書はかなり拝読しているほうだと思いますけれど、最も好きなのは『神学の思考』(平凡社)と『神学の技法』(平凡社)の2冊で…。

佐藤
それは、ありがとうございます。

山口
1ページあたりの情報量が驚くほど多いので、聖書その他の参考書を引きつつ何度も読み返しています。本日はその宗教、特にキリスト教に関して、そして世界情勢、教養とリベラルアーツという大きく三つのテーマについて伺いたいと思っています。

まず世界情勢ということで言いますと、目下、世界はアメリカのトランプ大統領にかなり振り回されている状況ですが、100年、200年という長期的な視点で見たとき、佐藤先生は今という時代をどのように位置づけておられますか。

歴史の流れの捉え方には、ヘーゲルが指摘した「弁証法的発展※1」、ニーチェが指摘した「永劫回帰の連環※2」、『西洋の没落』で知られるシュペングラーが指摘した「栄枯盛衰のライフサイクル※3」という三つがありますね。1990年代初頭には、21世紀というのは明るい時代になると期待され、アメリカの政治学者のフランシス・フクヤマが「歴史の終焉※4」を宣言したわけですけれど、戦争も疫病もなくならず、ちょうど100年前と同じような状況にあるのではないかと思ってしまうのですが。

佐藤
同感です。ご著書を読むと、山口さんは大学の哲学科の教授になっても全然おかしくなかった方だと私は思うのですが、基本的にヘーゲルの影響を強く受けておられますね。例えば、物事を弁証法的に見ておられる。しかも二つの弁証法が山口さんの中にはあります。

山口
そうですか。

佐藤
その一つは完成期のヘーゲルです。『大論理学』や『エンチクロペディー』のように、正反合の弁証法で結論に達していく。もう一つは初期の、未完成期のヘーゲルで、『精神現象学』のように、正反合で一段階進んだと思いきや、また新たな問題が生じて次の正反合を繰り返していくという、無限弁証法のような考え方ですね。ですから山口さんもその二つの視点で時代というものを見ておられるのではないでしょうか。今この時代が100年前と同じというのは、無限弁証法の見方です。一種の繰り返しではあるけれど、同じ平面で回っているのではなく螺旋状に、進歩しつつ繰り返しているという流れですね。私もそのように感じています。

※1 弁証法的発展:ヘーゲルの弁証法は対立する二つの要素(正、反)が互いに関係し合い、より高い次元で統合(合)、発展するという思考法。弁証法的発展は、その正反合のプロセスを通して、物事が繰り返しつつ、新しい段階へらせん階段を上るように発展していくという考え方。
※2 永劫回帰の連環:この世界のすべての物事は永遠に繰り返され続けるという考え方。キリスト教的なはじまりと終わりがある世界ではなく、延々と繰り返される世界においてどう生きるかをニーチェは問うた。
※3 栄枯盛衰のライフサイクル:歴史を有機的な成長と衰退のサイクルとして捉える考え方。あらゆる文明は誕生、成長、成熟、衰退、消滅という歴史を辿るとシュペングラーは主張した。
※4 歴史の終焉:著作『歴史の終わり』で、東西冷戦の終結後は、政治制度の最終形態である民主主義と自由経済が広がり、世界は安定し平和と自由が無期限に維持される(歴史的な大事件は起きなくなる)というフランシス・フクヤマの仮説。

トランプ関税の意味を知る

佐藤
それから世界情勢については、読者の方々が今、一番気になっているのはトランプ関税のことでしょう。その目的は二つあると私は見ています。一つはアメリカの貿易赤字の是正。これについてはアメリカ産製品を買うことが解決策になりますから、それほど難しい問題ではありません。もう一つはアメリカの産業構造を抜本から転換し、モノをつくれるようにすることです。すでにアメリカが優位性を持つ製品だけではなく、一般の乗用車や白物家電、あるいは繊維製品といったものを、もう一回アメリカでつくることをめざして構造転換を図っている。そう考えると見方は変わってくると思います。

今、起きていることを私は「トランプ革命」だと見ています。1917年のロシアの社会主義革命、あるいは1930年代のナチス革命に匹敵するくらいの大きな動きと言えるでしょう。トランプ氏は論理がなくてメチャクチャだと言われますけれど、私はそうは思わない。

山口
佐藤先生は外交の専門家でいらっしゃいますが、外交にはルールがないように見えながら、それを司るプロの間では暗黙に了解されたルールがありますよね。トランプ大統領はビジネス界の出身だからかもしれませんが、そうした「プロのルール」とは違う論理で動いているように見えます。

佐藤
私もそう思います。すでにエスタブリッシュされたルールの中では動いてはいません。

トランプ氏の外交上の特徴は、認知戦の専門家であるということです。最初に世界中がびっくりするようなことを言い、みんなの頭を真っ白にしてしまうんですね。でもそれは実現しなくていいわけです。関税についても最初にすごい数字を出してきましたが、あれは「心の中の数字」だというところがポイントです。積算根拠のない数字だと言われていますが、だからこそディール(取引)になるのです。根拠があると突き詰めることができてしまいます。心の中で独自の変数が掛かっているというところに強さがあるのです。

トランプ氏の論理を理解するうえで参考になるのは意外にもマルクスで、特に『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』※5という著作です。あの本は政治学書の傑作だと私は思っています。

山口
一種のジャーナリズムですよね。

佐藤
そうですね。ルイ・ボナパルトはナポレオンの甥で、フランスの第二共和政の時代に分割地農民という最も貧しい人たちに選挙権を与えた結果、大統領に選ばれました。

山口
怪帝と呼ばれた人物。

佐藤
ええ。民主的に大統領に選出されながら、クーデターで議会を潰して大統領権限を強化して独裁体制をつくり、さらには国民投票で皇帝となってナポレオン3世を名乗った。けれど、その統治は結局、彼を選んだ分割地農民に利をもたらすものではありませんでした。

では、なぜそのようなことが民主的に起きたのかというと、人間が表象能力を持つからです。
ナポレオン3世は次のように考えたのです。まず、大衆というものはイメージ操作すれば自分たちの利益に反する人でも喜んで代表にする、と。そして、全体の代表として選ばれたら、それまでの官僚制を倒し、自分への忠誠度の高い者を選んで第二官僚群をつくり実質的な政権運営を任せる。その運営の重要なポイントは利益分配です。まず内部で分配し、分配できるものがなくなったら戦争や恫喝で外から収奪してくる。それで国民を豊かにしていくというのが彼の政策でした。それは一つの政治手法なんですね。

※5 『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』:ジャーナリストとしてのカール・マルクスの代表作。1848年に発足したフランスの第二共和政がルイ・ボナパルトのクーデターにより崩れ去った過程を追い、その事実と背景を分析したもの。1852年刊行。

第2回は、6月24日公開予定です。

佐藤 優
1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。1985年同志社大学大学院神学研究所修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。
2005年に発表した『国家の罠』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。以後、作家として外交から政治、歴史、神学、教養、文学に至る多方面で精力的に活動している。『自壊する帝国』(新潮社、第5回新潮ドキュメント賞、第38回大宅壮一ノンフィクション賞受賞)、『十五の夏 1975』(第8回梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞)など著書・共著多数。2020年第68回菊池寛賞。

山口 周
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。
著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)、『ビジネスの未来』(プレジデント社)、『クリティカル・ビジネス・パラダイム』(プレジデント社)他多数。最新著は『人生の経営戦略 自分の人生を自分で考えて生きるための戦略コンセプト20』(ダイヤモンド社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。