株式会社日立製作所 フェロー 兼 株式会社ハピネスプラネット代表取締役CEO 矢野 和男/東京科学大学 教授 伊藤 亜紗氏/株式会社日立製作所 研究開発グループ 兼 「Team Sunrise」代表 佐藤 雅彦
「Hitachi Academy Open Day 2024」の先行イベントとして、日立アカデミーは2024年10月10日に社内イノベーションネットワーク「Team Sunrise」とのコラボイベントを開催した。その模様をお届けする採録記事の第6回は、登壇者によるパネルディスカッション。視聴者から事前に寄せられた質問への回答と、今回のイベントのテーマである「イノベーティブ組織の利他との向き合い方」について、それぞれが思うところを語り合った。

パネリスト
東京科学大学 教授 伊藤 亜紗氏
株式会社日立製作所 フェロー 兼 株式会社ハピネスプラネット代表取締役CEO 矢野 和男
株式会社日立製作所 研究開発グループ/「Team Sunrise」代表 佐藤 雅彦

「第1回:伊藤亜紗氏講演「漏れる利他(前編)」」はこちら>
「第2回:伊藤亜紗氏講演「漏れる利他(後編)」」はこちら>
「第3回:矢野和男講演「ウェルビーイングは利他から(前編)」」はこちら>
「第4回:矢野和男講演「ウェルビーイングは利他から(後編)」」はこちら>
「第5回:佐藤雅彦講演「『応援からはじめるイノベーション』企業における社員同士の利他とは」」はこちら>
「第6回:「利他」とは違いを受け入れ、うまくやっていくための知恵」

「宛先がない」からこそ広がりがある

――ここからはお三方によるパネルディスカッションとして、本日、視聴されている方々より事前にいただいた質問の中からピックアップして伺います。「自分が幸せでないと他人を幸せにできない、つまり利己の追求が結果的に利他につながるという価値観についてはどう思いますか」との質問ですが、幸せのスペシャリストである矢野さんはいかがでしょうか。

矢野

自分の幸せを追求するのは当然のことですから、「利己」が悪いことではないと思います。「利己」の追求と「利他」のバランスをとることは、本能と言いますか、生存可能性を高める戦略として皆さんの細胞1個1個の生化学的な反応として組み込まれているのではないかと私は思いますので、あまり意識しなくても自然に利他的な行動はできるものではないでしょうか。

伊藤

利他のポイントは「受け取らない自由」だと思います。利他の例としてよく議論される「電車でお年寄りに席を譲るかどうか問題」で、席を譲って断られると自分が傷つくという人がいます。でも、さきほど言ったように私としては、利他は「与える」ものではなく「漏れる」ものと考えていますから、自分が漏らしたければ漏らせばいいのです。自分が今、幸せだから席を譲るということもどんどんやればいい。ただ、それをお年寄りが受け取るかどうかは自分とは関係ないことだと切り離して考えることが大切です。お年寄りも障害のある人も「好意を受け取らなければいけない」というプレッシャーを感じる必要はなくて、相手も自由、自分も自由という気持ちで「利他を漏らす、それを受け取りたければ受け取る」という関係が健康的なのでは、と思います。

佐藤

伊藤先生の今のご発言は、講演でもおっしゃっていた「宛先」の問題ですね。私たちTeam Sunriseの活動が挫折したのも、課題を指摘する宛先を社長だと決めてしまったからかもしれないですね。そのために、「どうしてこんなにやっているのに社長は振り向いてくれないんだろう」と思ってしまった。本日のこのイベントは宛先がないからこそ、広がりがあるのではないかと思っています。

矢野

「宛先がない」っていい言葉ですね。こういうイベントや会合に出ていても、「これって何か自分のためになるのか」とか「リターンはあるのか」とか思っていると面白くない。そう考えると、物事を面白くする、あるいは楽しむということは「宛先がない」ということと関係しているように感じます。つまり「◯◯のため」みたいなことを考えない純粋な行為に楽しさを感じる。そのような本能があるからこそ、人類はアフリカを出てグリーンランドの奥地まで開拓していったのではないでしょうか。

利己と利他は対立項ではない

――ありがとうございました。では本日のタイトル「イノベーティブ組織の利他との向き合い方」について、お三方のお考えを伺えますか。

佐藤

今回のイベントにあたって、「イノベーティブな組織をめざす」という目標と「利他」の関係をどう考えたらいいのかということについて検討しました。一つ言えるのは、さきほどご紹介したような失敗からの学び、気づきとして、イノベーティブであるためには「純粋な利他」が必要であるということですね。最近は就業時間の15%を業務と異なる活動に充てていいというルールを設定している企業も増えてきていますが、「応援」の気持ちを表現するような利他の活動の時間が意外に取りづらいということも課題であると感じています。

なので、このイベントのように宛先や用事といったことを考えずに集まっていただく場を設けることで、人と人とのつながりを築く上での「敷居を下げる」ことや、まずは応援を始めるためのきっかけづくりをしたいと考えています。そうしたことを続けていけば、「イノベーティブであること」と「利他」とを同時に実現していけるのではないでしょうか。

矢野

さきほど「楽しむ」と「宛先」について話しましたけれど、楽しむというのは誰かから与えられるものではなく、能動的な行為ですよね。その能動的な行為としての「楽しむ」を優先するということは、必ずしも利己的ではないと思います。そもそも楽しいことって自分一人ではなく他人とのかかわりの中で生まれることが多いものですし、それぞれが楽しさを追求することで、結果として利他が生まれるのかなと思いました。

利己と利他はどうしても二項対立的に捉えられ、「利己が悪くて、利他がよい」みたいに思われがちなのですが、そういうことではありませんし、利他に対して身構えなくてもいいのではないかと思います。まさにこのとき、この場、この人生、この仕事を楽しむという姿勢でいたら利他が生まれた、というくらいに考えているのがちょうどいいのかもしれないですね。そして、メンバーそれぞれが仕事を楽しんでいれば、自然と組織もイノベーティブになっていくと思います。

伊藤

お二人が話してくださったことに尽きますけれども、付け加えるとすれば、「利他」は「善意」ともちょっと違っていて、自分と違う考えを持った人とどうやって共存して、いい結果を出していくかということだと思います。利他を崇拝する「利他教」みたいになってしまうと、目的ではなく結果が問われてしまい、「違い」を受け入れるプロセスが消えてしまいます。研究者でも、自分と違う分野の人と、互いに歩み寄りながら接点が見えたときって、すごく大きな発見があったり、自分の発想が広がったような感覚を得られたりしますよね。そのことがイノベーションにも利他にも通じると思うのです。

利他というのは特別なことではなくて、ちょっとご近所付き合いに近いような、興味関心だけではなく性格や価値観の違う人とうまくやっていくための知恵だとも言えます。「いいこともあるし悪いこともあるよね」みたいな関係をうまくやっていくことにこそ、組織としてパワーアップしていくヒントがあるのかな、というふうに思いました。

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「第5回:佐藤雅彦講演「『応援からはじめるイノベーション』企業における社員同士の利他とは」」はこちら>
「第6回:パネルディスカッション」

伊藤 亜紗 (いとう あさ)
東京科学大学 教授
美学者。東京科学大学 未来社会創成研究院/DLab+ディレクター。MIT客員研究員(2019)。博士(文学)。
主な著作に『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)、『手の倫理』(講談社)。
第42回サントリー学芸賞、第19回日本学術振興会賞、日本学士院学術奨励賞受賞。

矢野 和男(やの かずお)
株式会社日立製作所 フェロー 兼 株式会社ハピネスプラネット代表取締役CEO
84年早大修士卒。日立製作所入社。論文被引用数4500件、特許出願350件超。幸せに関するテクノロジーの研究を世界に先駆けて開始。2020年に株式会社ハピネスプラネット設立。大量データから幸せな集団が持つ普遍的な特徴を解明。ウエルビーイングテックに関するパイオニア的な研究開発により2020 IEEE Frederik Phillips Awardを受賞。

佐藤 雅彦(さとう まさひこ )
株式会社日立製作所 研究開発グループ 技術戦略室 イノベーションプロジェクト統括センタ オープンイノベーション推進室 チーフストラテジスト
日立製作所にて、情報通信事業のシステムエンジニアリングや新会社設立、M&Aなど新事業企画に従事しながらMBAを取得。本社IT戦略本部、研究開発グループ主任研究員などを経て、2023年より現職。研究開発戦略の立案やオープンイノベーションの推進を担っている。2006年より継続する社内ネットワーク活動「Team Sunrise」代表。