2024年10月28日、「両利きの経営から考えるDX デジタルとデザインで導くイノベーション」をテーマに日立製作所主催のイベントを開催した。ゲストは早稲田大学大学院 早稲田大学ビジネススクール教授 入山章栄氏。入山氏による特別講演、およびLumada Innovation Hub Senior Principalの加治慶光、日立製作所 イノベーション成長戦略本部 本部長 森正勝、入山氏の3名で行われたトークセッションのイベント採録を5回に渡ってお届けする。第1回は、入山氏の特別講演「世界の経営学から見るDXへの視座」前編。

「第1回:世界の経営学から見るDXへの視座(前編)」
「第2回:世界の経営学から見るDXへの視座(後編)」はこちら>
「第3回:社会イノベーションへの日立の取り組み」はこちら>
「第4回:日立の変革」はこちら>
「第5回:第2次デジタル競争というチャンス」はこちら>

デジタルの誤解と経路依存症

DXについて話す時にまず僕が最初に言うことは、デジタルは業績を上げる魔法ではないということです。デジタルというのは、道具にすぎません。企業のビジョンやパーパスを実現するために、うまく使えば業績を上げる力になる道具なのです。道具が業績を上げるのではなく、中長期的な戦略を実践することで業績が上がるわけで、ここを誤解しないでいただきたいです。

それともうひとつのポイントは、CX(コーポレート・トランスフォーメーション)ありきのDXだということです。企業全体を変革する、そのためのデジタルだということです。デジタルだけを導入しても、DXは絶対にうまくいきません。多くの日本企業がここで苦労されていますが、それには理由があります。

経営学的な概念で説明しますと、うまくいかない理由は「経路依存性」にあります。経路依存性というのは、制度や仕組みが過去の経緯や歴史に縛られる現象のことです。企業というのは、複雑な要素がそれなりにうまくかみ合っているから仕事が回るわけですが、その半面でかみ合ってきた経緯や歴史に縛られているために、どこかひとつをデジタルで変えようとしてもそれがとても難しい。

分かりやすい例が、ダイバーシティ経営です。DX以前からすごく重要だと言われている割に、進んでいません。それはダイバーシティ以外のさまざまな要素が、ダイバーシティと真逆の要素とかみ合ってしまっているからです。本当にダイバーシティを進めたいなら、新卒一括採用・終身雇用を見直さなければ多様な人は採用できませんし、一律評価ではなく多様な評価制度が必要です。コロナ禍以降は改善が進みましたが、多様な働き方を可能にする働き方改革もさらに進めなければなりません。しかしどれも、変えることは難しい。

多くの日本の企業は経路依存性の傾向にありますから、全体を変えずにダイバーシティだけをやるというのはハードルが高い。だから、変わらないわけです。DXも全く同じことが言えます。

経路依存性を乗り越えたワークマン

この経路依存性を、DXで乗り越えた企業の代表が「ワークマン」です。ワークマンといえば、店舗のオーナーや従業員がExcelを使って自分で商品分析ができるデータ経営が有名で、デジタルを効果的に取り入れています。しかしそれは施策の一部であり、その本質はDXです。

ワークマンを改革したのは専務代表取締役の土屋哲雄さんですが、土屋さんは商社からデジタル化を進めるためにワークマンに来られました。現場のモチベーションが上がっていないと最初に感じた土屋さんが行ったのは、平均100万円の昇給でした。これはデジタル以前の経営改革です。

そして次にやられたことは、店舗業務の徹底した標準化です。これによりExcelによるデータ経営が可能になり、業務の負担が減りました。時間やリソースに余裕ができたことによって、「ワークマン女子」や「ワークマンplus」など新しい業態にチャレンジすることができるようになった。ワークマンは、デジタルを道具として有効に使ったDXのお手本であり、経路依存性を乗り越えた絶好の事例だと思います。

DXはイノベーションのためにある

ここで改めてDXがなぜ必要なのか考えてみますと、それは突き詰めて言えばイノベーションを生み出すためです。では、なぜイノベーションが必要なのか。それは私たちが、圧倒的に変化の激しい、不確実性の高い時代に入ってしまったからです。

ちょっと思い付くだけでも、こうした課題やテクノロジーが変数となって社会の不確実性を高めています。誰も答えを持っていない、それが今です。こういう先が読めない世界では、うちの会社は大丈夫だろうと思っている間に、業界ごとなくなってしまうということが起きている。そこで生き残り、成長していくためには、自らが能動的に変化して世の中に新しい価値を提供する、つまりイノベーションを生み出すことしかないわけです。

ではイノベーションはどうすれば生み出すことができるのか。それは知と知の新しい組み合わせから生まれるというのが、イノベーションの本質です。人間はゼロからは何も生み出せません。すでにこの世に存在しているのに、まだ組み合わされていない何かと何かを組み合わせること。これが、シュンペーターがもう90年も前にニューコンビネーション、新結合と名付けたイノベーションの根本原理です。

では、原理は組み合わせだとわかっていても、日本の企業がイノベーションで悩んでいるのはなぜでしょう。大きな要因として、新卒一括採用で何十年も同じ環境で働いてきた人同士では、知と知の組み合わせはやり尽くしてしまっていて、新しい組み合わせが生まれる余地がなくなってしまっていることがあげられると思います。

両利きの経営の重要性

そんな中でもイノベーションを生み出すために作られた理論が、両利きの経営です。

この図の縦軸を世界の経営学ではExplorationと言いまして、これを僕は「知の探索」と呼んでいます。知の探索とは、できるだけ遠く幅広く新しい知に出合うような経験をするということです。それを持ち帰ってきて、すでにある知と新しく組み合わせてみる。イノベーションにはこれがもっとも重要で、アメリカのスーパーマーケットの仕組みを持ち帰って、生産ラインに取り入れたトヨタのかんばん方式などは、まさに知の探索によるイノベーションです。

知の探索を繰り返し試していき、これは行けそうだという組み合わせが見つかったら、そこは深掘りして磨き込んでしっかりと収益化していく。それがこの図の横軸で、「知の深化」と呼んでいます。知の探索と知の深化、この両方を高いレベルでバランス良くできる企業、組織、経営者、ビジネスパーソンが、イノベーションを起こす確率が高いというのは世界の経営学のコンセンサスになっていて、これが「両利きの経営」理論です。

この両利きの経営を実践する時に、ひとつ注意していただきたいことがあります。両利きの経営は、知の探索と知の深化のバランスが重要なのですが、実際にはどうしても知の深化に偏る傾向があります。なぜかというと、知の探索は言うは易しなのですが、遠くのものを幅広く見て知と知を組み合わせるには、時間も人も金もかかるし、新しい組み合わせは失敗も多い。企業としてはそれを受け止めきれないので、知の深化に傾いてくる。これはコンピテンシー・トラップ(競争力の罠)と呼ばれている、イノベーションの阻害要因です。

知の深化で見えているところを深掘りする方が、短期的な成果は出しやすい。しかし中長期的な視点で考えた時、知の探索がなければイノベーションは枯渇します。僕がこれまでお会いしてきたイノベーターに共通していること、それは皆さんとにかく移動しているということです。ゴーゴーカレーの創業社長の宮森宏和さんは、「発想力は移動距離に比例する」と言っています。物理的に移動すること、これはコンピテンシー・トラップにはまらないよう知の探索を増やしていく有効な方法のひとつです。(第2回へつづく

「第2回:世界の経営学から見るDXへの視座(後編)」はこちら>

入山 章栄(いりやま あきえ)
早稲田大学大学院 早稲田大学ビジネススクール教授
慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了後、三菱総合研究所を経て、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院より博士号(Ph.D.)を取得。同年、米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクール助教授に就任。2013年に早稲田大学ビジネススクール准教授、2019年4月から現職。
専門は経営学。国際的な主要経営学術誌に多く論文を発表している。著書の『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』、『世界標準の経営理論』はベストセラーとなっている。近著は『宗教を学べば経営がわかる』池上彰・入山章栄 共著。