一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授 楠木建氏/フランス文学者・書評家 鹿島茂氏
無類の読者家である鹿島茂氏が「そろそろ取り入れようと思っている」と明かす、読書を通じて思考を深めるためのフランス流の訓練とは。

「第1回:共同書店という発想。」はこちら>
「第2回:メモの取り方。」
「第3回:書評家という仕事。」はこちら>
「第4回:思考の技術。」はこちら>

※本記事は、2023年5月31日時点で書かれた内容となっています。

オタクから思想へ

楠木
鹿島さんならではの本の読み方があれば、ぜひ伺いたいのですが。

鹿島
世間一般で話題になっている本を読むというよりも、そのときどきの自分の興味を抑圧せず、関心の赴くままにどんどん読んでいくスタイルです。

そのせいか、年齢を重ねるにつれて読書のジャンルはかなり広がりました。若い頃は、哲学や思想について書かれた本は苦手だなあ、難解だなあとずっと思ってきたのですが、いろいろな本を読んでフランス文学の研究を重ねていくにつれ、哲学や思想の本からでしか得られないものがあると気づきました。

フランス文学者・書評家 鹿島茂氏

読書家には大きく2つのタイプがいるように思います。若い頃に抽象概念について書かれた本を読み漁って、晩年になると具体的な物事について書かれた本が好きになるタイプ。片や、僕のように若い頃はいわゆるオタク的なジャンルで読書を始め、年を取ると興味がだんだんと収斂されて抽象概念の本を読むようになるタイプです。

楠木
つまり鹿島さんは、興味を持って一冊の本を読むと、そこから新たな興味が生まれる。この繰り返しで、結果的に興味の連鎖が起きて、読書の幅が広がっていく。「自分の専門はこれだ」と決めて、それを基準に読む本を選ぶスタイルではない。

一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授 楠木建氏

鹿島
僕がよくやる本の選び方は、ワンフロアしかない、ただしありとあらゆるジャンルが揃っている大きな書店に行く。そこをぐるっと一周して、例えばビジネス書とかグラフィック、文学……ジャンルを問わず面白そうな本を手に取って、買い物カゴに入れていく。渋谷の東急百貨店本館7階にあったMARUZEN&ジュンク堂書店、ああいうタイプの書店が好きなのですが、残念ながら今年1月に閉店してしまいました。僕にとっては大打撃でした。

楠木
最近よくいらっしゃる書店はどちらですか。

鹿島
神保町にある東京堂書店の、新刊コーナーがある1階によく行きます。いつもだいたいのジャンルの新刊が揃っているので、そこを見て回っています。

楠木
読書は、どういう時間帯に、どういう場所でなさっていますか。

鹿島
自宅で、午前中から午後にかけて本を読んで、夜に執筆しています。だんだん年を取ってくると頭の中がクリアな時間帯が限られてくるので、睡眠は充分にとる。で、日中に読書をする。よく、「どうしてそんなに本をたくさん読めるのですか?」と聞かれるのですが、それは書評を書くからです。

楠木
因果関係が逆なんですね。

鹿島
若いときはかなり自由なペースで読んでいましたが、今は書評の原稿締め切りがあるので、「読まなきゃいけない」というプレッシャーがある。すると、人間、読むんです。試験勉強も、締め切りがあるから頑張れるわけでしょう。締め切りがなかったら、ここまで読まない(笑)。

楠木
ちなみに、いつもどんな姿勢でお読みになるんですか。

鹿島
肘掛け椅子に座って読むことが多いです。先日、本の位置に合わせて照射する角度を自動調整できるライトをいただいたので、重宝しています。

PASSAGEが入っているビルの3階にあるカフェ「PASSAGE bis!」

引用という訓練

楠木
僕は読んでいて気になった箇所にペンで線を引く読書スタイルなのですが、鹿島さんは本を読んでいる最中、メモを取られたりしますか。

鹿島
メモは読み終わってから付けます。読んでいる最中は、気になったページに折り目を付けて、あとからそのページをチェックします。当然、処分するときに古本屋が引き取ってくれないのですが、そんなことに頓着せずずっとその読み方で来ました。ただ、今はPASSAGEの棚に置けば、折り目が付いている本のほうがむしろ価値が付きます。

僕とは対照的に、フランス人はこまめにメモを取りながら本を読みます。で、彼らは自分ではあまり本を持たない。

フランスでは、哲学級――高校の最終学年になると、バカロレア(大学入学資格試験)でディセルタシオン(dissertation)という小論文を課されます。例えば「自由について論じなさい」というお題だったら、論文の中に「自由について、〇〇〇〇はこう言っている」という引用を、少なくとも3人の著作から採らなくてはいけないのです。

もちろん試験会場で書くわけですから、普段の読書の中で、引用に使えそうな箇所を覚える訓練が必要です。本を読んでいて「自由」に関する記述があったら、読書ノートに書き留めて記憶する。とにかくいろいろな本を当たって、小論文に引用したいと思った箇所をすべて書き留める。デカルト(※1)からサルトル(※2)に至るフランスの伝統的な読書法です。だから、本を買って手元に置かずとも、読書ノートをひらけば自分が読んできた本の内容がわかる。フランスにはこのタイプの読書をする人が多いです。

※1 ルネ・デカルト(1596年~1650年)。フランスの哲学者、数学者。近世哲学の祖として知られる。
※2 ジャン=ポール・サルトル(1905年~1980年)。「実存主義」という哲学思想を提唱した、フランスの哲学者、小説家。

僕は昔から記憶力に自信があったのでそういうふうにメモを取ることは少なかったのですが、近頃は当てにならないので、そろそろフランス人のようにメモを取ろうかと思っています。

書評の効用

鹿島
引用は重要な作業です。引用から成る書評こそベスト、というのが僕の持論です。引用が上手くできていれば、その本を完全に説明できるわけです。

楠木
そこには大変なセンスと技量が必要だと思います。引用と聞くと、もともと本にある文章を取って来るだけだからラクだろう――そう思われがちですが、書評の場合、与えられた文字数に限りがあるので、なかなか難しい。

鹿島
僕は書評を書くときに、書き手の思想を凝縮したレジュメをまとめます。そのときに欠かせない作業が引用です。実は引用にも本来2つの種類があります。

1つは、本に書かれている文章をそのまま引用する。もう1つはcompte-rendu(コント・ランデュ)と言って、本に使われている言葉を一言も使わずに、引用箇所の内容を自分の言葉で言い換える。この2種類の引用方法を、フランスの学生は徹底的に練習するのです。

コント・ランデュが下手だと、「わたしはそんなこと言ってない!」と著者から抗議されかねませんから、それなりに労力を要する作業です。でも、この作業をしっかりやれば、引用した文章がきちんと記憶に残るのです。

楠木
つまり、脳に定着するという感覚に近い。僕も本を読んでいて、「ああ、この文章面白いな。きっとこの本の書評を書くだろうな」と思った瞬間に本の読み方が変わる。「ここが引用すべきところだな」と、自分が書く書評の原稿をイメージしながら読んでいます。

鹿島
特に、若い人に書評を書かせることは非常に重要です。読書感想文を書かせるよりも、よっぽど意味がある。

楠木
書評と聞くと、学校で書かされる読書感想文のプロバージョンと思っている方が多い。ですが、実際はまったく異なる。書評こそ基盤的な知的訓練になります。(第3回へつづく)

「第3回:書評家という仕事。」はこちら>

鹿島 茂(かしま しげる)
1949年、横浜市生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。元・明治大学国際日本学部教授。専門は19世紀フランスの社会生活と文学。1991年『馬車が買いたい!』(白水社)でサントリー学芸賞、1996年『子供より古書が大事と思いたい』(青土社)で講談社エッセイ賞、1999年『愛書狂』(平凡社)でゲスナー賞、2000年『職業別パリ風俗』(白水社)で読売文学賞、2004年『成功する読書日記』(文藝春秋)で毎日書評賞を受賞。近著に『神田神保町書肆街考』(筑摩書房)、『この1冊、ここまで読むか!』『多様性の時代を生きるための哲学』(ともに祥伝社)など

楠木 建(くすのき けん)
一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授。専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授、同ビジネススクール教授を経て2023年から現職。有名企業の経営諮問委員や社外取締役、ポーター賞運営委員(現任)などを歴任。1964年東京都目黒区生まれ。

著書に『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2019年,宝島社,共著)、『室内生活:スローで過剰な読書論』(2019年,晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年,文藝春秋)、『経営センスの論理』(2013年,新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年,東洋経済新報社)ほか多数。

PASSAGE by ALL REVIEWS(東京都千代田区・神保町)

今回取材にご協力いただいたPASSAGE(パサージュ)は、地下鉄神保町駅のA7出口から徒歩1分、すずらん通りという古書街にある共同書店。店内の本棚には、300を超える「棚主」が思い思いにセレクトした古書や新刊が並ぶ。プロデュースした鹿島茂氏が主宰する書評アーカイブサイト「ALL REVIEWS」に登録している書評家をはじめ、出版社、特定のジャンルの古書を集めている個人など、棚主は実にさまざまだ。まずは、棚ごとにコンセプトが異なる店内をじっくりと見て回り、お気に入りの棚主を見つけてほしい。ちなみに、古書の価格設定もそれぞれの棚主が自由に行っている。お支払いはキャッシュレス決済(電子マネー、クレジットカード)のみ対応なのでご注意を。購入した本は、同じビルの3階にあるカフェ「PASSAGE bis!」に持ち込んでお読みいただくことも可能だ。古本の街に現れた新しいスタイルの書店、PASSAGE。ここに来れば、あなたが予期しなかった本との出会いがあるかもしれない。

PASSAGE by ALL REVIEWS
東京都千代田区神田神保町1-15−3 サンサイド神保町ビル1F
都営地下鉄三田線・新宿線、東京メトロ半蔵門線の神保町駅 A7出口徒歩1分

楠木特任教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける

「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。

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ご参加をお待ちしております。