一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授 楠木建氏
スキルよりもセンスが問われる経営者。企業にとって、経営人材を育てることは可能なのか。

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「第3回:他動詞か、自動詞か。」
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※本記事は、2023年3月1日時点で書かれた内容となっています。

経営において、戦略のストーリーを作れるかどうかはセンスの問題です。勉強してスキルを身につけて、いい戦略が作れたら苦労はありません。そうはいかないから経営者が要るんです。

センスは育てるものではなく、当人が磨いていくものです。育てられないけれども育つ。他動詞ではなく自動詞で捉えるべきです。

前回もお話ししたように、センスは文脈に依存します。ファッションセンスに近い。その人にどんなファッションが似合うかは、TPOという文脈に強く依存します。だから、センスの教科書は成立しない。仕事も同じで、文脈の中で自ら磨いていくしかありません。

経営人材に対して会社ができることは、その人が自分でセンスに磨きをかけるきっかけを与え、そのための土壌を耕すことです。その第一歩が、「センスがある人」が「センスがありそうな人」を見極める。見極めたら、ある商売の塊を丸ごと任せる。会社とは、事業という大小さまざまな商売の塊が入っている器のようなものです。実際に稼いでいるのは事業であり、会社そのものではありません。

社長がやっているのはその器のメンテです。投資家をはじめとするさまざまなステークホルダーと対峙する。どの事業を手掛けて、どの事業を手掛けないのかを決める。稼ぐという本来の目的からすると、会社はフィクションであり、リアリティは事業にしかありません。

企業の経営人材が育つ。これを手助けすることも僕の仕事です。一義的な対象は企業経営者ではなく事業経営者。こちらのほうが断然、需要が多い。本社の代表取締役社長は1人ですが、大きな会社の場合、事業経営者が100人ないし1,000人必要です。企業の収益力を決めているのは、本社の代表取締役社長の手腕と、商売の塊の数との掛け算です。大きな会社になるほど、収益力は事業経営者の層の厚みに大きく左右されます。

世間でプロフェッショナル経営者と呼ばれている人に、三枝匡さんという方がいます。僕が思うに、三枝さんは純度100%センスの人。本物の素晴らしい経営者です。この方がミスミグループという会社を経営していたときに実践していたのが「創って作って売る」でした。――創造・製造・営業がつねに連動して一気通貫で動いているのが、経営という仕事である。経営人材は、小さな事業でもいいので「創って作って売る」を回す経験をしなくてはいけない。事業経営を任せられる人材に育つまで、ほっといたら20年かかるところを、上手く土壌を耕して機会を与えれば10年足らずに短縮できる――三枝さんが提唱する「スモール・イズ・ビューティフル」の考え方です。

松下幸之助さんが若い頃、事業部制という仕組みを勘案しました。本社の機能を単なる器にとどめて、各事業部にかなりの権限を委譲する。それぞれの事業部があたかも1つの会社であるかのように動いていく。三枝さんと同じ発想です。社員がセンスのある経営者に育つ機会を、会社の中に提供している。

稲盛和夫さんがずっとおっしゃっていたアメーバ経営も、半分くらいは同じロジックです。センスが育つ好循環がある会社には、いい土壌がある。毎日の具体的な仕事の中で、センスがある人の一挙手一投足を社員は実際に見ることができる。「センスがあるってこういうことなんだ」と気づける。それは仕事という文脈に依存しているので、とても教科書には書き切れません。

僕と同年代の知人で、ある金融機関で働き続け、役員になった女性がいます。この方は男女雇用機会均等法の施行とほぼ同時期に総合職で入社しました。当時、金融機関で働く女性のほとんどが一般職入社の事務職員。総合職の男性社員からは「女性のキミに何ができるんだ」という目で見られ、一般職の女性社員からは「総合職だからって偉そうに……」といじめられる日々だったそうです。

配属された支店で、その方は仕方なくお茶くみをします。この経験がその後のキャリアに非常に役立ったと言います。その支店では、重要なお客さまが来ると応接室で支店長と込み入った話をしていました。その方は、お客さまにお茶を出したあと横で話をずっと聞いていたそうです。

すると、支店長がお客さまによって話の展開や声のトーンを変えていることに気づきました。あるときは標準語で、あるときは大阪弁でと、いろいろと気になる点が見えてきた。これ、全部センスなんです。金融機関の法人営業において一番肝心なことが何なのか、この方は支店長を観察することで勉強できたと言います。

経営者にもこの観点が必要です。「センスがある人」をきちんと見極められていないと、断片的なスキルだけを見て「彼は仕事ができるな」と判断し、重要なポストを与えてしまう。もうみんなが不幸になります。こういう会社はますますスキルに走り、ますますセンスが劣後して埋没していきます。

僕が『ストーリーとしての競争戦略』を書いたときに多かったのが、「実用的じゃない」という反響でした。優れた戦略の条件はわかった。じゃあどうやったら優れた戦略を作れるのか。肝心の作り方が書いてないじゃないか――。いまだにそういう声をいただき、その都度僕の中のカスタマーサービス部門が対応しています。

僕があの本で試みたのは、「筋がいい」とはどういうことかの言語化です。芸術作品とまったく同じで、「この映画はなぜ優れているのか」を説明することはできても、「こうやったら優れた映画が出来ますよ」という教科書はない。

まずはシンセシスが必要です。できるのは、数多くの優れた映画を読み解いて、なぜそれが優れているのかを理解し、見抜くことです。いろいろな作品を見ているうちに、だんだんとセンスが磨かれていく。戦略もまったく同じです。センスは育てられない。でも育つ。育つための土壌を耕すことはできる。これが僕の結論です。(第4回へつづく)

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楠木 建
一橋ビジネススクール特任教授(PDS寄付講座・競争戦略)。専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授、同ビジネススクール教授を経て2023年から現職。有名企業の経営諮問委員や社外取締役、ポーター賞運営委員(現任)などを歴任。1964年東京都目黒区生まれ。

著書に『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2019年,宝島社,共著)、『室内生活:スローで過剰な読書論』(2019年,晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年,文藝春秋)、『経営センスの論理』(2013年,新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年,東洋経済新報社)ほか多数。

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「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
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