松岡正剛氏 編集工学研究所所長、イシス編集学校校長、角川武蔵野ミュージアム館長/山口周氏 独立研究者・著作家・パブリックスピーカー
国際秩序の動揺により民主主義が危機に瀕し、資本主義の限界もささやかれる混迷の時代に、課題克服の手がかりとして「日本的なるもの」への注目が高まっている。編集工学者の松岡正剛氏は、日本の歴史、文化への深い造詣を背景とした独自の日本論を展開し、かねてから日本は「方法の国」であると指摘してきた。松岡氏は昨今の日本への期待をどのように捉えているのか。日本の文化、精神の核心にあるもの、方法日本の可能性をひらくために必要なものとは何か。山口周氏が編集工学研究所の「本楼」を訪ね、語り合った。

「第1回:『負から成る』ことの大切さ」
「第2回:『家』で成り立ってきた日本」はこちら>
「第3回:『仮』への確信を持つべき」はこちら>
「第4回:情報の複合性、複雑性に目を向ける」はこちら>
「第5回:世界の『別様』としての日本」はこちら>

よみがえりの国

山口
最近読んだ一冊に、アメリカの思想家モリス・バーマンの『神経症的な美しさ:アウトサイダーがみた日本』(慶應義塾大学出版会)がありまして、その中で彼は、アメリカ型の資本主義が限界を迎えている今、日本こそがポスト資本主義のモデルになり得ると書いていました。またWEF(世界経済フォーラム)でも、先進国を中心に成長の限界が見えてきた中で、今後の世界のお手本としての日本に対する期待が語られています。確かに日本は先進国の中でも比較的早く経済成長率が低下したものの、社会秩序や教育水準は維持され、幸福度も大きく低下しているわけではありません。そうしたこともあって、あらためて日本という国のあり方や、考え方に注目が集まっているようです。

一方で、国内ではとかく日本は海外より遅れているといった言説が飛び交い、日本とは何かを積極的に発信しているわけでもない、お寒い状況に見えます。松岡さんは長年にわたって独自の「日本論」を展開してこられましたが、今、日本が注目されている状況をどのようにご覧になっていますか。

松岡
バーマンに限らずアーヴィング・ゴフマン(カナダの社会学者)やアンドレ・マルロー(フランスの作家・政治家)など、日本を評価する欧米人は昔からいましたし、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと言われた時代もありましたが、僕は海外からの日本への期待も、日本がみずからをグローバルに拡大することへの期待も、どちらもズレていると思っています。

一番の問題は、その期待されている日本が何を持っているのか、何をミスしたのかを、日本人自身が自覚していないことです。世界認識、政治、経済、芸能やアート、科学や技術に関して日本的であるということやその価値をどのように説明するのか、詰められてもいないし、共有もできていない。たとえば空海、世阿弥、新井白石、本居宣長、清沢満之、内村鑑三などの先人の仕事を海外にうまく説明することもできていない。海外からの日本への期待に応えたいという気持ちは分かるけれども、今はその中身が伴っていません。

だから日本の特色を発揮したいと言うならば、これまでの思想や理論を本気で組み立て直す努力をしなければならないと思います。

山口
今のお話からすると、日本人は戦後の高度成長期とバブル景気を経たことで、みずからを顧みなくなったのかもしれないですね。それは「死者」に対するリスペクトを失ったということ、つまり先人たちが築き上げてきた制度や、経験から学んだ知恵といったものを軽んじるようになったためではないかと思います。その大きなきっかけが先の大戦だったのではないでしょうか。日本における死者との向き合い方、過去の取り上げ方は、あの敗戦によって難しくなり、そこからの復活の過程でボタンの掛け違いが生じたのではないかと。

松岡
まずその「復活」について言うと、『古事記』でイザナギはイザナミを追って死者の国である「黄泉」を訪れ、イザナミの姿を見て逃げ帰るわけですね。この「黄泉帰る」が「よみがえる」、息を吹き返すとか、死やそれに近い壊滅状態や敗北状態などから復活するという意味で使われるようになった。日本の歴史を振り返っても、度重なる地震や津波などからよみがえることを繰り返してきました。

喪失に目を向ける

松岡
イザナギの黄泉帰りは、日本の国の成り立ちと深く関係しています。黄泉へ行ったことで穢れてしまった身を清めている中でさまざまな神が生まれ、最後に目と鼻を洗っているときにアマテラス、ツクヨミ、スサノオの三貴子(みはしらのうずのみこ)が生まれた。日本の神々は穢れを祓う行為によって生まれたわけです。生まれた、と今の言葉では言うけれど、もともとは神々が「成れる」と書かれていました。

政治学者の丸山眞男が気づいたように、「つくる」とか「うむ」ではなく「なる」ことが重要だった。ユダヤ・キリスト教で言う創造とか、誕生やピュシス(自然)という概念とも違う、英語のbecomingに近い。ゼロから生じるのではなく、何かが何かになる。そして、そこには穢れのような「負」の状態がいったん介在していることに意味がある。

そう考えると、マイナスを怖れるべきではない。むしろ「負から成る」ことの重要性を、日本人は歴史的に認識していたはずです。ところが日中戦争に突入し、太平洋戦争に敗けた後、日本社会は慌てふためいて再建された。それだけでなく、アメリカの指導によって社会制度も欧米型に転換したために、ごく簡単に言うと、かつてできていたはずの敗北からのよみがえり、「負から成る」組み立てができなくなってしまったんです。

よみがえりには、失ったものについての理解、深い認識が必要です。山口さんが言う死者ということだけでなく、失ったものに対する哲学、思想をもう少し持たないといけない。たとえば、「家」を中心とする家族・社会構造をはじめ、近代化の中でなくなったもの、廃止したものがいろいろあります。そのたくさんの歪曲と喪失というものに目を向け、それを踏まえて新しい社会を組み立てなければいけなかったのだと思います。

僕が『日本流』(ちくま学芸文庫)の中に書いたように、大正6(1917)年に鈴木三重吉が創刊した「赤い鳥」をきっかけとして日本に童謡というものが生み出されました。西条八十の「かなりや」、北原白秋の「雨」、清水かつらの「叱られて」、野口雨情の「雨降りお月さん」など、その頃の童謡は哀切のある歌ばかりです。その背景には西洋音楽を範として明治期末につくられた尋常小学唱歌への反発がありました。世界に満ちているのは明るく楽しく幸せなことばかりではない、「負」の感情、フラジャイル(か弱い)な感覚が大切なのだということです。

日本には負からの表現が肯定につながるという仕組み、趣向がある、そういうことを含めた多様な流儀を僕は「日本流」と呼んだわけですが、近代化に伴って起きた喪失に対するもっと激しい思想を持たない限り、日本というものを自覚して再構築し、あまつさえ海外に理解してもらうことなどできないと思います。(第2回へつづく)

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松岡 正剛(まつおか せいごう)
1944年京都市生まれ。早稲田大学仏文科出身。東京大学客員教授、帝塚山学院大学教授を経て、編集工学研究所所長、イシス編集学校校長。1971年に伝説の雑誌『遊』を創刊。日本文化、経済文化、デザイン、文字文化、生命科学など多方面の研究成果を情報文化技術に応用する「編集工学」を確立。日本文化研究の第一人者として「日本という方法」を提唱し、私塾「連塾」を中心に独自の日本論を展開。一方、2000年にはウェブ上で「イシス編集学校」と壮大なブックナビゲーション「千夜千冊」をスタート。

著書に『知の編集術』(講談社現代新書)、『花鳥風月の科学』(中公文庫)、『日本流』(ちくま学芸文庫)、『日本という方法』(NHKブックス)、『多読術』(ちくまプリマー新書)、シリーズ「千夜千冊エディション」(角川ソフィア文庫)、共著に『日本問答』(田中優子、岩波新書)、『読む力』(佐藤優、中公新書ラクレ)ほか多数。

山口 周(やまぐち しゅう)
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。

著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)、『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』(プレジデント社)他多数。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。