一橋ビジネススクール教授 楠木建氏
楠木氏が提案する、これからの雇用のあり方とは。着目したのは、従来の日本の企業経営が依存してきた変数である「年齢」だ。

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「第4回:年齢無用論。」

※本記事は、2022年12月7日時点で書かれた内容となっています。

今回はこれからの雇用のあり方について、具体的な提言を行いたいと思います。会社が仕事の組織である以上、働く側にとってのやりがいは2つしかありません。「いい仕事」と「いい給料」。ただ、人によって能力も違えば得意・不得意も異なる。そもそも自分がどういうキャリアを歩みたいかも人それぞれ。経営側は手間暇をかけてでも、従業員一人ひとりを理解していかなくてはいけません。ここに最近になって叫ばれている「エンゲージメント」の本来の意義があります。

まずはワーク・ライフ・バランスという考え方をやめにする。そもそもワークとライフは、バランスをとるべきものではありません。含む・含まれるの関係、Work as a part of Lifeです。その人の人生があり、そのうちの1つの要素として仕事がある。仕事は人生の一部でしかありません。経営側は、従業員個人の考え方をよく理解する必要がある。そのうえで、仕事を発注し、給料を先に提示し、従業員ときっちり合意を形成し、仕事の成果を事後的に評価する。で、次期のその人の仕事についての期待を本人に伝え……この繰り返しです。このサイクルを回していくためには、その1でもお話しした、やりだすと果てしない評価コストをきっちりかけられるかどうかが、分かれ目になります。

今の時代、ますます生産人口が減って人手不足は間違いなし。きちんと評価しないと従業員はよその会社に移ってしまう。経営に対して労働市場からの規律が作用するようになりました。これはとても健全な話です。働く側にとっても自分がきちんと評価されるか、来年どんな仕事を任されるのかが気になる。こうしたお互いに緊張感がある関係は、会社が仕事の組織である以上当たり前です。

僕は、日本の伝統的な企業経営は年齢という変数に過剰に依存していると考えています。そこには真っ当な仕事の組織の論理がありません。年齢という変数を使う経営はある意味で異常に効率がいい――。従来の雇用と人事管理のシステムは、年齢をいわば「オールマイティーカード」として使い倒してきました。このカードを切り続けている経営者にしてみれば、客観的で透明性の高い指標である年齢は実に使い勝手が良い。良すぎるのが問題なのです。本来必要なはずの経営努力をしなくてもいいような錯覚に陥ります。

戦後復興から高度成長期の「日本的経営」は確かにイノベーションでした。ただし、それが年齢という異様に便利で手っ取り早い変数に基づいていたことが、さまざまな禍根を残している。経営コストの過剰な節約が本来の経営の根源を削いでしまったという面があるというのが僕の考えです。

僕が提案するのは、従業員一人ひとりの年齢が一切わからない仕組みにすることです。社会保険とか厚生年金のように、その人の戸籍として生年月日が必要な場合は別として、通常の仕事の局面においては、Aさんという従業員が果たして何歳なのか、だれにもわからない。「何歳ですか」「何年入社ですか」と聞いたら最後、「トシハラ」つまり年齢ハラスメントで即時懲戒免職。

こうなると一切、年齢というオールマイティーカードを使えなくなります。無理矢理年齢に置き換えることなく、その人はどういうことができて、何がしたくて、どういう成果を上げて……と、本来の仕事の組織の視点でその人を見られるようになる。

当然、定年制度も全廃です。これも経営能力を大きく阻害する要素です。この際そこまでやらないと、年齢というカードがあまりにも便利なために、年齢に依存した雇用に流れてしまうと思います。

多くの国では、年齢を基準とした雇用はage discrimination(年齢差別)といって、人種差別と同等にやってはいけないこととされている。なぜなら、本人の能力には関係がないからです。年齢を基準にした雇用は論理的には正当化できません。

少なくとも僕自身の内面は、20年前と比べて何ら変わっていません。たいして成長していませんが、それほど衰えてもいない。ただ、10年後、70歳に近くなってくるとさすがに頭も体も気力も衰えてくるかもしれません。

歳をとるうちに若い頃のような仕事はできなくなる。その人にできることが変わってくるので、「もうその仕事はあなたに任せられません。こっちの仕事をお願いします。給料はこのくらいしか出せませんが……」となる。「だったら、もっと自分を必要としている別の仕事に移ろうかな……」。僕はそれでいいと思います。

年齢という物差し自体が間違っているのですが、それ以上に、年齢というカードを残してしまうと、経営側が本来やるべきことをサボってしまう。これが経営力の劣化をもたらします。それを防ぐための方策が「年齢が一切わからない仕組み」です。

もちろん、中には経験を重ねないとできない仕事もあります。そこには確かに年齢が関わってきますが、年齢がそうさせているのではなく、経験がそうさせているんです。それを年齢の問題にすり替えてはいけない。年齢を基準にしたマネジメントは確かにラクですが、そこに逃げてはいけない。ここでラクをしてしまうと元も子もなくなる。僕が「年齢無用論」を主張するゆえんです。

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楠木 建
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。

著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020、日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

楠木教授からのお知らせ

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この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

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「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
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