一橋ビジネススクール教授 楠木建氏

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※本記事は、2021年8月5日時点で書かれた内容となっています。

経営に「法則」はない。それでも「論理」はある。では、論理とはいったい何か。それは、あっさりいえば、「要するにこういうことだよね」ということです。普遍的再現性のある一般的な因果関係、科学のように法則を示すのは難しいことでも、「要するにこういうことだよね」というものの見方を提示することはできます。

前回も話しましたが、競争戦略は、要するに違いをつくることです。成功している戦略があるとする。傍目に見れば、それが成功していることはよく知られている。みんながそれを模倣すると違いがなくなってしまう。だとしたら、違いはなぜ維持されるのか。あくまでもケースバイケースですが、僕が注目する論理は「一見するとそれ自体非合理に見える要素が戦略の中に入っているから」というものです。競争相手がそれを非合理だと認識するがゆえにむしろ模倣を忌避する。「真似できない」のではなく「真似しない」。だから結果的に違いが残るのではないか――大まかに言えば、これが僕が『ストーリーとしての競争戦略』で提示した論理です。

これはもちろん一般法則ではありません。それでも「要するにこういうことなんじゃない?」という見解を示すことはできる。これが僕のいう「論理」です。ブランド力が大切だ、グローバル化が重要だというのは、言うまでもない話です。言うまでもないことを言っても無意味です。しかし経営には、幸か不幸か科学的な法則はない。「無意味」と「法則」の中間にあるものが、論理、ロジックだと僕は思っています。

論理の価値とは何か。「そう簡単には変わらない」ということです。世の中には、いつでも「今こそ激動期だ」「100年に一度の危機だ」と騒ぎたくて仕方ない人たちがいます。こういう激動期おじさんは、変化する現象を追いかけてばかりいる。で、目を回しているだけなんです。確かにいろいろなことが変化していきますし、コロナ騒動のように変化の程度とスピードが大きなこともたまにはあります。しかしそれに振り回された揚げ句の果てに、「判断は難しい」「意思決定はできない」では経営者は務まりません。

現象は変化するからこそ、経営者やビジネスパーソンには変わらない軸足が必要になります。それが論理だと僕は思っています。特にこのコロナ騒動のような事態になると、経営者の優劣が露呈します。それは論理の力の有無と言ってもいい。

僕の経験からいうと、優れた経営者の方は「いや、理屈じゃないですよ」とよく言います。ただ、そういう方ほど理屈っぽい。典型的な例が柳井正さんです。「理屈じゃないですよ、商売は」と、僕は柳井さんによく叱られます。何でこんなに理屈っぽい人に、理屈じゃないって言われなきゃいけないのかと思ったりもします。

優れた経営者の野生の勘というのは、確かに理屈ではないものです。しかしそれは、理屈がわかっている人でなければ、何が理屈ではないかがそもそもわからないはずです。何のどこまでが理屈かをよくわかっているからこそ、野生の勘が発達し、機能するのではないか。つまり「理屈じゃないから理屈が大切」だということです。

最近、二宮敦人さんという方が書かれた『世にも美しき数学者たちの日常』という本を読みました。自分とはまったく違う数学者の世界を垣間見ました。数学には一切ごまかしや嘘がなく、インチキは絶対に許されない。一切の曖昧さがない完璧な世界で生きている数学者は、本当に誠実な人間が多いそうです。

数学にも、わからない言葉を調べる数学辞典というものがあり、これを引くと必ず答えがわかる。国語辞典のように曖昧であったり複数の答えがあったりということが数学辞典にはない。なぜなら、すべてが厳密に定義されているからです。数学辞典を引いてわからない概念が出てくると、その概念をまた引く。これを繰り返していけば、必ずわかるところに行き着く。数学はきわめて平等で民主的な世界です。

そんな数学の世界でも、数学者の方々に言わせれば数学の研究の起点にあるのは「非論理的」なもので、その跳躍がないと面白い問いが見つからない。問いが見つかった後は、論理で行くので全部が平等で民主的な世界になるわけですが、論理を超えた直観としか言いようがないものが跳躍をもたらす。ずっと考え続けることで突然降りてくる。

将棋では、完全に読み切れているわけではないけれども、これは詰むっていう直観が働くそうです。これと同じように、数学においても論理や演繹(えんえき)的な積み上げではなく、まず「ここだな」ということが先にひらめく。そして、そこに行くにはこうだというように、ひらめきが事後的に論理で説明できるようになる。結局すべての起点にあるのは「直観」なのだと思います。

楠木 建
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。

著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

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