多摩大学大学院 経営情報学研究科 教授 紺野 登氏/日立製作所 研究開発グループ 社会イノベーション協創統括本部 統括本部長 森 正勝
目的工学によるイノベーションを提唱している多摩大学大学院教授の紺野登氏をゲストに迎え、日立の研究開発グループが2021年6月8日にライブ配信した「協創の森ウェビナー 問いからはじめるイノベーション」の様子をお届けする。1つめの問い「社会イノベーションとは?」に続き、その3では、「パーパスとはどういうものなのか?」という根源的な問いに対し、日立が過去に携わった英国鉄道プロジェクトを例にとり、紺野氏にお答えいただく。

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社会イノベーションとしてのイギリス高速鉄道プロジェクト

――2つめのトピックは「パーパス」です。日立が過去に携わったプロジェクトを目的工学の視点から読み解くことで、パーパスとは何か、パーパスとはこういうものなのではないかという議論を深めていければと思います。

そこで今回取り上げる日立の事例が、2017年に運行を開始したイギリスの高速鉄道プロジェクトIEP(IEP:Intercity Express Programme)です。運行ルートが電化路線(走行する列車に電気を供給できる路線)と非電化路線をまたぐため、両方で走行可能なバイモード車両への対応が求められるなど、高度な技術を必要とするプロジェクトでした。目的工学の観点から紺野先生にぜひコメントをいただければと思います。いかがでしょうか。

2017年に運行を開始したIEPの車両「Class 800」。

紺野
以前わたしがロンドンに滞在していたときには、定刻になってもなかなか列車が来ないという場面に何度も遭遇しました。おそらく現場のオペレーションにも課題があったのだと思いますが、それが組織全体に広まっていたのでしょう。

そこに日立さんによる新しい鉄道車両と保守サービスが実装されたことで、どんなインパクトが生まれたでしょうか。まず、小目的のレベルでは、列車が毎日定刻どおりに来るようになりました。当たり前のことじゃないかと思われるかもしれませんが、定刻運行が実現したことで、極端な話、「今日は列車が来ないから会社に行くのをやめよう」と思っていたような人たちが、毎日きちんと定時に会社に行くようになるかもしれない。そういった変化が社会に起きることで、地域の労働の質が向上するだけでなく、それまで疲弊していたであろう英国鉄道の組織そのものも正常化し、職員たちの労働の質が高くなります。すると、彼らの中に鉄道という仕事への誇りが芽生えてくるのです。実はここにこそ、このプロジェクトのパーパスがあるのではないでしょうか。

1990年代にわたしがデザインマネジメント(※)を研究してわかったことですが、例えば企業がデザイン思考を用いて新しいビジネスモデルの創出に取り組むと、そのビジネスが世の中に生み出すインパクトだけでなく、その企業の従業員にもたらすインパクトが非常に大きい。要するに、そこで働く人たちのプライドを高めるという効果がデザイン思考にはあるのです。

※ 経営学者である野中郁次郎氏が提唱する「知識創造理論」の考え方と、紺野登氏が提唱するデザイン思考(デザイナーの思考過程)を融合させた概念。

そういう視点で日立さんの英国鉄道プロジェクトを見ると、定刻どおりに列車を運行することで、例えば列車の整備をする方、運行のオペレーションをする方のモチベーションやプライドを高め、結果的に鉄道という産業セクターそのものを再活性化している。大・中・小の目的、すなわちパーパスがすべて絡み合ったソーシャルイノベーションのケースと言えます。

デジタルの時代における、モノづくりの意義


すごくよいお話をいただけました。プロダクトと社会との関わりは、直接的に目に見えるのが非常に難しくなっています。プロダクトの中では今、デジタルソリューションが全盛ですが、やはりユーザーとのタッチポイントにおいてどう機能しているのかが大事であり、それが社会に対して及ぼす影響が大きいということを、先生のお話を伺って改めて認識しました。

昨今、日本企業はモノづくりだけでは生き残っていけなくなるという声をよく耳にします。しかし、モノがないと社会に対して貢献できないこともたくさんあります。先生に解説いただいた英国鉄道プロジェクトのように、ストーリーを世の中に訴え掛けていくことが大事です。なぜそのプロダクトがないといけないのか。どう世の中に役立つのか。つまり、パーパスをきちんと訴えていく。特に、小目的の達成だけをめざしてやっている立場の人たちにとっては、そのプロジェクトがなぜ世の中に必要なのかが見えなくなってしまうことが多いと思うのです。プロジェクトに取り組むメンバー全体のモチベーションをアップするためにも、目的工学の視点からのプロジェクトのストーリー化を取り入れさせていただきたいと思いました。

紺野
もう1点、英国鉄道の事例からわたしが学んだことがあります。ある研究によると、製造業とサービス業を比較した場合、そこから生み出される知識をはじめとする無形資産の蓄積の度合いは、実は製造業のほうが高いのです。しかし、製造業がモノづくりのビジネスモデルだけやって知識を蓄えても、儲かりません。どうやってモノづくりの知識や方法を、サービス業のビジネスモデルに掛け算できるかがチャレンジなのです。その場合、必ずしも量産型の製品をつくることで価値を生み出すだけではなく、ひょっとしたらデザイン思考を用いることで、モノづくりの部分を温存しながらソリューションのようなサービスを生み出す。つまり、ビジネスモデルを変えることでモノづくりの力をイノベーションの創出につなげられるのではないか。お話を伺ってそんなふうに感じました。


まさにそういうことをやりたいと、我々思っています。ただ、ビジネスモデルを変えるには社員のマインドセットや会社のしくみから変える必要も出てきます。日立に限らず製造業全体にとっての課題かもしれません。

紺野 登(こんの のぼる)
多摩大学大学院 経営情報学研究科 教授。一般社団法人Japan Innovation Network(JIN)Chairperson理事、一般社団法人フューチャーセンター・アライアンス・ジャパン(FCAJ)代表理事、エコシスラボ株式会社代表。早稲田大学理工学部建築学科卒業、博士(経営情報学)。デザイン経営や知識創造経営、目的工学、イノベーション経営などのコンセプトを広めたほか、組織や社会の知識生態学をテーマにリーダーシップ教育や組織変革、ワークプレイス・デザイン、都市開発プロジェクトなどの実務にかかわる。また、FCAJやトポス会議などを通じてイノベーションの場や世界の識者のネットワーキング活動を行っている。2004年〜2012年グッドデザイン賞審査員(デザインマネジメント領域)。著書に『ビジネスのためのデザイン思考』、『知識デザイン企業』、『知識創造経営のプリンシプル』(野中郁次郎氏との共著)など多数。

森 正勝(もり まさかつ)
日立製作所 研究開発グループ 社会イノベーション協創統括本部 統括本部長。1994年、京都大学大学院工学研究科修士課程を修了後、日立製作所に入社。システム開発研究所にて先端デジタル技術を活用したサービス・ソリューション研究に従事した。2003年から2004年までUniversity of California, San Diego 客員研究員。横浜研究所にて研究戦略立案や生産技術研究を取りまとめたのち、日立ヨーロッパ社CTO 兼欧州R&Dセンタ長を経て、2020年より現職。博士(情報工学)。

ナビゲーター 丸山幸伸(まるやま ゆきのぶ)
日立製作所 研究開発グループ 東京社会イノベーションセンタ 主管デザイン長。日立製作所に入社後、プロダクトデザインを担当。2001年に日立ヒューマンインタラクションラボ(HHIL)、2010年にビジョンデザイン研究の分野を立ち上げ、2016年に英国オフィス Experience Design Lab.ラボ長。帰国後はロボット・AI、デジタルシティのサービスデザインを経て、日立グローバルライフソリューションズ㈱に出向しビジョン駆動型商品開発戦略の導入をリード。デザイン方法論開発、人材教育にも従事。2020年より現職。

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