一橋ビジネススクール教授 楠木 建氏

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※本記事は、2021年4月28日時点で書かれた内容となっています。

「絶対悲観主義」というのは、僕が行き着いた仕事に対する「構え」です。以前にもお話しましたが、僕は自分以外の誰かのためにすることが仕事で、自分のためにすることが趣味だと思っています。趣味というのは自分の世界で自分を喜ばせるためにやることです。仕事というのは、自分以外の他者に価値を提供して喜んでいただくことであり、したがって、あらゆる仕事には「お客さま」が存在します。

お客さまというのは象徴的な表現です。実際にお金を払ってくれる顧客だけではありません。組織の中で働いている場合でも自分の価値を必要としてくれる人はお客さまです。お客さまはコントロールできません。社長でもお客に自社の製品やサービスを無理やり買わせることはできません。相手がいる話なので、こちらの思い通りになるわけではない。うまくいくかどうかは、やってみなければわかりません。

事後的な成果は、コントロールできない。しかし事前の「構え」は自分で固められます。仕事にはこのようなある種の哲学が必要となります。それが僕の場合絶対悲観主義ということなんです。一言でいうと、「絶対に自分の思いどおりにはならないぞ」という意識でいるということです。「世の中はそんなにうまくはいかない」「いいことなんてひとつもない」という思いで事前に構えておく、これが絶対悲観主義です。何事においても「まあ、うまくいかないだろうな」と構えておいて、「でもちょっとやってみるか」。こういうスタイルなんです。

これを少し分析的に、2つの軸で考えてみます。ひとつの軸が「事前」「事後」です。もうひとつの軸は、「うまくいく」「うまくいかない」です。これを組み合わせると、4つのパターンができます。①は事前にうまくいくと思っていて、事後やってみたところ実際にうまくいったというパターン。②は事前にはうまくいかないだろうと思っていて、事後やってみたらうまくいったというパターン。③は事前にうまくいくと思っていて、事後やってみたらうまくいかなかったというパターン。④は事前にうまくいかないと思っていて、事後やってみたらやっぱりうまくいかなかったというパターンです。

私が考える仕事のスイートスポット、絶対悲観主義が追求するのは②のパターンです。うまくいかないだろうと事前に悲観的に予測していると、うまくいったときにすごくうれしい。①の事前にうまくいくと思っていて、やってみたら本当にうまくいったパターンよりも幸福度が高い。最悪なのが③のパターンで、事前にうまくいくと思っていたけれど、やってみたらうまくいかなかった、というのはつらい。これと比べると、④のパターンで事前にうまくいかないと思っていて、やっぱりうまくいかなかった方がずっとマシでしょう。

フランスの思想家のベルナール・フォントネルという人が「幸福の最も大きな障害は、過大な幸福を期待することである」という名言を残しています。これは絶対悲観主義の考え方そのものです。仕事というのは、いろんな利害を抱えている人が相手になります。それぞれに自由意志で動いているわけで、自分の思い通りにならない方が当たり前。思い通りになることがあったら、その方がむしろ例外だと思います。

仕事の現場では失敗をしたりうまくいかないことの方が多いのですが、負けは負けでまた違ううまみがある。僕の場合、負け慣れているので、負けを味わう能力が発達していまして、うまくいかなかったあとに「そうは問屋が卸さないか……」とつぶやくときなど、しみじみと味わい深い幸福感さえ覚えます。

結局のところ、仕事にはコントロールが効かない相手がいる以上、勝率というのはそんなに上がらないんです。野球みたいなもので、いくら経験を積み重ねたバッターでも、4割は打てない。それでも負け方は確実にうまくなっていくというのが僕の実感で、「やっぱりかっこいいな」「年季入ってるな、この人」と負けた時に思わせる人、負け方がきれいな人こそ本物だと思います。

絶対悲観主義にはいろいろ利点がありますが、そのひとつは仕事での実装がものすごくシンプルで簡単だということです。やるべきことは、マインドセットのつまみを思い切り悲観方向に回しておく。これだけです。仕事で結果を出そうとか事後のことを考えると大変なのですが、これは単なる事前の「構え」なのでもう自分の好きなように好きなだけ操作できる。だから、ここぞという時につまみの可動領域を思い切り悲観に振っておく。この時に万が一うまくいったら、めちゃめちゃうれしいですよね。だいたいは失敗することになりますが、初期設定からうまくいかないと思っているので、心安らかに負けを受け止めることができます。

絶対悲観主義で仕事をすると、わりと自然体で気楽に取り組むことができるという利点もあります。どうしても後回しにしてしまうとか、どうしても取りかかれないというのは、失敗できない、うまくやろうと構えるからそう思うわけです。絶対悲観主義には実は楽観的な面があって、「悲観」が「楽観」を生む。一石で二鳥、三鳥になるのが絶対悲観主義なんです。

楠木 建

一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。

著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

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