一橋ビジネススクール教授 楠木 建氏

※本記事は、2021年4月28日時点で書かれた内容となっています。

僕は中学生時代に、柔道部に所属していたことがあります。周りがみんな部活に入るので、自分も何かやらなくてはいけないのかなと思いまして、チームプレーが苦手で「声出していけよ」という世界が大嫌いな自分としては、個人競技という理由だけで柔道を選びました。

それでも部活は部活なので、しかも考えてみれば武道ですから、先輩後輩とか集団行動としての規律がいろいろとありまして、すぐに自分には向いていないことがわかりました。互いに自由に技をかけ合う乱取りという稽古では、寝技になると闘争心むき出しで「死ね」とか言ってくる人がいて、「こいつとは気が合わないな」と思いながら練習していました。結局そのうちに足が遠のき退部するのですが、この経験が自分の性格を知るうえで非常に役に立ったのです。僕は、闘争とか競争とか競技の勝ち負けというものに対して強いモチベーションが湧かない人間だということがわかりました。頑張りが利かない。根性がない。自分の特徴というか、弱点に気づかされました。

一方でその頃僕がしびれていたのは、映画の『007』で見たジェームズ・ボンドです。彼の何がかっこいいかというと、常に余裕しゃくしゃくだということ。本当に危機一髪の状況でも、ジェームズは平然と何事もないかのように危機をすり抜けて相手をやっつける。全然頑張っている感じがしない。ちょっと片方の眉を上げるだけで「はい、おしまい」。これがすごくかっこよくてしびれていました。

ジェームズ・ボンドはなぜ余裕があるのか。それはとてつもない胆力と能力があるからです。あるタスクを遂行するのに必要な能力が100だとしたら、ジェームズは200ぐらいある。このギャップの100が余裕しゃくしゃくという態度になるわけですが、僕の場合当然そんな能力はない。それでも、この際「余裕しゃくしゃく感」だけは出したい。どうなるかというと、100の力が必要なのに80しか出さないという行動に出る。主観的には「余裕しゃくしゃく」なのですが、本来100の出力が必要なところなので、うまくいかないという問題が起こるわけです。当たり前ですけど。

僕は子どもの頃からこのタイプで生きてきましたので、いろいろなことがうまくいかなかったのですが、唯一の利点は失敗しても「全力出してないから……」という言い訳が効くことです。客観的には、ただの「駄目なヤツ」でしかありません。そのうち大人になり、きちんと難局に直面し、さまざまな失敗をして世の中の厳しさを身に染みて学ぶことになったわけですが、頑張りが利かないという性分はなかなか変わらないものです。

そんな自分とはまったく違うタイプの人たちが、アスリートです。僕はスポーツやアスリートの世界をまったく知りませんが、ニュースで知る限りでいうと、水泳の池江璃花子選手は決してあきらめずに高い目標を設定し、限界まで突き詰めて挑戦している。こういうことができる人がアスリートであり、その世界で成功する人だと思います。

僕は正反対の性分なのでスポーツからはずっと縁遠いのですが、僕の好きな音楽の世界でもアスリート的な人はいます。例えば矢沢永吉というアーティストは、若い頃からものすごく高い目標を設定して挑戦し、のし上がっていきました。

ナポレオンは「余の辞書に不可能の文字はない」と言いましたが、僕の場合「余の辞書に挑戦の文字はない」。本当に挑戦から縁遠い人生を流れるように生きてきたわけですが、世の中池江璃花子さんや矢沢永吉さんのようなすごい人よりは、僕のようなタイプがむしろフツーなのではないか。僕の場合ちょっと極端に根性がないけれども、ただ世の中の8割方はフツーの人なのではないかと思います。今回は、そんなフツーの人に向けた仕事の哲学として、僕がベストだと考えている「絶対悲観主義」についてお話したいと思います。

楠木 建

一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。

著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

「第2回:悲観が生む楽観。」はこちら>

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