株式会社 日立製作所 執行役副社長 德永俊昭/インタビュアー:久保純子氏(フリーアナウンサー)
茨城県日立市に生まれ、日立製作所に勤める父を持ち、同級生の家族にも日立の社員が多い環境で育った德永さん。その就職先に迷いはなかったといいます。德永さんが入社して選んだ部門は、お父様が助言してくれたITの仕事。重電部門の仕事をされていたお父さまが薦めたITの魅力はどこにあったのか、そして、この度の代表執行役副社長就任の背景など、私、久保純子がリポートさせていただきます。

※2021年4月1日に德永の役職を変更しています。

入社のきっかけ

久保
今日はよろしくお願いいたします。德永さん、私は羨ましいです。德永さんがいらっしゃるカリフォルニアは、私の住むニューヨークとは違って温暖で、気候が良いですよね。私も10年前にカリフォルニアのパロアルトに住む機会があり、サンタクララやその近辺はよく訪れました。カリフォルニアの空気や太陽を楽しむお時間は持てていますか。

德永
そうですね、実は久保さんとは逆で、20年くらい前にニューヨークに住んでいたことがあり、その時はミッドタウンでビルばかり見て過ごしていたんですが、気候の良い西海岸に来て、雨季を外せばいつも空は青いですし、花や緑も豊かです。外に出る機会も自ずと増えました。

久保
お忙しいと思いますが、カリフォルニアの環境を堪能されていらっしゃるようで何よりです。

まず、德永さんのヒストリーからひも解いていきたいと思いますが。ご入社からの歩みを教えていただけますでしょうか。

德永
入社する前からお話ししたほうがいいと思います。私が生まれたのは、茨城県日立市で、日立製作所創業の地で生まれました。実は父親も日立製作所に勤めていて、しかも小学校のクラスの40人のうち、35人くらいは両親のどちらかが日立関係に勤めているという環境で暮らしていたので、いざ自分が就職先を考える時に日立製作所以外の会社は考えられなくて、何の迷いもなく就職したという感じです。一方、どんな仕事をするのかについては、父も自分と同じ重電部門の仕事に就いて欲しいだろうなと思っていました。ところが、父は意外と冷静だったんですね。「これからの時代はITだぞ」って。

久保
そもそもお父様が IT をお薦めになった頃は、まだ世の中にITが浸透していなかった頃だと思いますので、先見の明がありましたね。

德永
そうですね、父になぜ薦めたのかを尋ねたところ、10枚くらいのレポートで説明してくれたんです。いろいろなことが書いてあったのですが、ポイントを要約すると、「これから環境問題がクローズアップされてくると、化石燃料を燃やして二酸化炭素を出している事業はたぶん長続きしないだろう。一方で、IT技術はこの先どんどん進化し、未来に欠かせない分野になるだろうから、そこにいれば多くのチャンスに巡り合えるだろう」と、そんなことが書かれていました。日立の中にいた人間がそう言ってくれたのだから、非常に心強く感じました。以来、金融機関向けのシステムを皮切りに、エネルギーや鉄道の事業とITを組み合わせる仕事や、家電の事業、そしてまたIT部門に戻ってきたという感じで、基本はITですが、日立の幅広い事業を知るチャンスをもらったと思っています。

IT事業を率いるお気持ちは

久保
御社のホームページを拝見させていただくと、本当に事業内容が幅広いことに驚きました。ありとあらゆる分野になくてはならない存在になっていて、それらは一見違うように見えて、実は「IT」という共通項で括られていたわけですね。

德永
おっしゃる通りです。この時代なので、ITが必須だというのは、皆さん認識されていることだと思いますが、いろんな事業体に行ってみると、その事業体ごとにITの活用度であるとか、ITに対する習熟度というのに差があるわけです。けれども、ITを活用しないと事業が一段と変革できないとか、成長しないだろうということは、皆さん共通認識として持っているわけです。そのような意味からも、これまでの仕事の中でITの知見を持てたことは、自分にとって非常にラッキーなことで、これからも大切にしなくてはと考えています。

久保
遅くなりましたが、4月から日立製作所の副社長にもご昇格されるとのこと、おめでとうございます。また、IT事業を率いるシステム&サービスビジネス統括責任者にもご就任されるということで、今はどんなお気持ちでいらっしゃいますか。

德永
ありがとうございます。非常にありがたい機会をいただき、素直に表現すると、ドキドキしているというのが正直なところです。このドキドキというのには、2つの意味があります。1つ目の意味はIT事業こそが日立全体を成長させる可能性を持っていると思っていて、今重要な局面でその任に当たるということは、スタート地点に立ったランナーの心持ちに近いかもしれません。

そしてもう1つ。世の中の移り変わりが激しく先の見えない時代と言われていますし、実際に新型コロナウイルスでこれだけ世界が変わってしまうような状況です。言い換えれば、これまでの常識にとらわれず、すべてを新しく変えるチャンスだと思いますし、そんな時に日立の業績をけん引する事業の舵取りを担うという意味でドキドキしています。

久保
ワクワクされているのと同時に、緊張感もありますでしょうか。眠れない夜などありませんでしたか。

德永
はい、この立場になるよと最初に伝えられたその日だけは眠れませんでした。しかし、幸せなことに、私はたとえどんなに不安な時でも嫌なことがあっても寝ることができます(笑)。それで朝起きると気持ちもリセットされているという得な性分なんです。

德永さんの未来ビジョンとは

久保
同じタイプの性格だとわかって少し安心しました。ああ、もうダメだと思っても、次の日になると元気になっていたりして…。

すべてを新しく変えるチャンスだとおっしゃいましたが、どのようなビジョンをお持ちでしょうか。

德永
大きくは2つあると思っています。日立は創業当時から「優れた自主技術・製品の開発を通じて社会に貢献する」という企業理念を掲げてスタートした企業なんですね。創業当初は並外れたパイオニアリング・スピリットに溢れた若々しい会社だったと思います。時を経ると、お客さまや先輩方がこの会社を立派に育て上げたがゆえにということで、少し守りに入ったり、決定プロセスが複雑だったり、新しいことに挑戦しにくかったりと、どうしても負の側面も出てきます。その意味で、1つ目は創業当時のベンチャリング・スピリットやパイオニアリング・スピリットが再び感じ取れる会社にしたいと考えています。ご都合主義ではない、過去のやり方に縛られない新しい取り組みによって、大胆に変わっていこうということです。

もう1つは、お客さまから見た時に日立だったら自分たちの課題を解決してくれる、あるいは社会が抱える課題を何とかしてくれるという期待感、日本だけではなく世界の皆さまから、頼りにしていただける会社にしたいと思っています。

久保純子(くぼ・じゅんこ)

1972年、東京都生まれ。小学校時代をイギリス、高校時代をアメリカで過ごす。大学卒業後、アナウンサーとしてNHKに入局し、ニュース番組やスポーツ番組のキャスター、ナレーション、インタビューなど幅広く活躍。2004年からフリーアナウンサーとして、テレビやラジオに出演する傍ら、執筆活動や絵本の翻訳も手がける。日本ユネスコ協会連盟の世界寺子屋運動広報特使「まなびゲーター」を務め、2014年にはモンテッソーリ教育の資格を取得するなど、「子ども」と「言葉」、そして「教育」をキーワードに活動の場を広げている。現在は、家族とともにニューヨーク在住。

德永俊昭(とくなが・としあき)

1990年、株式会社 日立製作所入社、 2021年4月より、日立製作所 代表執行役 執行役副社長 社長補佐(システム&サービス事業、ディフェンス事業担当)、システム&サービスビジネス統括責任者兼システム&サービスビジネス統括本部長兼社会イノベーション事業統括責任者/日立グローバルデジタルホールディングス社取締役会長兼CEO。
2021年4月からは米国駐在から帰国し、国内拠点からグローバルビジネスを指揮している。

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