株式会社日立製作所 大澤 郁恵/渡辺 薫/経営コンサルタント・サクセスラボ株式会社代表取締役 弘子 ラザヴィ氏
新規顧客よりも既存顧客を重視するカスタマーサクセスでは、チャーン(離脱)防止が最大の効果だと認識されがちだが、実際にはそうではない。既存顧客が自社のより高額なサービスや自社の別のサービスをも選択すれば、ビジネスの維持を超え、成長をもたらすからだ。アメリカではカスタマーサクセスはすでに、経営陣が真剣に取り組むべき課題になっているという。

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離脱防止から、アップセル・クロスセルへ

渡辺
数年前には新しい概念だったカスタマーサクセスも、今のアメリカではだいぶ進化しているのではないでしょうか。この10年ほどの動きを教えていただけますか。

弘子
カスタマーサクセスという言葉がシリコンバレーでも市民権を得たのは2012年だと言われています。セールスフォース・ドットコムにカスタマーサクセスチームが誕生したのは2000年代の半ばで、他にも、今ではカスタマーサクセスと呼ばれている取り組みに2012年より以前から着手していた企業はあります。ただ、まだカスタマーサクセスという言葉はそれほど使われていませんでした。

では2012年に何があったかというと、スタートアップ(ベンチャー)で自ら、必死にカスタマーサクセスに取り組んでリーマンショックを乗り越えた人たちが、ベンチャーキャピタルを立ち上げて投資をする側にまわり、投資先に対して、「カスタマーサクセスに取り組むように」と指南したようなんですね。そこで一気に、カスタマーサクセスという言葉が使われるようになり、優秀なスタートアップほど、それを重視するようになったのです。

世界トップブランドのカスタマーサクセスのプラットフォームを提供するGainsight(ゲインサイト)がカスタマーサクセスに特化したコミュニティ「Pulse」をスタートさせたのが2013年です。

大澤
弘子さんは、2018年にそのPulseに日本人で初めて登壇し、地域単位の学習コミュニティ「PulseLocal」の東京支部長も務めていますね。

Photo by 秋山由樹

弘子
はい。その3年前の2015年には、GE(ゼネラル・エレクトリック)がGEデジタルを設立するにあたり、カスタマーサクセス人材を何百人という単位で採用しています。このときには、転職などに利用されることの多い世界最大級のビジネス特化型SNSのLinkedInにおいても、カスタマーサクセスという言葉が飛び交った。つまり、キャリアとしても注目されるようになったのです。

しかし、より本質的なことを言えば、アメリカでカスタマーサクセスが浸透した最大の理由は、既存顧客のチャーン(離脱)を防ぎたい企業が多かったからです。特に、BtoBでSaaSを提供している企業にとっては切実でした。セールスフォースはその代表です。

ただ、離脱防止だけに注目するというステージは、もはや過ぎ去っています。以前は、すでに買ってくださったお客さまに、できるだけその商いを継続していただき、チャーンをいかに減らすか、つまりグロスリテンション(商いの継続)の向上に注目が集まっていました。しかし、アメリカでは現在、カスタマーサクセスは収益に貢献しているという見方が主流です。アップセル(より高額な商品にシフトする)やクロスセル(別の商品も購入する)によるネットリテンション(商いの成長)に、カスタマーサクセスが大きく貢献することがわかってきたからです(図)。

セールスフォースは年間で約2兆円を売上げていますが、ここ何年かの成長率は20%に達しています。つまり、毎年約2000億円のACV(年間契約金額)が新規に発生しているということです。では、誰が2000億円を払っているのか。実はこのうちの73%は既存顧客からのACVなのです。

大澤
アップセルやクロスセルだけで4分の3近くを占めているのですね。

弘子
ですから、今は、既存顧客を重視することがカスタマーサクセスの究極のミッションだという流れになっています。対照的に、新規の顧客を開拓する営業スタッフは影響力を失ってきています。

カスタマーサクセスは特定部署の仕事でなく、経営戦略そのもの

渡辺
かつて、カスタマーサクセスは解約を防止する部署のものという位置づけでしたが、今は、経営戦略そのものになってきていると言えそうです。

Photo by 秋山由樹

弘子
その通りです。ただ、取り組んでいる方はおわかりだと思うのですが、減らないようにするのは比較的簡単なのですが、増やすのは難しい。他に売るものはあるのか、値付けはどうなのか、値付けの仕組みはどうなのか、こうしたさまざまなピースが複雑に絡み合うからです。だからこそ、経営課題になるのです。

大澤
アメリカではそうした現状がある一方、日本ではいかがでしょうか。弘子さんが2017年に日本の経営者にカスタマーサクセスについて話したときには「何それ?」というような反応だったそうですが、弘子さんの会社(サクセスラボ)が2019年12月に主催したイベント「Success4」には800人近くが集まり、ベルサール渋谷ファーストを会場に、大変、盛り上がりましたね。

「Success4」(2019年12月)で基調講演を行ったジェフリー・ムーア氏(『キャズム』著者)と弘子氏

渡辺
IBM、マイクロソフト、リクルート、住友生命、電通デジタルなど、大企業の社員が登壇し、このときに日本のカスタマーサクセスが大きく変わったような気がしています。私も登壇させていただき、日立のブースも設置させていただきました。

弘子
日本の経営者から門前払いされていた頃から比べると大きな進化です。ただ、私にとってはまだまだ1合目。日本ではカスタマーサクセスをご存じない方の方が大半だと思っています。しかし、2019年発行の私の著書『カスタマーサクセスとは何か』(英治出版)は2021年2月に入ってからも増刷するなど、動きが出てきたことは感じています。出版社の方によると、2020年秋口から売れ行きトレンドが増加に転じたそうです。

渡辺
アメリカでは2015年頃に見られていた変化が、日本では2020年に起き始めたということなのかもしれません。SaaS業界に限らず、製造業も含めた伝統的企業にも、カスタマーサクセスが一気に広まってきたと私自身も感じています。

弘子 ラザヴィ(ひろこ・ラザヴィ)

経営コンサルタント/サクセスラボ株式会社代表取締役
一橋大学経営大学院修士課程修了。公認会計士として数多くの企業実務に触れたのち、経営コンサルタントに転じる。ボストンコンサルティンググループでは全社変革・企業再生プロジェクトを、シグマクシスではデジタル戦略プロジェクトなどを牽引。2017年、スタンフォード経営大学院の起業家養成プログラム参加時にカスタマーサクセスに出会い、帰国後にサクセスラボ株式会社を設立。シリコンバレーのネットワークを活かし、カスタマーサクセスに本気で取り組む日本企業を支援している。情報サイト「サクセスジャパン」の運営を通して、カスタマーサクセスに関する情報の普及に努めている。著書に『カスタマーサクセスとは何か 日本企業にこそ必要な「これからの顧客との付き合い方」』(英治出版、2019年7月)。

渡辺薫(わたなべ・かおる)

株式会社日立製作所 社会イノベーション事業推進本部 エグゼクティブSIBストラテジスト
ハイテク企業で経営企画&マーケティングを経験したのち、90年代のデジタルマーケティングの黎明期にはエバンジェリスト&コンサルタントとして活動。その後、外資系ITサービス企業等でITサービスのマーケティング、コンサルティング等に従事し、2010年日立製作所に入社。超上流工程のコンサルティング手法の開発と指導にあたる。現在は、日立グループのデジタルトランスフォーメーションの戦略策定・実行のサポートと人財育成に注力している。

大澤郁恵(おおさわ・いくえ)

日立製作所 社会イノベーション事業推進本部 戦略本部第一部主任
日本学術振興会特別研究員としてオントロジー工学の観点からコミュニティ機能の研究に携わり博士号を取得(知識科学)。2016年日立製作所に入社し、社会イノベーション事業の社内推進業務に従事。現在、カスタマーサクセス活動の加速を目的とした社内コミュニティを立ち上げ、普及・推進活動に取り組んでいる。

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