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※本記事は、2021年2月4日時点で書かれた内容となっています。

どんな商売も、多かれ少なかれ競争に直面します。ほかができないこと、やらないことをやり、その違いを長期に持続することが競争戦略の根底にある考え方です。みんなが簡単にできることなら、そもそも違いになりませんし、すぐに追い付かれてしまいます。前回ご紹介した中神さんの本は、普通の人が考える水準からすれば「あきれるほどのコストをかけている」「腰を抜かすほどのリスクを取っている」、これがすぐれた競争戦略に共通の特徴だとしています。

極めて優れた戦略ストーリーの例として取り上げたいのが、ヤマト運輸の小倉昌男さんがつくった宅配便事業です。宅配便というのは、それまで存在しなかった事業です。まったく新しい事業をつくるという複雑な問題に直面すると、普通の経営者はすぐに箇条書きをします。物事の要因を列挙して、箇条書きによって優先順位を付けるとか、解を得ようとする。これが短期思考の典型です。箇条書きには「時間的な奥行き」がありません。

小倉昌男さんという経営者が戦略家としてつくづく優れているのは、箇条書き思考に陥らずにいつもその要因の間の因果関係、要因の間にある論理に踏み込んで、それが全体として作動するメカニズムをつくろうとすることです。あっさり言うと、「大局観」ですが、それは必然的に時間的な奥行きのあるストーリーになります。

小倉さんの戦略構想で核心的なポイントは、その宅配便事業の出発点で彼が「サービスが先、利益が後」という意思決定をしているところです。短期的に考えれば、サービスと利益はトレードオフの関係にあります。優れたサービスだと、コストがかかる。したがって、収益が減る。普通の人はトレードオフを受け入れてバランスを取ろうとします。これぐらいサービスを落とすとこれぐらいコストが減るという、ちょうどいいポイントを探そうとする。

でもこれは小倉さんにしてみれば、愚の骨頂なんです。トレードオフを受け入れるだけではだれもが同じところに収れんする。根本的な差別化にはなりません。小倉さんの「サービスが先、利益が後」は一見トレードオフを選択しているようでいて、彼の長期的な構想の中で両者をトレードオンに持っていくことに他なりませんでした。

単純な選択と集中というのは、矛盾を矛盾として受け入れているだけです。短期的にはサービスを取って、利益を捨てるということになる。ところが小倉さんの場合、まずは断トツのサービスに集中する。そのときに利益にはこだわらない。サービスが断トツであれば、荷物の受け手の満足度がまず高まる。満足した受け手は、宅配便という新しい荷物のやりとりの手段の価値に気づく。そうすると、次は荷物の送り手にもなってくれる。これによって受け手と送り手のバトンがつながっていき、新しいネットワークの事業経済性が動き出す。

小倉さんは論理的にこれを考え、実行したわけです。長期のストーリーを描くことによって、トレードオフだったものがトレードオンに転化する。大切なのは箇条書きではなくて、やるべきことのシークエンス、順列だということです。

目先のやるべきことを箇条書きにして、これを全部やれというのが最悪の経営です。もう少しまともだと、優先順位を付けて、これとこれはやってこっちは捨てろとなる。しかし、これも短期的な経営であることに変わりはありません。

Aがあり、そこにBが出てくる。Bが出てくることにより、Cが可能になるというシークエンスに戦略の妙味があるのであって、それは「優先順位を付けなさい」という話とは似て非なるものです。

「矛盾を、矛盾のまま、矛盾なく乗り越える」。これが長期的経営の神髄だと思うんです。「サービスが先、利益が後」というのは一見トレードオフに見えますが、長期的な視点でストーリーを組み立てることで結果的にトレードオンに転化している。小倉さんの戦略ストーリーには、本当にしびれます。

腰が抜けるようなリスクを取って、あきれるほどコストをかけるというのは、人間の本性との戦いという面があります。思いきりコストをかけてリスクを取っても、成功するという保証はない。誰でも恐ろしくなります。どんなに秀逸な戦略のストーリーでも、事前においてはあくまでも仮説なので、実際に成功するかどうかはやってみるまでわかりません。

ですから、長期思考で考える経営者にとっては、何かよりどころが必要です。すぐれた戦略ストーリーにつきものの恐怖、これを克服する上で何に頼ればいいのか。僕は、長期思考を支えるものは、「論理的な確信」しかないと考えています。どんなビジネス、どんな戦略構想も、最初は直感から生まれるわけですが、直感だけだとやっぱり恐怖には勝てない。小倉さんの場合は宅配便事業のストーリーに論理的な確信を持っていた。だから、はたから見るとものすごい勇気のあることを実現できたのだと思います。

楠木 建

一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。

著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

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