一橋ビジネススクール教授 楠木 建氏

今回のテーマは「オーラ」です。以前に、「しびれる」という話をしました。頭で考えるのではなく、いきなり問答無用の快感が走る「しびれる」という感覚。世にいう「オーラ」もそれに似ていて、会った瞬間にいきなり感じるものだと思います。

しかし、この「オーラ」というのは、受け手の側が勝手に感じるもので、その人が「オーラ」を出しているわけではない、というのが僕の結論です。当人にはそのつもりはまったくないのに、まわりの人が「わっ、オーラが出ている」と言っているだけに過ぎない。

そう思うようになったきっかけは僕の若い頃の経験です。僕が、30歳前後の頃だったと思います。もうバブルは崩壊していましたが、銀行は今のような「スリーメガバンク」にはなっていない時代です。今と比べれば、当時の銀行はのんびりしていて、頭取に昇りつめた人や役員を経験した人たちが、頭取の現役生活を終えた後でも、相談役や顧問という肩書で会社に残っていました。そういう人たちのための特別な部屋もありまして、社用車で会社に来るとそこにいるわけです。相談役と言ってもそうそう相談を持ち込まれるわけではないので、新聞を読んだりしてゆっくりしている。仕事はないけれども、会社にはポストがあり、居場所があり、車もある。銀行に限らず、当時の日本の大きな会社では、事実上引退した人たちに対してそういう「福利厚生」を提供していたものです。

ある銀行の相談役や顧問の方々の昼食勉強会に呼ばれたことがありました。いろいろなジャンルの人を呼んで、意見交換をするという建て付けなのですが、一言でいうと暇つぶしです。そこに、何も事情のわかっていない僕が出かけて行ったわけです。

そこにいたのは全員おじいさまで、中には、日本史の教科書に載っているような戦後復興を支えた元大バンカーの方もいましたし、「社友」という肩書の人もいました。僕はその時まで「社友」というタイトルの存在を知らなかったので、「社友というのは……?」とお聴きすると、おじいさま曰く「ま、友達だな」。法人にも友達がいるということを初めて知りました。

高級なお弁当を食べながら、意見交換というか雑談をするわけです。何の話をしたかはまったく覚えていませんが、一段落した時に「我々もいろいろな経験をしてきている。こういう機会はあまりないだろうから、若い君から何か聞きたいことがあれば、質問したまえ」と一人の方がおっしゃいました。僕はその時には、「この人たちとは二度と現世では会わないだろう。会うとしても来世だろう」と思い、こんなぶしつけな質問をしてみたんです。

「せっかくなのでお聞きしますが、みなさんは、今現在のご自身の存在をどうやって自己正当化しているのですか」。いま考えれば本当に失礼な話なのですが、若かったこともあって、こうしたおじいさまの存在が釈然としなかったんですね。彼らが顧問として会社に来るということは、それなりのコストがかかっている。人件費や社用車のコストだけではありません。より大きな問題は、引退した人がこうして毎日会社に来ていると、階下の現役経営陣の意思決定に間接的にではあっても悪影響を与えるということです。なにしろ現役の人々はおじいさまたちから世話になっています。過去のしがらみが今の経営判断を鈍らせるということがあるのではないか。しかも、です。彼らが現役の時にも、最上階の顧問の部屋に当時のおじいさまがいたはずです。きっと迷惑な存在だったと思います。本店の皇居の見える最上階にいるご老人たちを、決してこころよく思ってはいなかったはずなのに、なぜ自分が引退してそういう立場になると、顧問や社友の肩書でのこのこ会社に来るのかを知りたかったのです。

さすがに向こうは大物です。僕のぶしつけな質問にも、「君、面白いこと言うじゃないか」といった感じで答えてくれました。みなさん、それぞれがいろいろと話をされました。ところが、一言で要約すると、「寂しいんだよ!」ということでした。

若造の僕は、さらに食い下がりました。「寂しいって言ったって、これは会社じゃないですか。株主から、顧問や相談役のコストをどう説明するのかと問い詰められたら、皆さんはどうこたえるのですか。」

すると、かつての大バンカーがおっしゃいました。「君は偉くなったことがない。だからわからないんだ」。なるほど!と腑に落ちました。そういえば、僕は偉くなったことがなかったのです。

元大バンカーは続けました。「君に偉くなるということがどういうことか教えてあげよう。それは、自分の体から光が出ているような気分になるということだ」と言うのです。ただし、それはキリストや聖人君子ではないので、本当に自分から光が出ているわけではない。朝、本店前に黒塗りの車でドアを開けて出てきた時に、「あ、頭取だ」とみんなが挨拶をする。受付を通れば、「あ、頭取だ」と空気が変わる。エレベーターに乗れば、やはり「あ、頭取だ」となる。要するに、みんなが自分に注目する、光はそれを反射しているだけなのだと言われたんです。ところが、そういう立場に慣れ親しんでいるうちに、確かに自分から光が出ているような気になってしまう。長年そういう光を出している気分でいた人間の「光を失った時の寂しさ」は、君にはわからないだろう、と言うのです。

実に率直。さすがに大物です。懐が深い。駆け出しの若造のチンピラがここまで失礼なことを言っているのに、正面から納得のいく深い話をしていただいて、さすが日本の戦後復興を支えてきた人物だといたく感動しました。

で、感動ついでに僕は質問を続けました。「なるほど、寂しいのはわかりました。だとしたら受益者負担主義で行こうじゃないですか。寂しい思いをしなくて済む今の状態を維持するために、相応の負担をしていただこうという話になったと仮定します。みなさんは、次の選択肢を銀行からオファーされたら、どれをお選びになりますか」

Aコース:名刺があり、社友とか相談役という役職名があり、それはどこで配ってもいい。ただし出社は認めない。そのためには、月額5万円をお支払いいただく。Bコース:会社に部屋は用意するが、秘書はなし、社用車もなし、これは月額10万円をお支払いいただく。(Cコースは省略して)S(スペシャル)コース:すべては今と同じで、秘書がいて、社用車が使えて、会社に部屋もポジションもあり、ゴルフの会員権とかも全部使える。ただしこれはコストがかかるので、年間2,000万円お支払いいただく。

「もし、こういうオファーがあったら、それでも寂しい皆さんは買いますか」と質問すると、ほとんどの方が「買うな」というのです。「キミ、もうちょっと安くならないの?」とか言う人もいて、一同爆笑となりました。この辺、ようするに「偉くなったことがない」僕には分からない感覚なのです。

「いろいろと失礼なことを申し上げましたが、大変勉強になりました。それでは、失礼します」と帰ろうとした時、先ほどの元大バンカーに話しかけられました。「君は若いから、さぞかし幻滅しただろう。ここにいるのは、今のポストから外れたら二度と会社に来ることはない、成仏できない人間ばかりなんだ。引退したら二度と銀行に来ない人もたくさんいるんだ。今日の意見はサンプルバイアスがかかっているということを忘れないでくれ」と言われたんです。あくまでも率直。戦後復興を支えた大物の観がありました。すっかり感動して銀行を後にした次第です。その後、その方々とは(現生では)お目にかかることもありませんでした。

このやり取りはまことに勉強になりました。「オーラ」というのは周りの人たちからの注目を反射しているだけだと知りました。その人がどんなに社会的に著名な偉い人であろうと、自らが何かを発する「オーラ」なんてものは存在しないと考えるようになりました。

楠木 建

一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

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