ロボットクリエーター 株式会社ロボ・ガレージ代表取締役社長 東京大学先端科学技術研究センター特任准教授 高橋智隆氏 / 株式会社 日立コンサルティング 代表取締役 取締役社長 八尋俊英
ロボットクリエーターとして、大企業とのコラボレーションをさまざまに経験してきた高橋氏。協創において重要なのは、外部の人間だからこその存在意義だと語る。社内のヒエラルキーに取り込まれることなく、自由に発言し、試作品などを通してビジョンを明確に示すことで、協創を成功に導いてきた手腕に迫る。

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社内のヒエラルキーに縛られない存在として

八尋
高橋さんは基本的にお一人でロボットづくりをされているそうですが、さまざまな組織と共同で開発もされています。その際、特に大企業とのコラボレーションにおいて苦労されたことはありますか?

高橋
あまりないですね。基本的に、僕が「受託」というかたちでは仕事をしないからでしょうか。つまり、共同開発の際、先方の企業の社長であったり、若手のエンジニアであったり、さまざまな立場の方と話をしながら取り組みますが、誰に対してもある意味、「僕がつくりたいものを押し付ける」、というと少し語弊があるかもしれませんが、そういうスタンスで進めています。

なぜなら、「どのようなものをお望みですか、クライアント様」と聞いた途端に、僕の存在理由がなくなってしまうからです。外部の人間だからこそ、その企業のヒエラルキーにとらわれることなく、社長に対しても物申すことができるし、若手の社員の意見も聞き入れることができる。一貫したモノづくりをするためには、そういう立場で臨むことが大事だと思っています。

この話をする際に、いつも引き合いに出すのがクリエイティブディレクターの佐藤可士和さんです。たとえ、その企業の中に可士和さんと同じような能力を持った人がいたとしても、ヒエラルキーの中に取り込まれた途端、上司などからいろいろ言われて、当初のコンセプトを貫き通すことができなくなってしまう。一方で、外部の可士和さんが言うのならそうしようと皆が従うし、万一、失敗しても自分たちのせいじゃなくて、可士和さんのせいだよね、と責任逃れできる。だからこそ、可士和さんが考えたコンセプトが邪魔されることなく、一貫して統一感のあるものができるのだと思っています。

僕はそのモノづくり版をやっていると思っていて、皆がそれぞれの立場からさまざまな理由でいろんな意見を言ってくるとき、調整弁としての役割を担うようにしています。たいていは、さまざまな意見をはねのけながら進めていくことになりますが。

八尋
皆の意見を集約して決めてしまうと、最終的には尖ったところがすべてなくなって、ファンの心を掴むようなものはできなくなってしまいますからね。

社内講演とプロトタイプでビジョンを示す

八尋
具体的にはどのような手順で進めるのですか?

高橋
一貫したモノづくりをしていくためには、最初の掴みが肝心です。そこで、僕は大きな組織と仕事をする際には、まず社内で講演をさせてくださいとお願いをします。

たとえば、取締役会などで紹介されても、堅苦しい雰囲気のなかでは盛り上がりませんよね。一方、社内で講演すると若手社員たちが笑ったり、驚いたりしてくれる。そういう場に偉い人を引っ張り出すと、その人たち自身も楽しめるし、若い人たちの反応を見て、「高橋氏の提案しているロボットはなかなかウケが良さそうだ」と可能性を感じてくれるわけです。

次に、プロトタイプを完全に自分一人でつくるようにしています。プロダクトレベルの外観で基本的なファンクションを全て備えたものをつくって見せると、「なるほどこれはいいね」「こういうのが欲しいよね」といった感じで、それがベンチマークになるのです。

八尋
プロトタイプが明確なビジョンとなって、皆を引っ張っていくわけですね。そういうものがないまま進めてしまうと、さまざまなものに対応はできるけれど、平均的で面白みのないものに仕上がってしまいます。

高橋
そうなんです。目標設定とビジョンの共有のためには、ゴールとなる現物を見せるのが一番早い。社長も若手社員も僕がつくったプロトタイプを見て、こういうものなのかと、一目で理解してくれるわけです。

八尋
ちなみにそのプロトタイプは、かなり完成品に近いものなのですか?

高橋
プロジェクトによっては僕がつくったプロトタイプをそのまま広告などに使い、そこからバラしてスキャナーにかけ、3次元データから金型をつくってコピーして量産化する場合もあります。あるいは、プロトタイプを提示して、方向性を確認した後で、量産のための設計を先方のエンジニアとともに一からやり直すこともあります。

RoBoHoN(ロボホン)誕生秘話

八尋
若い人が中心になって、互いにモックアップ的なものを見せ合いながら、組織の枠を超えて柔軟に対話できるような場やワークショップが増えれば、日本からもっとイノベーションが起こるような気がしています。しかし現実には、その核となる高橋さんのような方は稀有ですし、なかなか難しいですね。

高橋
アイデアがあって、実際にモノがつくれて、その先のビジネスも含めたビジョンを提示できる人はなかなかいませんからね。それが完璧にできれば、アップル創業者のスティーブ・ジョブズやテスラのイーロン・マスクになれるけれど、稀有だからこそ、彼らは特別な成功を収めたのだと思います。

八尋
高橋さんがつくられたロボホンはシャープから発売されていますが、鴻海精密工業の傘下になってからの製品ですか?

高橋
いえ、経営権が移る前の最後のプロジェクトです。本来ならこれが大成功してシャープ復活のきっかけになればと思っていたのですが、その起爆剤にはなりませんでした。

八尋
なるほど。私もシャープに在籍していたことがありますが、シャープには緊急プロジェクト(緊プロ)という制度があって、経営がうまくいかないときこそ、社長直下のプロジェクトとして全社横断的に技術を融合させてイノベーションを起こし、成功に導いてきた歴史がある。追い込まれた状況だからこそ、ロボホンのように、これまでにない新しい価値を提供できたのかもしれませんね。

高橋
携帯電話を扱う通信事業本部は広島にあり、本社から離れた自由な環境の中で開発できたのもよかったのだと思います。実は、一緒に開発に携わったシャープの方は、携帯電話に最初にカメラをつけた人だったんですね。当時は、携帯になぜカメラなんかつけるんだろうと思っていましたが、いまやスマートフォンにとってカメラはもっとも重要な機能の一つです。そういう先見の明のある方と一緒に仕事ができたことも刺激になったし、人、組織、進め方など、すべてがうまく進んだ事例だったと言えます。

(取材・文=田井中麻都佳/写真=Aterui)

八尋俊英

株式会社 日立コンサルティング代表取締役 取締役社長。中学・高校時代に読み漁った本はレーニンの帝国主義論から相対性理論まで浅く広いが、とりわけカール・セーガン博士の『惑星へ』や『COSMOS』、アーサー・C・クラークのSF、ミヒャエル・エンデの『モモ』が、自らのメガヒストリー的な視野、ロンドン大学院での地政学的なアプローチの原点となった。20代に長銀で学んだプロジェクトファイナンスや大企業変革をベースに、その後、民間メーカーでのコンテンツサービス事業化や、官庁でのIT・ベンチャー政策立案も担当。産学連携にも関わりを得て、現在のビジネスエコシステム構想にたどり着く。2013年春、社会イノベーション担当役員として日立コンサルティングに入社、2014年社長就任、現在に至る。

高橋智隆

ロボットクリエーター。株式会社ロボ・ガレージ代表取締役社長。東京大学先端科学技術研究センター特任准教授。大阪電気通信大学情報学科客員教授。ヒューマンアカデミーロボット教室アドバイザー。グローブライド株式会社社外取締役。1975年生まれ。2003年京都大学工学部卒業と同時にロボ・ガレージを創業し京都大学学内入居ベンチャー第1号となる。代表作にロボット電話「RoBoHoN(ロボホン)」、ロボット宇宙飛行士「キロボ」、デアゴスティーニ「週刊ロビ」、グランドキャニオン登頂「エボルタ」など。2004年から2008年まで、ロボカップ世界大会5年連続優勝。開発したロボットによる4つのギネス世界記録を獲得。米TIME 誌「 Coolest Inventions 2004 」、ポピュラーサイエンス誌「未来を変える33人」に選定される。

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