一橋ビジネススクール教授 楠木 建氏

「第1回:戦争と不健康。」はこちら>

マクロには平和、ミクロには健康が大切だと考えていまして、裏を返せば戦争と疾病、これが2大敵だという話をしています。

前回はマクロの戦争の話が長くなりましたが、本題である健康、これはミクロかつ個別的なものです。健康な人がいれば健康を害している人もいる。同じ人間でも、健康なときがあれば健康を損なっているときもある。僕もまあまあ健康なほうなので、健康である状態が自然になってしまっていますが、健康の有難みっていうのは失ってはじめてわかるという面があります。

自分を振り返ってみると、若いころは大きな病気はなかったのですが、12年前、42歳の厄年に、健康を害しまして、入院をしたり、頻繁に通院しなければならないことがありました。これ以外にも厄年には悪いことがばんばん起きました。その中でも一番良くなかったことは、あまりにも良くなくて口に出して言えません。それほど参ったなっていうことがありました。さすがに厄年はすごいなってシビれました。

で、そのときに入院したのが、ミッド昭和そのままみたいな病院でした。中にいる方はみんな親切でいい病院なのですが、設備は古く、建物もボロボロで、そこにいると結構暗たんたる気持ちになるわけです。これが僕にとってはとても良い経験でした。それまではやっぱり、ちょっといい気になっていたな、と反省させられました。つまり失ってはじめて健康の有難みがわかる。健康なときには何でもないことが、すごいうれしかったりする。

世の中こういうもんだよなと、人をおもんばかる気持ちが足りなかったなとか、人の痛みをもうちょっとわかんなきゃ駄目だよなとか、たまには病気になるのもいいのかなと思うぐらいに、いろいろな反省が42歳にしてあったんです。やっぱり厄年はうまく設計されています。おまえ、いい気になるなよというタイミングなんですね。
 
最近は、五十肩になりました。厄年の病気と比べると全然小さなことですが、それでも毎回服を着替えたりするのに肩が上がらないと大変だなとか、車を駐車するのに後ろ向けないと意外に難しいなとか、そうなってみてはじめて不便だとわかる。たまにはいいなって思ってはみるのですが、健康を失うというのは、たまにはいいなと思うぐらいしか解決がつかない、あからさまな問題です。

じゃあ健康のためにどうすればいいのか。そういうことに強い関心があって、詳しい人っていますよね。いろいろな情報を収集して、あれがいいとかこれがいいとか、サプリメントだったり、お薬だったり、もうちょっと日常の生活の習慣みたいなもので、こういうことはやってはいけないとか。僕は、こういうのが一番不健康じゃないかと思っています。今はWebで情報が入り放題なので、こっちの路線で行くと切りがありません。

健康が大切だと言いながら、僕自身は健康のために、そんなに一生懸命やっていることってないんです。強いて言えば、前も話したように、この20年以上ずっと同じペースで、習慣的にジムでトレーニングをする。週3ぐらい通っているのですが、大切なのは、ずっと同じことを同じ順番でやるというルーティンです。

きょうも10時ぐらいからトレーニングしてきました。ルーティンの何がいいかというと、今日ちょっと体調悪いなとか、すぐにわかるんです。ジムでの運動が健康の増進に貢献しているのかどうかはわかりませんが、ちょっとした変化というのは、ルーティンを固定しておくとわかりやすい。

健康のためにやっていることはこれぐらいで、食べ物もそんなに気を付けてはいません。ただ、やっぱり人間は動物なので、年を取ってくると、そんなに体に負荷のかかる物は自然に食べたくなくなるとか、結構うまくできています。昔は、とにかく「大盛り」が大好きでした。おいしい物を少しずつとかいう人の気が知れないんですよね。なんでおいしかったら、それを思いっ切り食べないのっていう。

だから、おなかを減らして食べるのが好きでした。そのほうが、いっぱい食べられるので。ファミレスとかに行っても、かならずご飯は大盛り。スパゲッティとかも大盛り。うちは大盛りがないんですけどっていうところでも、値段は1.5倍払うので1.5倍の大盛りにしてくださいというぐらい、大盛りというのにものすごい愛着を持っていました。それでも加齢とともに大盛り欲は減衰し、今は自然と大盛りにしなくなりました。

やっぱり人間は本能的に、体に対して悪影響がある行動は取らなくなるようにできているのだと思います。うちの犬も、食べることにすごい慎重です。これ食べる?みたいに食べ物を渡しても、においを嗅いだり、ちょっと口に入れては出したりして、あれはやっぱり自分の体に悪影響がないかどうか、本能的にチェックしているんだと思うんです。そういう意味でも、自然のままにやっていればいいんじゃないかということです。

体質的にお酒が飲めないというのが、僕の場合いいのかもしれません。それは単に肝臓に対する負荷とかそういうこと以上に、生活のリズムが朝型になるのが大きい。ただ、たばこは吸います。こんなにイイ物はないんじゃないかっていうぐらいお気に入りの嗜好品です。病気になったりすれば別でしょうが、やめるつもりはありません。

健康オタクみたいな人というのは、ものすごいいっぱいネタを持っているんですが、僕がああいうのが好きではないのは、統一的なロジックがないからです。場当たり的にこういう科学のデータがあってとか、これがいいんだとか、あれが悪いんだとか、こういうことをやっている人はこういうことをやっていない人よりも平均寿命がどれぐらい長くなるとか、それって1つの相関関係に過ぎませんよね。仮にそこに相関関係があったとしても、僕としては統一的なロジックが欲しいんです。

楠木 建

一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

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この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

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「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
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