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これまでは1日とか1カ月とか、そういう単位の「時間」の話でしたが、今回はもう少し長いスパンの「時間」、例えばその人のキャリア全体で見るとどうなのかという話をしたいと思います。

僕は、人のキャリアについて、事前の計画というのは絶対できないと考えています。あまりにもいろいろ複雑な要素が、時間軸上で、そして空間軸上で絡み合ってキャリアは形成されていくわけで、事前の計画通り35歳までにこれを達成してといったキャリアプランは、意味がないというか、ばかばかしいとすら思っています。夢に日付けを、とか軽々しく言う人を信用しないようにしているんです。そんな無茶なことを自分に課してどうするのかなあと。

僕は美空ひばりとテレサテンの豪華デュオに従って生きるようにしています。つまり、『川の流れのように』と『時の流れに身をまかせ』を合体させて、『川の流れに身をまかせ』。これがキャリアの一番いい流れだと思っています。

僕はいろいろな人を見てきて、自分もそうなんですが、いろんなことが出会い頭とか、ひょんな縁とか成り行きの積み重ねでこうなっているわけで、キャリアなんて本当のところ“なるようにしかならない”と思うんです。ただ、“なるようにはなる”んです。禅問答みたいですが、“なるようにしかならないが、なるようにはなる”というのが、僕の結論です。

結局のところ“なるようにはなる”。結局それが自分の身の丈というか、自分の実力の範囲でしか仕事はできないので、“なるようにしかならない”。裏を返せば、運とか、いいとき悪いとき、いろいろあるにせよ、広い意味での実力があれば“なるようにはなる”んだなあというのが仕事生活だと思っています。夢に日付けをとか、キャリア計画とか、キャリア戦略は持ちません。

ただ、自分の大まかなフェーズ感みたいなものは持っています。そもそもどの方向に行きたいのかという、基本方針はあるんです。それは自分なりの価値基準とか、それを仕事に当てはめていくときにこういう仕事をしていきたい、こういう仕事はしたくない、これはあるわけです。

陸上競技のトラックで自分の一生を考えると、今の僕は、第3コーナーを曲がりきった感じなんです、もう。これから第4コーナーに入っていく。たぶんその第4コーナーを抜けると、あとは真っすぐ一直線でゴールが見えるみたいなイメージです。今は体がちょっと左に傾いている。先を見ると、あの辺がゴールかなというのはわかるんだけど、まだゴールに相対するところまで行ってないという感じなんです。30代のころは、今なんかバックストレートだなあみたいな感じで仕事をしているときがあったり。そろそろ第3コーナーだなあとか。

あるいは、最近の人はマニュアルトランスミッションの車に乗ったことのない人が多いのでわかりにくいらしいんですが、昔の車って4段変速だったんです。ロー、セコンド、サード、トップという4段変速。そのギアチェンジというイメージで、自分の一生を捉える。結構昔から、僕はその比喩で自分を捉えているんです。マニュアルを運転したことのある方はすぐにわかると思うんですが、1速で走り出すのが一番難しいわけです。1速は、そろそろとクラッチを合わせて、ゆっくり動き出す。うまく動いたら、ちょっとアクセルを踏んでみようかなと踏み込んでも、ギア比が高いのでなかなか進みません。

僕は若いときに、今の自分って1速だよなあという意識がすごくありました。これがいちばん難しい。2速というのは、1速に入れば楽なんです。今は2速で結構なんかゆるゆるやっているなあという時期も、30歳前後ぐらいにありました。

2速から3速へギアチェンジというのが、僕の場合何だったかというと、それまで学者に向けて論文を書いて、学者に評価されるというフォーマットで動いていたアカデミックの世界から、もっと経営者や実務家に自分の考えを役立ててもらえる存在へと方向を変えること、それが僕の3速へのギアチェンジでした。アカデミズム卸売から実務家直販へ、B to BからB to Cへというギアチェンジでした。

タイミングがとにかく難しいんですが、僕の場合、3速に入れるタイミングって、“機が熟した感”としかいいようがないんですね。そろそろかな、と。機が熟した感じがした。その後今もまだ3速なんですけど、タコメーターも上がりっぱなしでエンジンもウワーンと唸っていて、ギアボックスはそろそろシフトチェンジしたほうがいいと言っている。そろそろ4速かなあという感じがしています。たぶん、4速は一番楽じゃないかなあという思いもあります、そのまま惰性で行っちゃえという。ただ、まだその気持ちになれないので、しばらく3速で引っ張っています。

要するに、“機が熟す”というのが僕はすごい大切だと思っているのです。陸上のトラックとか、4段変速とか、ものすごく大ざっぱな比喩ですけれど、これをいつも意識している。

僕は本の締切を絶対に約束しないんです。本の締切を約束させられる仕事は、受けないようにしている。これは僕が本を書くときの条件になっています。そうはいってもいつ頃原稿仕上がるんですかと聞かれると、“機が熟したとき”と答えます。それだけはやめてくれと言われますが、そうとしか言いようがない。筑摩書房の方に申し訳ないんですが。

(撮影協力:六本木ヒルズライブラリー)

楠木 建

一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

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