株式会社 日立製作所 研究開発グループ 東京社会イノベーション協創センタ ビジョンデザインプロジェクト 主任デザイナー 柴田吉隆
Society 5.0という言葉をご存知だろうか。これは日本政府による科学技術政策の基本指針のひとつで、2016年に発表された次の社会を考える概念であり、1.0:狩猟社会、2.0:農耕社会、3.0:工業社会、4.0:情報社会 に次ぐ大きな転換期を意味している。しかし、資料を見ても技術や組織の話が中心で、具体的にどんな社会になるのかは見えにくい。AIやIoTなどの新しいテクノロジーを前提とした超スマート社会も、工業社会や情報社会の変革のように技術を軸に進んでいくのか。社会イノベーションという事業コンセプトを掲げる日立では、このSociety 5.0をただの概念と捉えるのではなく、また技術だけに答えを求めるのでもなく、あるべき社会を考えるための議論から始めるという新しい試み「ビジョンデザイン」が動き出している。そのキーマンに話を伺った。

Society 5.0を具体化するために必要なこと

――柴田さんは、日立製作所の研究開発グループの中にある東京社会イノベーション協創センタという部署で、主任デザイナーをされています。この部署と柴田さんの役割について教えてください。

柴田
私がいる部署は、もともとデザイン本部という家電などのプロダクトのデザインからスタートした部門でした。そして、日立の事業が時代とともに変わっていく中で、つねにデザインの役割を広げていくことにチャレンジをしてきた組織でもあります。日立の事業の中心が、社会インフラや情報システム、イノベーションにシフトしていく中で、デザインが貢献できる場を広げていく活動をずっと行ってきた部署です。

約4年前、日立の研究開発グループの再編がありました。これからは、たとえば鉄道会社や電力会社など、さまざまなお客さまと顧客協創で一緒にビジネスを創っていく時代になるという考えのもと、R&Dがその先頭に立って、新しいビジネスや社会創りに貢献していくということを目的としたものです。その時に生まれた組織のひとつが“社会イノベーション協創センタ”で、デザイナーと研究者によってできた新しい組織です。

その組織の中の「ビジョンデザインプロジェクト」のユニットリーダーというのが、現在の私の仕事になります。

――「ビジョンデザイン」というのは、新しい言葉だと思いますが。

柴田
そうですね。少し話はさかのぼりますが、2009年に日立は事業を社会イノベーションにシフトするという宣言をしました。そのときに、デザインはどんな貢献ができるのかということを考えて、まずは社会イノベーション事業では、世の中のどのような変化を捉え、どのようなサービスが実施されているのか、その具体像を示そう、それをベースに、顧客協創で新しい事業を考えていけるようにしようというねらいで、「ビジョンデザイン」を立ち上げました。それが2010年です。

そして2016年に、大きな転機を迎えました。それは内閣府が、これからの日本社会のコンセプト“Society 5.0”を発表したからです。ドイツでは、“Industry 4.0”が掲げられていましたが、私たちはSocietyという人が暮らす場の変革が中心に置かれたことに共感を覚えました。ただ、実際にSociety 5.0に関する資料が出てきたときに、やはり技術が中心に見えてしまっている部分があって、IoTやAI、自動運転などがすごくフィーチャーされている感じがしました。もちろん手段としてそういうものを使っていくということは当然だと思いますが、Societyが4.0から5.0に変わるということは、パラダイムが変わっていくということなので、それが何なのかをしっかりみんなで議論していく必要があると思いました。

そこで、これまでの「ビジョンデザイン」の活動を、“Society 5.0”の具体像を描いて議論を促すという方向にシフトすることを決め、2016年4月に活動を開始し、2017年には“ビジョンデザインプロジェクト”という専任チームをつくりました。

「ビジョンデザイン」のものさし、それは『beyond smart』。

――“ビジョンデザインプロジェクト”はSociety 5.0を具体化するために、何を始められたのですか。

柴田
まず、Society 5.0とはどのような価値を実現することなのかという、自分たちのビジョンが描く世界の大きな方向性を定めることから始めました。

まだビジョンデザインの活動をSociety 5.0にシフトすると決める少し前、私たちは社内や社外の方たちと議論を繰り返していく中で、ある方に「Society 5.0は、ゼロサムではなくプラスサムの世界なんだ」という話を伺いました。「どこかの国で工場の生産性が上がると、別の国の工場で働いていた人の仕事がなくなるようではいけない。技術の進歩があったときに、両方の幸せを作るのがこれからの社会なんだ」というその話を聞いた時、「Society」という言葉に込められた思いが見えた気がしました。

政府の資料では、Society 5.0は超スマート社会となっていて、英語だとsuper smart societyと書いてあるのですが、スマートが価値なのではなく、何かの価値を実現するための手段としてスマートはあるべきです。そこで、私たちは、「ビジョンデザイン」のコンセプトとして『beyond smart』という言葉を作りました。スマートを超える価値を探索するという意味です。この言葉が私たちのものさしになっていて、自分たちが作っているビジョンに関しても、本当にそれが『beyond smart』という言葉に合っているか合っていないかということはすごく意識をしています。

社会のビジョンは、社会で形成されるべき

――日立はSociety 3.0の工業社会や、Society 4.0の情報社会を技術でリードしてきた企業です。Society 5.0では、その役割は変わりますか。

柴田
日立はインフラを提供する会社です。それはSociety 3.0の工業社会の時代から、エネルギーインフラや鉄道を作るということをやってきましたし、Society 4.0の情報社会になると、さまざまな事業者の情報システムを作ってきました。それは、お客さまやさまざまな企業と一緒でなければできなかったことですし、Society 5.0でも続くと思います。

Society 5.0に関する政府の資料を見ると、まず最初に人口減少の問題が出てきます。人口が減ることが必ずしも悪いことだとは思いませんが、これまでそういう状況を迎えたことがないわけですし、私たちはそれに対応していく必要があります。もちろん、これまでの社会でもそのための準備は進んでいて、人々は、より簡単に、速く、広く、互いにつながるようになり、より多くの情報をもとに、的確な意思決定を行い、欲しいものをいつでも手に入れられるなど、他者に頼らずに多くのことが達成できるようになっています。しかし問題はより複雑化していて、自立した生活が送りやすくなる一方で、地域や家族のつながりが弱まって、さまざまなリスクが個人に直接降りかかってしまうということも懸念されています。このリスクに対する不安や、地域や家族のつながりに着目して、社会全体を強くしていくことがSociety 5.0のインフラの新たな役割になるのではないかと考えています。

ビジョンは、“ここに向かっていくぞ”という正解を示して、“オー”とみんなで向かうものではなくて、やっぱり社会の中で形成されなくてはいけない。デザインのアプローチというのは、まず駄目でもいいから課題設定に関するアイデアを出してみて、それでみんなを触発しながらディスカッションが始まって、解決のためのアイデアが取捨選択されながらブラッシュアップされていくというプロセスです。「ビジョンデザイン」も同じで、社会のいろんな人に対して、新しい役割を担ったSociety 5.0のインフラの具体例を示して、そこからディスカッションが始まるということが一番重要だと考えています。

Society 3.0の世界では、日立のような企業ははじめからソリューションの提案をすることができていたと思います。4.0の世界でも、企業同士の協創で課題を見つけてソリューションを作ることができています。Society 5.0の世界では、その今までのアプローチも大きく変えていかないといけないと思っています。多くの方々との対話をより大切にして、ビジョンもソリューションも社会の中で形成していくことが特徴なのだと思います。

柴田吉隆(しばた・よしたか)

株式会社日立製作所 研究開発グループ 東京社会イノベーション協創センタ ビジョンデザインプロジェクト 主任デザイナー。1999年日立製作所入社。ATMなどのプロダクトデザインを担当ののち、デジタルサイネージや交通系ICカードを用いたサービスの開発を担当。2009年からは、顧客協創スタイルによる業務改革に従事。その後、サービスデザイン領域を立ち上げ、現在は、デザイン的アプローチで形成したビジョンによって社会イノベーションのあり方を考察する、ビジョンデザインプロジェクトのリーダーを務める。

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