一橋ビジネススクール教授 楠木 建氏

「第1回:地理・歴史・公民の重要性。」はこちら>
「第2回:人々が「謙虚」だった近過去。」はこちら>
「第3回:グローバル二等兵。」はこちら>

いま日本では、ガラパゴスだとか内向きだとか、失われた30年とか、GDPが他の国はこんなに伸びているのに日本はダメだ、とかいろいろ言われています。でもちょっと時空間を広げて考えてみると、「いや、おかげさまでうちは何の問題もなく好調でして……」なんていう国は、歴史上世界中どこにもあったためしがありません。いつでもどこでも、大変だ、大変だって言っているわけです。人の世の中はそれぞれに大変な状態にある。それを相対化して見ることによってはじめて、日本の本当の問題が何なのかということがわかると思うんです。

僕が直接的に経験した「近過去」で考えてみます。OECDが出している指標である1人当たりGDPというものがあります。この指標は、定義からして分母が小さい小国が有利に出るわけですが、人口1億人以上の国でトップになったことのある国は、アメリカと日本しかありません。バブル崩壊後もしばらくは、トップ5に入っていました。でもそのときに「いや、おかげさまで日本は絶好調ですよ」とは誰も言っていませんでした。日本はダメだとか、政府や銀行のバブル処理が遅すぎるとか住専問題がいよいよとか言っていたんです。

問題だ問題だ、議論が必要だって言っているだけでは何の解決にもならない。どうやったら自分が社会参画して、少しでもいい方向に持っていけるのかを考える。これが、僕は大人のあるべき姿だと思うんです。一人の人間ができることはもちろん限られています。だからこそ、自分がどのように世の中に関わり、行動するかを定めるためには、できるだけ時間的、空間的に視野を広げて問題の本質を理解する必要がある。

いまも、日本はダメだ、老害がどうしたとか言っている人たちがいますが、これって言っていること自体が、やっぱり気持ちいいだけなんです。これもまた、人間の、ある意味悲しい本性で、そういうことを言うことによって俺が悪いわけじゃない、環境とか制度とか状況とか時代のせいにできるので、少しは気が楽になる。ようするに、鬱憤晴らし。つまりはエンターテインメントです。

エンターテインメントの本質は、しばし浮世の鬱憤を忘れさせてくれることにある。たとえば映画を観て、2時間はスカッとする。そういうエンターテイメントは大切だと思います。ただ、「人の不幸は蜜の味」というネガティブな鬱憤晴らしはそこそこにしておいたほうがいい。

いまだに雑誌だと不倫やスキャンダルが目玉記事になります。それと同じで、日本はダメだとか、なっていないとか、遅れているとか、崩壊するっていうのも、鬱憤晴らしなんですね。それはそれで娯楽としてはいいんですけれども、じゃあどうする?という自分の行動に落とすには、やっぱり考えていないと動けないわけです。思考があって行動があるので。

その思考を充実させるためには、「近過去」の歴史というものを改めて考えてみる。そこで相違と類似をよく見て、相対化して、問題の本質を自分なりに理解する。その上で、それならここをこう変えればもうちょっといい方向に動くのかな、という思考が大切だと思います。そうしないと、農耕民族だからダメなんだ、なんていう表面的な思考に陥ってしまいます。そんなことを言っているうちは何も解決しません。

ここでは紹介しきれなかった話をお届けする、楠木建の「EFOビジネスレビュー」アウトテイクはこちら>

楠木 建
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。