一橋ビジネススクール教授 楠木 建氏

今回は「近過去」の歴史を知ること、その意味について考えてみたいと思います。

学校の社会科で地理・歴史・公民を学ぶのには訳があります。地理・歴史・公民は、世の中を知り、物事を考えていくための重要な知的基盤を提供する(はずの)科目です。

どんな人でも、とくに若い時は自分の思考の幅や視野が狭い。地理は空間的に、歴史は時間的に自分の視野を拡張してくれます。空間的に自分と離れた国・地域のことを知るとか、時間的に昔に起こったことを知るという意味で、単に「知識を増やす」ことが目的ではありません。地理であれば、他の国や人を知ることによって自国や自分自身をより深く理解することができるようになる。歴史は、過去を知ることによって現在のことをより深く理解することができるようになり、未来を考えることができるようになる。ここに本質的な目的があります。

世の中には、「予想」が大好きな人たちがいて、年末になるとかならず多くのビジネス誌が、「XX年後の未来」とか「来年はこうなる」とかを特集します。僕はこの手の「予想」ほど役に立たないことはないと思っています。たとえば、しばらく前に「2030年の世界はこうなる」みたいな本が出ました。そういうのを後で読むとわりと寒々とした気持ちになります。トランプが大統領になるのもわからなかったし、大統領になった後に株が上がることもわからなかったのに、なんで2030年のことがわかるのかって。

「これからはこういう仕事が稼げる」というような未来予測は、実利につながっているのでみんな知りたがりますが、ほとんど意味がない。人間の社会というのはすごく複雑なものです。自然現象と比べて複雑さの桁が違う。「予想」が非常に難しいのは当然です。

僕は、たとえば1995年に出版された「2015年の世界」みたいな本を見つけたら、かならず買うようにしているんです。Amazonだと絶対1円になっていますし、古本屋だと、ただで持っていってみたいな棚に入っています。そして実際に読んでみると、本当に頓珍漢なことばかり書いてある。1995年時点で考えていた現在の日本には、総合商社は1社もないことになっていたりしますから。それは、たまたまそのときに「商社は冬の時代」とか言っていたからであって、その程度の話なんです。

話を戻すと、地理や歴史とともに重要なのが公民です。順番からすれば、僕は、まず公民でいまの世の中、特に僕たちが住んでいる日本の国や社会の制度や構造を学び、座標軸の原点についての理解を得る。その後で地理、歴史を学ぶというのが、教育の順番としては正しいと思うんです。

異なる二者を比較して、相対化によって相違や類似を考えるというのは、物事を考えるときの王道です。相対化するためには、比較するための軸が必要で、その軸となるのが公民で得られる知識だと思います。

地理や歴史というのは、先ほどの未来予測のような単なる「予想」とは違って、「事実」です。原点に立ったうえで事実としての地理や歴史を学ぶと、物事の相違点とか共通点とか類似点ということがわかってくる。原点がなければ軸もない。軸がなければ、意味のない知識ばかりを詰め込む教育になってしまう。

たとえば、世界で最長の川の名前は、とか。オーストラリアには、大鑽井(だいさんせい)盆地というものがあって、とか。僕は、これを初めて習ったときに、大鑽井盆地って漢字で書いてあるんだけど、オーストラリア人は何て呼ぶんだろうとか、大鑽井の鑽井ってどういう意味かなとか、「大」っていうことは「小」があるのかとか、いろいろと気にはなったんですが、知識としてそれを知って、単に覚えるだけでは意味がない。自分の社会のありようを先に知った上で、時空間を広げて思考を深めていくっていう順番が望ましい。

地理は、いろいろなところに旅をしたり、違った国に住んでみることで直接そのファクトに触れることができます。これには地理の実習みたいな面があって、それが相対化を触発して考えや理解を深めていくことにつながります。

一方の歴史はそういうわけにはいきません。時間を逆行することはできないので実習がなかなか難しい。そうすると、勉強する、つまり読むとか知るとか聞くということが大切になってきます。

僕は常々、歴史を知り、考えるほど現世利益に役立つことはないと思っています。歴史についての良い本を読むと、人間というのは結局こういうものなのかとか、社会はこうやって動いているのかとか、いろいろと学びがあります。ただし、平安時代とか、もっと前の話になると、人間の本質は変わらないにせよ、世の中の状況や環境が現在とはあまりにも違う面がありますからイメージが広がらないきらいがあります。しかし、ちょっとだけ時間軸を戻ってみる歴史、「近過去」というのは、実感としてなるほどなぁと思うことも多く、僕はこれが好きなんですね。

楠木 建
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

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