会社員として新規事業を立ち上げ、育てるという経験を楽しみながらも、出産・育児を経験して加藤氏の意識は変わった。それまで利用者と会社の利益だけを考えてきたが、旅行者を増やすことが、地域活性化につながることにも気づいたのだ。子ども世代に、より豊かな社会を残したい。その思いをかたちにするため加藤氏は新たな決断をする。

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パイを奪い合うのではなく、パイ自体を大きくする

出産を契機に、加藤氏のビジネスパーソンとしての立ち位置は大きく変わった。それまでの仕事が、広告のCTR(Click Through Rate:インターネット広告のクリック率)向上を毎日めざすような速いサイクルのものだったとすると、出産・育児を経験したのちは、子どもの未来にどう貢献するかといった、より長期的なサイクルの仕事を志向するようになっていったのだ。

「そうした視点で『旅行』を見つめると、レジャー産業であると同時に、地域に暮らす人々の生活の糧でもあることに気づきました。訪れる人が増えれば雇用が生まれ、地方創生につながる。そうすれば、子どもたちが生きていく未来の日本を、より豊かにすることができる。ちょうどその頃、観光立国推進基本法が成立したこともあり、私自身も仕事との向き合い方を改めて考えるようになりました」

また、豊かな未来の社会を築くには、市場の「パイ」を競合と奪い合うのではなく、パイ自体をより大きくする視点が重要になる。そこで自然に浮かんだのが外国人旅行者だった。日本を訪れる外国人が増えれば当然、国内で落とすお金の量も増えていく。

「国内旅行の需要は横ばいですが、インバウンドは右肩上がり。増える外国人旅行者と、日本各地の観光資源を結び付けたいと考えました。ただ、大きな企業に所属していると、必ずしも自分のやりたいことができるわけではない。所属部門のトップがNOといえばそこで終わり。その時初めて、これからの自分には『起業』という選択肢が適しているのかもしれない、という考えが生まれたんです。たくさんのベンチャーキャピタルがあるということは、その分チャンスが何度でもあるのではと考えました」

「未来を予測する最善の方法は、それをつくること」

そこからは早かった。18年間勤めたリクルートを退職し、ほぼ時間を空けずに翌月WAmazingを起業。サービス「WAmazing」をローンチした。

「起業してからの働き方にそこまで変化はありませんでした。というのも私の場合、どういうことをやりたいかは明確にあるのですが、そこまでのプロセスや手法にはこだわらないところがあります。つまり、大企業という“乗り物”が、自分のやりたいことに向かっているうちは乗っていればいいし、もしその乗り物が別の方向へ進んでいくようなら、そこで降りて別の乗り物に乗ればいい。その意味で、WAmazing起業は、『乗り物を替えただけ』というような感覚でした」

リクルート時代も企業経営者になってからも、ビジネスへの考え方は一貫している。好きな言葉は、パーソナルコンピューターの父ともいわれるアラン・ケイの「未来を予測する最善の方法は、それをつくることだ」。大学選択、会社選択、新規事業の立ち上げに至るまで、さまざまな場面で周囲の反対にあうこともあった加藤氏だが、自分がつくりたい未来が見えてさえいれば、何をすべきかがわかる。いつも加藤氏は、未来から逆算するバックキャスティング思考によって、これまでの人生を切り開いてきた。

より多くの人々をつなぐプラットフォームになる

加藤氏、そしてWAmazingがめざすゴールは、訪日外国人旅行者と迎える側をつなぐ「プラットフォームサービス」になることだ。その基準は、利用者数が、全訪日外国人旅行者の16%を超えること。これがキャズムを乗り越えるための最低ラインであり、そこはぜひめざしたいと強調する。

「これもバックキャスティングの考え方ですが、『目標にしている』というよりも、『もともとめざしていた状態に近づく』が感覚としては近いです。WAmazingは、日本中に存在する食、体験、宿、買い物といった観光資源に、言葉や決済などのストレスを感じずに外国人がアクセスできる状態を理想としています。それが実現できるプラットフォームになること。今はまだ遠い状態にあるので、粛々と、そこまでの道を歩いていくだけですね」

展開エリアも順次拡大し、一層多くの旅行者と迎える側をつなぐ「プラットフォーム」をめざす

また加藤氏は、「観光産業はすそ野が広い世界」だとも言う。例えば、WAmazingに登録されている店舗・施設が「1万軒」の状態と、「1億軒」の状態では、どちらが利用者の体験の可能性を広げるだろうか。当然、後者であることはいうまでもない。本当に最高のサービスを追求しようとするならば、店舗や宿やアトラクション施設そのほか、1つでも多くの業種・業態の会社・人々とつながっていくことが、WAmazingには求められている。

「これは、目先でいえば『旅行でお金を使う人たちと、お金を使ってもらう人たち』をより多くつなぐということですが、その先には、労働力として日本に来る人たち、つまり『移住者』と『受け入れる側』をつなぐという可能性も見えてくると思います。旅行したことがない国に、いきなり住むという人は少なく、観光には“移住前のお試し”という側面もあります。その意味でも、旅行中にはあまりアクセスしないような施設も、ゆくゆくはWAmazingでつながれるようにしていくことが必要になるかもしれません」

日本の魅力を世界に向けて発信することで、各地の活力を創出するWAmazing。まだまだ大きな可能性を秘めたサービスといえそうだ。

加藤 史子
慶應義塾大学環境情報学部(SFC)を卒業後、1998年にリクルート入社。「じゃらんnet」「ホットペッパーグルメ」の立ち上げなど、ネットの新規事業開発を担当した後、観光による地域活性を行う「じゃらんリサーチセンター」に異動。スノーレジャーの再興をめざす「雪マジ! 19」をはじめ「マジ☆部」を展開。2016年7月、WAmazingを起業。2017年2月から外国人旅行者に特化したサービスを展開している。また、国・県の観光関連有識者委員として、執筆・講演・研究活動も行う。