早稲田大学大学院 経営管理研究科 客員教授 服部暢達氏
M&Aの失敗を避けるためには、契約書作成の交渉時に、先々起こるかもしれない事態をできる限り列挙して取り決めをすること、そして、文言の調整もシビアに行うべきと服部氏は語る。今回は、M&A人材の育成や、外部アドバイザーを活用する場合の注意点についてもお話しいただいた。

「第1回:企業経営にとってM&Aは日常」はこちら>
「第2回:日本のM&Aに成功事例が少ない理由」はこちら>
「第3回:M&A成功の5つの条件」はこちら>

契約書の保証・表明・補償の重要性

ーー前回、成功の条件について挙げていただきましたが、失敗しないために気をつけるべき点についてもご教示ください。

服部
失敗事例に共通して言えることは、案件の生まれが悪いと育ちも悪いということ。やはりまずは、きちんとデューデリジェンス(Due Diligence:投資対象となる企業の価値やリスクを調査すること)を行い、法務、税務、財務などあらゆる面の問題を洗い出しておくことが不可欠です。

そのうえで、慎重に契約書の作成を進めるべきです。日本企業同士のM&Aでは、契約書が3ページ程度しかないなどということもありますが、欧米との契約では数百ページにおよぶ契約書を交わすのが通常です。そうすることで、先々起こるかもしれない事態をできる限り列挙し、事前に取り決めをしておくわけですね。

なかでも重要度が高く、分量を占めるのが、保証・表明と補償に関する項目です。これは主として売り手が買い手に対して、現状の自社について知る限り、あるいは知り得る限り、資本・株式の所在、過去の財務諸表の正確性や完全性、開示された資料の正確性・完全性などといった重要事項を表明し、万一、そこに嘘や間違いが見つかった場合は、その度合いに応じて、補償額を規定するものです。

その際、文言の調整も、非常にシビアに行う必要があります。たとえば、「知る限り」(to the knowledge)とつければ、知らなかったことについては補償しなくても済みますが、英語で“to the best knowledge”(知り得る限り)とつけば、知らなくても注意義務上知るべきであった場合は免責されません。欧米企業との契約書の作成では、いずれの文言を用いるべきか、項目ごとにギリギリまで延々と交渉を続けるのが常です。

起こるかもしれない問題への対処を怠ってはならない

服部
まずこの仕組みを頭に入れて、交渉の段階から厳しく言及しておくと、売り手側もすべての情報を開示しておかないとまずいという意識を持つようになり、たとえ交渉に不利となる情報であっても、出さざるを得なくなります。交渉事では適切な圧力は非常に有効だと思います。

契約書に不備があると、後々、大きな問題に発展することもあります。以前、ある企業が海外企業を巨額の費用を払って買収したものの、すぐに品質問題やデータ捏造などが見つかり、株価が大幅に下落し、大きな損失を出したことがありました。しかし、契約書に問題があったようで、一銭も補償されませんでした。このような事態を避けるためにも、ぜひ、契約書類の作成に力を入れていただきたいと思います。

M&Aの実施体制と人材育成

ーーM&Aを実施するにあたり、やはり専門部隊が必要なのでしょうか?

服部
内部にM&Aに通じた人材や組織があることが望ましいと思います。実際に、M&Aに長けているGEやP&G、IBMなどや、日本企業でも一部の大手メーカーなどでは内部に専任組織を持っています。

ただし、事業会社の場合、専門部隊の人材をM&Aのスペシャリストにしてしまってはいけません。あくまでも経営者の視点を持って臨むことが重要です。ちなみに、GEなどでは買収案件を担当したヘッドは、必ず買収した企業の経営を任されます。そこで経営者として手腕を発揮できれば、その後のキャリアアップにつながります。

買った後に自分で経営するとなれば、より慎重になります。M&Aでは、条件が整わなければ、途中で案件から手を引く判断をしなければなりませんが、自らが経営するという意識があれば、無理に契約を推し進めようなどとしなくなる。自然に抑止力が働くわけです。  

そういう意味では、若いころから、子会社など小さな組織で、経営を任せるというのは非常に重要だと思います。日本の大企業の場合、スタッフ系の人が出世して、キャリアの終盤で経営者となるパターンが多いけれど、それでは遅い。M&Aには経営者の視点が不可欠であり、アメリカのように若いうちから経営を任せて、教育しておくことが肝要でしょう。

外部アドバイザーを活用する場合の注意点

ーーアドバイザーを活用する場合、気をつけるべき点についてもお聞かせください。

服部
普段からよくコミュニケーションを取って、その人となりを詳しく知ることがとても大切だと思います。いざというときに、「この案件は止めたほうがいい」と言ってくれるアドバイザーこそ貴重です。

ちなみに、私が在籍したゴールドマン・サックスには、「Long Term Greedy」(長期的にがめつくなれ)という言葉があり、私自身、長期的な視点に立って、何度か止めたほうがいいとアドバイスをしたことがあります。「あのとき、止めろと言ってくれたのはあなただけだよ」と言って、後から感謝されたこともあります。そういう顧客とは、いまだに付き合いがあるほどです。

M&Aの仕事は成功報酬が占める割合が大きいので、案件が成就しないと報酬の大半を得ることができません。したがって、ときに、アドバイザーと雇い主との間に利益相反を生むことがあります。言いにくいことを言ってくれるかどうかは、最終的にそのアドバイザーの人柄、人格によるところが大きいため、普段からともに食事をするなどして、その人となりをよく知るとともに、真に信頼できる関係を築くことが大事だと思います。

(取材・文=田井中麻都佳/写真=秋山由樹)

服部暢達
早稲田大学大学院経営管理研究科客員教授、慶應義塾大学大学院経営管理研究科特任教授。服部暢達事務所代表取締役。1981年、東京大学工学部卒業、日産自動車に入社。1989年、マサチューセッツ工科大学(MIT)スローンスクール経営学修士課程修了。1989年、ゴールドマン・サックス証券に入社、ニューヨーク、東京に勤務。1998年から2003年までマネージング・ディレクターとして日本におけるM&Aアドバイザリー業務を統括。現在、ファーストリテイリング、博報堂DYホールディングスなどの社外取締役を務める。著書に『日本のM&A 理論と事例研究』『実践M&Aハンドブック』『ゴールドマン・サックスM&A戦記』(日経BP社)など多数。

「第5回:成否を決める「経営力」」はこちら>