検索やソーシャルメディアの普及に伴い、「向こう(顧客)からこちら(企業)へ」のベクトルを重視する「インバウンドマーケティング」の概念が、企業の間でにわかに広がりつつある。同分野の第一人者として知られる高広伯彦氏に押さえるべき勘所を伺った。
顧客は、疑問や関心があればすぐに検索して調べている。そして、同じ関心を持つグループはソーシャルメディアで情報を共有する。こうした時代背景の中で、「インバウンドマーケティング」への注目度も高まっている。人々の関心に刺激を与え、疑問に答えるようなコンテンツを用意しておけば、多くの問い合わせが来るだろう。良質の見込み客が集まり、その一定数は新たな顧客になってくれるはずだ。

検索とソーシャルがもたらしたインパクト

近年、「インバウンド」という言葉をよく耳にする。海外から日本を訪れる旅行客がインバウンド、日本から海外に出かける旅行者はアウトバウンド。最近注目されるのは、専ら前者の中国人観光客などである。また、コールセンターの分野では、顧客からかかってくる電話はインバウンド、顧客に対してアプローチする営業電話はアウトバウンドと呼ばれる。

総じて言えば、「こちらから向こうへ」というベクトルを持つのがアウトバウンド、「向こうからこちらへ」がインバウンドということになる。今、マーケティングの世界でも「向こうからこちらへ」という動きが注目されている。インバウンドマーケティングという言葉が使われる機会も増えている。マーケティング支援のコンサルティングや各種サービスを提供する株式会社スケダチの代表取締役社長、高広伯彦氏は次のように説明する。

「従来のマーケティングや営業活動は、企業から顧客に向けたアプローチが中心でした。顧客の興味や関心には関係なく、広告やメールを届ける。あるいは、営業担当者が買ってくれそうな顧客に当たりをつけて電話をかけたり、訪問したりするという具合です。しかし、時代は大きく変わりました。その変化をもたらしたのは、インターネットの普及です」

インターネットには様々な要素があるが、特にインパクトが大きいのが、検索とソーシャルメディアだと高広氏は指摘する。

「疑問や関心、困りごとなどがあれば、すぐに調べるという行動が当たり前になりました。キーワード検索すれば、何らかの解答やヒントが出てきます。適切なコンテンツを自社のWebサイトに載せておけば、顧客は向こうから来てくれるでしょう。これがインバウンドという意味です。自社サイトから引き出した情報が良質のものであれば、その人は同じ関心を持つ誰か(上司や同僚、勉強会の仲間など)と情報をシェアしたくなるでしょう。今ではソーシャルメディアが情報共有の場になっています」

マインドセットとしてのインバウンドマーケティング

従来のマーケティングは"企業目線"といわれることが多かった。スポーツ中継の盛り上がった場面で突然CMに切り替わったり、関心のないダイレクトメールが送りつけられたり。こうした状況に辟易とさせられた経験を持つ人は多いのではないだろうか。企業の都合ではなく、顧客が欲しい情報を、欲しいタイミングで適切に届けることができれば顧客の印象はまったく違ってくるはずだ。

ただ、インターネット以前の時代には、そのための有効な手段がほとんどなかった。検索やソーシャルの普及によって初めて、顧客の活動を邪魔しない、顧客の文脈を理解したインバウンドマーケティングが現実的なものになったのである。

「インバウンドマーケティングが注目されるのは、ある意味必然だと思います。時代や顧客が変わったからです。変わった買い手に対して、企業は今までどおりのやり方を続けますか、それとも買い手に合わせて企業も変わりますか――今問われているのは、そういうことです」(高広氏)

このような意味で、インバウンドマーケティングは企業の考え方やマインドセットを示す言葉だと高広氏は考えている。

「これまで主として米国から『××マーケティング』という言葉が多く入ってきました。サーチエンジンマーケティングのように、その多くは新しいツールを使ったマーケティング手法です。インバウンドマーケティングは違います。インバウンドマーケティングの中で新しい手法を使うことはありますが、この言葉には、顧客や時代の変化への認識、哲学といった要素が含まれています」

当然のことながら、特定の課題や関心を持っている顧客であれば、そのテーマに対応する商材に反応してくれる確率は高くなる。そこで、アウトバウンドのやり方を改めて、インバウンドマーケティングへとシフトする企業も増えている。その際の注意点を、高広氏はこう指摘する。

「顧客の関心を自社に向けてもらうよう促すだけでなく、課題や関心が発生したときに準備ができていることが重要です。例えば、自社サイトに顧客の様々な課題解決に役立つコンテンツがあるかどうか。インバウンドマーケティングではコンテンツが大事とよくいわれるのは、そういう意味です」

こうしたことから、一部には「インバウンドマーケティング≒コンテンツマーケティング」と捉える向きもある。しかし、両者は異なる概念だと高広氏は指摘する。

「インバウンドマーケティングにおいてコンテンツは重要な要素ですが、それ以外にもマーケティングオートメーションやメールマーケティングなど様々な要素が活用されます。一方のコンテンツマーケティングも広い概念。例えば、話題を呼びそうな"ネタ"を提供してソーシャルで話題にしてもらうなど、コンテンツを軸にした多様な活動が行われています。2つのマーケティングには重なる部分もありますが、それぞれが広さと奥行きを持った別の概念です」

クロージングまでのプロセスの半分以上は顧客側

すでにインバウンドマーケティングという言葉を知っている方なら、その代表的な施策として、SEO(検索エンジン最適化)を思い浮かべる人は多いだろう。ターゲット検索ワードに対して自社のサイトが何位で表示されるか。例えば、「もし検索結果に表示されなければあなたのサイトは存在しないも同じ」というフレーズがあるくらいだ。

ただ、SEOないしはその広告版ともいえる検索連動型広告を活用している企業は、すぐに買ってくれそうなユーザーを想定している場合が多い。高広氏は「購買だけに焦点を当てるのではなく、見込み客をつくるという取り組みも重要。後者のプロセスが軽視されているのではないでしょうか」と疑問を呈する。

インバウンドマーケティングの射程は広い。それはマーケティングとセールス全般に及んでいると高広氏は語る。

「見知らぬユーザーを見込み客にし、見込み客としての質を高め、さらには顧客化して関係をより深めていく。こうした流れを順序立てて管理する手法として、多くの欧米企業ではパイプラインマネジメントが定着しています。このような一連のプロセス全体を視野に入れて、インバウンドマーケティングを考える必要があります」

インバウンドマーケティングを浸透させる上で、1つの壁がここにある。つまり、パイプラインマネジメントを導入している日本企業が少ないということ。背景には、マーケティングとセールスの溝という古くて新しい課題がありそうだ。この点については、後述する。

ここでは、まずインバウンドマーケティングがなぜ効くのかを確認しておきたい。先に触れたように、大前提は時代や顧客の変化に企業は対応しなければならないということ。その上で、インバウンドマーケティングにはいくつものメリットがある。

マーケティング部門が適切なコンテンツの提供などにより、良質の見込み客を集めたとしよう。その過程ではホワイトペーパーのダウンロード、セミナーやウェビナーなどの施策が活用されることが多い。どこかの段階で、個人情報を取得するプロセスが含まれているはずだ。良質の見込み客情報は営業部門に渡されて、確度が高いものについては担当者が電話をかけて説明したり、実際に訪問したりすることになる。以上のようなプロセスのビフォー/アフターを考えてみる。

「顧客を探し出し、訪問して成約を得るという長いプロセスがあります。従来は、そのほとんどを企業側が手間をかけて行っていました。今はどうでしょうか。クロージングまでのプロセスの半分以上は、顧客側が実行しているという米国の調査があります。以前は、営業担当者がカタログを持ち歩いて顧客を訪問し、カタログを見せながら一から説明をしていました。今では多くの顧客が、あらかじめカタログをダウンロードして目を通してくれています。このことは、インバウンドマーケティングによって、営業プロセスも変わらざるを得ないということを意味しています」

顧客訪問の段階で、すでに競合との比較検討がなされているケースも多い。インバウンドマーケティングにより、購入意向と購入時期の近さという両面で質の高い見込み客にアプローチできるようになる。それは営業効率の向上につながるだろう。ただし、知識武装した顧客と対面する営業担当者には、これまで以上に深い商品知識、業界知識が求められることになる。

高広 伯彦(たかひろ・のりひこ)
株式会社スケダチ 代表取締役社長
同志社大学大学院修了後、1996年博報堂入社。その後、博報堂DYメディアパートナーズ、電通、Googleを経て、2009年1月より独立し、現職。マーケティングコミュニケーション領域の企画、コンサル、ビジネス開発に従事。2013年8月、インバウンドマーケティングやB2Bマーケティングを中心としたマーケティングサービスを提供する株式会社マーケティングエンジンを設立し、2014年8月まで同社代表を務める。2013年にはHubSpotのAwardでAgency of the Year、New Agency of the Yearなど5冠を獲得した。

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