山口 周氏と、美学者として大学でリベラルアーツ教育に携わる伊藤 亜紗氏が、教育、ビジネス、倫理、体、共生社会といった多様なテーマを横断しながら掘り下げていく。リベラルアーツの根本は、人が無意識に信じ込んでいる価値観を相対化することにあると説く伊藤氏。自分とは異なる世界の見方があることに気づき、柔軟に変化する姿勢をリーダーは示してほしいと語る。
社会に浸透してきたリベラルアーツ
山口
この対談シリーズは2019年に始まったのですが、その当時、特にビジネスの世界では、リベラルアーツというものはそれほど注目されていませんでした。それが最近になってビジネス誌でリベラルアーツの特集が組まれるなど、ある種、ブームに近いような印象を受けます。そのあたり、伊藤先生はどのようにご覧になられていますか。
伊藤
実際のところ、どうなんでしょうね。東京工業大学(現東京科学大学)が「リベラルアーツ研究教育院(ILA:Institute for Liberal Arts)」を設立したのが2016年のことです。ILAの前身となった「リベラルアーツセンター」が2011年設立で、私は2013年にそこに着任しました。当時は「教養」と言ったほうが一般的で、「リベラルアーツって何?」みたいな感じでしたが、そこから15年が経って、社会には浸透してきましたよね。ただ肌感覚では、以前ほど熱を帯びて語られなくなったような気もしています。それが浸透した証拠なのかもしれませんけれど。
山口
わが家では次男が今年ちょうど大学受験で、聞いてみると今は教養というよりリベラルアーツと称している大学が多いようです。ただ、浸透したことで言葉の「芯」が抜け落ちているような気もします。リベラルアーツとは歴史や哲学などの知識をたくさん仕入れること、みたいに思われている傾向がありますが、それがリベラルアーツの本質とは言えませんよね。
その意味で、私は伊藤先生のご著書は本質を突いていると思っています。例えば、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)は、以前、帯の推薦コメントを書かせていただきましたけれど、読んだ前後で世界の見方が変わりました。「目が見える」という誰もが当たり前だと思っていることを根こそぎ問い直すような内容で、そこに、囚われからの飛翔というか、自由になれる感覚を見出せて、これがまさにリベラルアーツだと感じました。
伊藤先生は、そうした点にこだわって発信をされていらっしゃると思うのですが、あらためて、リベラルアーツとはどういう学問だとお考えでしょうか。
伊藤
ありがとうございます。そうですね…たぶん大学教育の現場におけるリベラルアーツに関していえば、どこまで手間と時間をかけられるかによって、できることが変わってくるというのが現実だと思います。
最上位は、オックスブリッジ(オックスフォード大学とケンブリッジ大学)で行われている生活のすべてを捧げるような人間教育ですよね。学生はそれぞれカレッジに所属して、ユニバーシティで学んだことをカレッジに持ち帰り、カレッジの教員とひたすら少人数でディスカッションをする。でも、アメリカや日本の大学は教員と学生の比率がオックスブリッジとは違いますから、同じことはできません。そこで、本質を失わずにある程度汎用化する方向へと発想を変える必要があります。
例えば、アメリカの大学では大学院生が教育に加わり、「教えること」と「学ぶこと」の境界をなくすことで、教育のリソースを増やしつつ人間性を育てる工夫をしています。本学でもそうした仕組みを参考に、リベラルアーツ教育では上下の学び合い、教え合いの仕組みを取り入れています。教育内容はコンテンツにも左右されますが、根本はやはり「人間教育」なのだと思っています。
MITもリベラルアーツを重視
山口
大学院生が後輩を教える。教えることでまた学びがあるということですね。東京科学大学のような理系の大学でリベラルアーツを重視するということを、意外に感じる人もいるかもしれませんが。
伊藤
人間教育というのは、その人が無意識的に信じ込んでいる固定観念を自覚して、別の可能性もあると知ることだと思っています。その助けとなるのが、違う考え方を持った人との対話です。われわれILAの教員は本学の中では「浮いた」存在なのですが、そうした存在と対話をすることで、学生が当たり前だと思っている価値観を疑うきっかけができます。例えば、理工系の学生は「再現性が重要」ということを教えこまれます。もちろん実験という意味ではそれは重要なのですが、それを金科玉条のように信じてしまうと、世界の見方がせばまってしまいます。たとえば私が教えているアートは、基本的に再現性がないことにも価値を見いだします。
山口
確かにそうですね。
伊藤
アートというものの価値をどう捉えるかを学生と議論する中で、「再現性がないことが価値を持つ世界もあるよね」ということを見いだしていく。そのように、自分とは異なる価値観を持つ他者との対話を通じ、ものの見方、考え方の軸を増やしていくことがリベラルアーツ教育です。それは理系か文系かを問わず、人間として必要なことだと思っています。
山口
アメリカで工科系の大学というとまず思い浮かぶMIT(マサチューセッツ工科大学)も、基本的にリベラルアーツを重視していますよね。テクノロジーの意味や価値、なぜ重要なのかということを人に語れないと、資金調達もできないし、社会実装も進まない。ですから、ナラティブをつくる力、プレゼンテーションや表現、コミュニケーションの力を磨くことに力を入れていると聞きました。
伊藤
私が以前、客員研究員としてMITに滞在していたときに感じたのは、彼らは「リベラルアーツ」という言葉を使わずにリベラルアーツを実践していたということでした。
SHASS(School of Humanities, Arts, and Social Sciences)と呼ばれている人文・芸術・社会科学の学部があるのですが、文系でも2億円近い外部資金を獲得している研究者もいますし、理系の研究者との共同研究も盛んに行っています。教育より研究に主眼がある、ということなのかもしれませんが、理系の大学の中の補完要素だとは彼ら自身も思っていなくて、組織の壁を気にせず各自がアメーバ状に研究者同士のネットワークを広げている印象でした。その柔軟さや引き出しの多さに感心させられました。
日本の人文社会系の研究者は、自分の専門領域から出ることをためらう人も多いですよね。社会全体としても、理系か文系かということがその人のアイデンティティのようになってしまっていて、そのことが日本の科学への関心の低さにもつながっているのかなと思います。(第2回へつづく)
伊藤 亜紗
美学者。東京科学大学 未来社会創成研究院/リベラルアーツ研究教育院 教授。MIT客員研究員(2019)。博士(文学)。主な著作に『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)、『手の倫理』(講談社)。第42回サントリー学芸賞、第19回日本学術振興会賞、日本学士院学術奨励賞受賞。
山口 周
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)、『ビジネスの未来』(プレジデント社)、『クリティカル・ビジネス・パラダイム』(プレジデント社)他多数。最新著は『人生の経営戦略 自分の人生を自分で考えて生きるための戦略コンセプト20』(ダイヤモンド社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。