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「第2回:暗黙知の継承」
現場の暗黙知をAIが継承
加治
せっかくなので阿部さんに、日立の現場のこだわりについて少し詳しく紹介していただこうと思います。
阿部
先ほど労働人口が減ってきているという話がありましたが、当然その中には経験豊富なベテランの方がリタイアすることも含まれます。長年かけて積み重ねてきた大切なノウハウを、どうやって引き継いでいくのか、日本だけでなくグローバルでも課題となっています。
これはベテランの方が音を聞くことで行っている判断を、AIで再現するというものです。熟練者はポンプの音だけでさまざまな情報をキャッチし、異常を検知して判断することができます。それをAIで再現して、現場をサポートする。具体的には、ポンプの音の特徴を聞き分けてAIがテキストで表現し、現在の状態を知らせます。例えば「ゲロゲロというカエルの鳴き声に似た音が含まれているので、フィルターを点検してください」というように、異常個所の特定とトラブルの回避方法をアドバイスしてくれる、そういう事例になります。
茂木
人間の直感というのは身体性からきているわけで、ベテランの方が体を使って現場で積み上げてきた暗黙知というのは、なかなかAIに置き換えられないと言われています。この事例のように、ベテランの技術がAIによってみんなで使えるようになれば、世代も国も越えて技術が継承されることになりますね。
人間中心のデザイン
阿部
この写真は1950年代のもので、左は家電の使用シーン、右はプロダクトのデザインを検討しているところです。日立はこの時代から、デザインをとても重視してきました。消費者が求めているものをデザインするためには、それが使われる家の家族構成や間取り、設置場所や使用状況などを根気強く、細かく記録しながら、プロダクトをデザインするということをやってきました。
その人間中心のデザイン思考は今に受け継がれています。ベテランの経験値を取り込むために、現場観察やインタビュー、AIによる動作観察といったことを日立ではデザイン部門の研究者が行っています。日立のデザイン部門には、プロダクトデザインを勉強した人だけでなく、心理学を学んできた人や教育を学んできた人など、多様な人財が活躍しています。
ダイキン工業様との協創
加治
同じ製造業同士の協創の事例で、ダイキン工業株式会社様とのチャレンジングな取り組みについても、ご紹介いただけますか。
阿部
ダイキン様とはこれまでもさまざまな協創を行ってきましたが、今回の取り組みは工場設備点検へのAIの導入です。熟練の保全マンは、工場設備で故障を発見した時に、その原因を特定し、対策を提示します。この工程を代替するAIエージェントを開発しました。現在は10秒以内に90%以上の精度で故障原因の特定と対策の回答ができており、経験の浅い技術者を十分にサポートできるとの評価をいただいています。
今回のダイキン様との取り組みでチャレンジしたのは、熟練者の勘・コツ・経験というものをどうAIに学習させるかということでした。私たちが注目したのは、熟練者が故障を発見した時にはまず図面を広げ、原因分析を行うというプロセスです。彼らが障害の把握から構造分析、欠陥の特定、対策の立案まで順序だてて行うプロセスを、AIに学習させました。さらに設備の設計図面の情報までAIに学習させ、熟練者の勘・コツ・経験をできる限りAIに継承しました。過去の故障履歴の学習だけでなく、こうしたより深い暗黙知を学習させたことが、現場で使えるAIエージェントの開発を可能にしたのです。
加治
そのAIエージェントが経験の浅い技術者を現場でサポートしているということは、ベテランの勘・コツ・経験が次の世代に継承されたことにもなりますね。
阿部
その通りです。それだけでなく、ベテランの能力を学習したAIが若い技術者を育て、若い技術者はベテランが経験したことのない新しい知識をAIに学習させる。人とAIがお互いを高め合う、そんな関係性まで構築できました。
茂木
今阿部さんが話された、AIと人が教え合う関係性というのは素晴らしいですね。僕も人間とAIは、お互いに能力を高め合うような、二人三脚でゴールをめざす関係であるべきだと思います。その具体的な取り組みとして、日立とダイキンの協創は、ジャパンクオリティにもつながる良いお手本ですね。
阿部
おっしゃる通りです。ダイキン様は世界28カ国90カ所以上の生産拠点で空調機器を生産するグローバル企業であり、海外工場での保全マンの確保や技術者の育成、保全品質のばらつきといった課題をお持ちでした。このAIエージェントは、そんなグローバルな課題を解決し、品質向上にも寄与するものと考えています。
加治
人とAIが高め合うことで、グローバルでの品質向上を実現するというのは、日立にとっても重要な学びになりますね。
阿部
そう思います。他にも、類似の事例がありまして、日立の大みか事業所では、AIに何を学習させるか、あるいはAIの回答に対する背景などをベテランと若手が一緒になって考えることで、現場のコミュニケーションが活性化し、人の育成・成長の新しいサイクルが生まれました。
第3回は、9月24日公開予定です。
茂木 健一郎(Kenichiro Mogi)
脳科学者
ソニーコンピューターサイエンス研究所シニアリサーチャー、東京大学大学院客員教授及び特任教授、「屋久島あおぞら高校」校長など、多彩な領域で役職を務める。専門は脳科学、認知科学。「クオリア」をキーワードとして脳と心の関係、あわせて近年は「AIと脳のアライメント」について研究。
阿部 淳(Jun Abe)
(株)日立製作所 代表執行役 執行役副社長 デジタルシステム&サービス事業責任者
1984年入社、DBや運用管理などソフトウェア開発に従事。以降、クラウドサービス、制御プラットフォーム、産業・流通向けシステム、産業系プロダクトなど国内外さまざまな事業統括を歴任。IT、OT、プロダクト事業の全般を率いた経験をもとに、Lumadaを中心とした日立のデジタル事業の拡大を推進
加治 慶光(かじよしみつ)
株式会社日立製作所 Lumada Innovation Hub Senior Principal。シナモンAI 会長兼チーフ・サステナビリティ・デベロプメント・オフィサー(CSDO)、鎌倉市スマートシティ推進参与。青山学院大学経済学部を卒業後、富士銀行、広告会社を経てケロッグ経営大学院MBAを修了。日本コカ・コーラ、タイム・ワーナー、ソニー・ピクチャーズ、日産自動車、オリンピック・パラリンピック招致委員会などを経て首相官邸国際広報室へ。その後アクセンチュアにてブランディング、イノベーション、働き方改革、SDGs、地方拡張などを担当後、現職。2016年Slush Asia Co-CMOも務め日本のスタートアップムーブメントを盛り上げた。