本連載恒例となった夏休み読書企画。今年も、楠木教授が休暇を過ごすことの多い長野県軽井沢町にある複合施設『軽井沢コモングラウンズ』で取材を行った。今月は、今もその価値が色あせることのない経営者必読の名著を、毎週1冊解説していただく。最終回となるその4で取り上げるのは、沼上幹(ぬまがみつよし)の『小倉昌男 成長と進化を続けた論理的ストラテジスト』。
「第1回:『競争の戦略』マイケル・E・ポーター」はこちら>
「第2回:『プロフェッショナルマネジャー』ハロルド・ジェニーン」はこちら>
「第3回:『ザ・会社改造』三枝匡」はこちら>
「第4回:『小倉昌男』沼上幹」
※ 本記事は、2025年5月16日時点で書かれた内容となっています。
最後に紹介したい本は、PHP研究所の日本の起業家というシリーズの『小倉昌男』です。著者の沼上幹さんは僕の先輩の経営学者で、長く一橋大学にいらしたとても深い考察をする方です。小倉昌男さんは、ご存知のようにヤマト運輸(現ヤマトホールディングス)の経営者として宅急便という物流のイノベーションを起こした人物です。
『小倉昌男』沼上幹著 PHP研究所
本当に偉大な人物ですから他にも評伝は出ていますし、小倉さんご自身が『経営学』というタイトルで本も書かれていて広く読まれています。それにしても、沼上さんが書かれた『小倉昌男』という本は、構成が素晴らしい。小倉さんの薫陶を受けた方のインタビューが第3部としてありますが、大きくは2部で構成されていて、第1部は評伝です。小倉昌男が経営者としてどういうふうに進化し、成長してきたかという軌跡を振り返るもので、僕はいろいろある評伝の中でも本書がベストだと思います。
第2部はそれ以上にいい。第1部の評伝をベースに、稀代のストラテジストである小倉昌男の緻密な思考を読み解く論考になっています。つまり小倉昌男の生涯の軌跡を知った上で、その論理を読み解くという構成になっていて、そこにこの本の神髄がある。
前回の三枝匡さんと同じように、経営者の熱き心と論理とを併せ持つ「鬼と金棒」に結果的になっています。沼上さんという学者が小倉昌男という深い経営経験を持っている人を題材に、自身の論理を展開している書です。
第1部を読むと、小倉昌男といえどもはじめから完成した経営者ではなかったことが良くわかります。彼がどうやって成長していったのか、経営者として仕上がっていく過程がしっかりと書かれています。それに続く第2部の論考は、「ここまでやるか」というほど突き詰めた論理の解読が行われていて、沼上さんの持ち味が存分に発揮されています。商売が全体として作動していくメカニズムを大局観と言うならば、この本を読めば、多くの人が「大局観とはこういうことか」とつかめる。大局観=その人に固有の論理であるということがよく分かります。
当時、なぜ宅急便がなかったのか。それは誰もが絶対に儲からないと思っていたからです。そこには業界が持つ強固な固定観念がありました。しかし小倉昌男は、「サービスが先、利益は後」という有名なコンセプトで参入を決めます。これは、もちろん世のため人のために利益を犠牲にしてということではありません。サービスと利益は、表面的にはトレードオフの関係にあるわけです。なので多くの経営者は短期的な視点でバランスを取ろうとします。しかし小倉昌男は、長期的な視点からそこで作動するメカニズムを想像し、質の高いサービス提供を優先することがさまざまな好循環を生み、より大きな利益として返ってくることを見抜き、実行したわけです。この論理が新しい社会インフラとなる宅急便の成功につながりました。
小倉昌男という偉大な経営者の思考や洞察を、沼上さんが丁寧に噛み砕いて教えてくれる。もし経営学の本格的な教科書というものがあるとすれば、僕は第1部が経営者の評伝で第2部が論考というこのフォーマットが一番有効だと思います。
ただ、この種の本を書くにはとてつもない能力と労力がかかります。沼上さんに「あと5人ほどの経営者を取り上げて同じフォーマットで書いてください」と言っても、無理だと言われるでしょう。もしかすると一生に1冊しか書けないかもしれない、それほど『小倉昌男』は傑作です。
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(撮影協力:軽井沢コモングラウンズ 軽井沢書店 中軽井沢店)
『楠木建のEFOビジネスレビュー』特設コーナーのお知らせ
取材にご協力いただいた軽井沢コモングラウンズ 軽井沢書店 中軽井沢店に、今回の記事でお薦めしている書籍や楠木教授の書籍を取り揃えた特設コーナーを設置していただきました。軽井沢にお出かけの際には、ぜひお立ち寄りください。
(コーナー設置期間:~2025年9月1日まで)
Karuizawa Commongrounds
〒389-0111
長野県北佐久郡軽井沢町長倉 鳥井原1690-1
お問い合わせ:0267-46-8590
楠木建(くすのきけん)
経営学者。一橋大学特任教授(PDS寄付講座およびシグマクシス寄付講座)。専攻は競争戦略。企業が持続的な競争優位を構築する論理について研究している。著書として『楠木建の頭の中 戦略と経営についての論考』(2024年、日本経済新聞出版)、『絶対悲観主義』(2022、講談社)、『逆・タイムマシン経営論』(2020、日経BP、杉浦泰との共著)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。