本年7月8日に発売される新著『トリニティ組織:人が幸せになり、生産性が上がる「三角形の法則」』(草思社)では、その特徴を深耕し、生成AIがもたらす変化を成長機会として生かすことができる組織の要件を提示している。知的生産のあり方が大きく変容しつつある中で、組織に迫られる変革とは。そして生成AIがもたらす変化を私たちはどう捉えるべきなのか。矢野フェローに訊いた。
「前編:幸せで生産的な組織に多いつながりの形」
「後編:生成AIは第二の科学革命をもたらした」はこちら>
本質的に重要なのは三者関係である
――『予測不能の時代』を上梓されてから約4年となりますが、今回の新著『トリニティ組織』は前著で提示した「幸せで生産性の高い組織」の、具体的なあり方に踏み込んだ内容となっているようですね。
そうですね。前著『予測不能の時代』では、ビジネスや人生において、予測できない未知の変化に立ち向かい、生産的であり続けるためには「幸せ」な状態にあることが重要であると説き、幸せな組織とそうでない組織の違いを解明しました。
組織も個人も幸せだと生産的が高いということは、それ以前から経験的に何となくわかっていたと思います。ただ、幸せな状態にあるかどうかを調べる方法が、アンケートで主観を訊ねるとか、心理学、社会学、経営学といった側面からの分析に頼らざるを得ず、解像度もデータ量も足りませんでした。そこでわれわれは、20年あまりかけて集めてきた計測データに基づいた定量的な分析により、幸せで生産性の高い組織の普遍的な四つの特徴を明らかにしたのです。
その特徴の一つが「つながりに格差や孤立がないこと」、つまりフラットであるということです。そして、実はそれこそが幸せで生産性の高い組織を決定づける「ファクターX」ではないかと考え、今回の新著『トリニティ組織』では、フラットなつながりとはどのようなもので、なぜ重要なのかということについて掘り下げています。
――フラットなつながりのポイントは何でしょうか。
「孤独にしない」ということです。現代社会では孤独が大きな社会問題の一つであり、組織の中でも孤独、孤立がメンタルヘルスに影響したり、生産性を低下させたりしています。ただ、孤独を防ぐには単にコミュニケーションを増やせばいいわけではありません。周囲の人との「つながりの形」が重要なのです。対人関係というと、相性とか好き嫌いなど二者関係で考えがちですが、ビッグデータ解析の結果、本質的に重要なのは三者関係であることがわかりました。
三者関係はV字形と三角形に分けられます。A、B、Cの3人がいたとして、AさんはBさん、Cさんそれぞれとよく会話するという状況で、BさんとCさんにつながりがないとAさんを起点としたV字形の関係、BさんとCさんもよく会話する関係なら三角形になります。
V字形の関係は情報の流れが一方的になり、孤独を招きがちです。実際にV字形が多い組織は幸福度も生産性も低く、三角形のつながりがたくさんある組織ほど幸福度も生産性も高いことがデータから明らかになっています。組織のメンバーそれぞれが一方向ではなく二方向以上のつながりを持っていることにより、情報の流れに偏りがなくなり、孤立感を感じにくくなるのでしょう。
ところが、従来型の組織はどうしてもV字形が多くなりがちでした。
生成AIによる知のオープン化が組織を変える
――それはなぜですか。
ビジネスで重視される「ロジカルであること」が、V字の関係を生み出す要因となっているのです。例えば、プロジェクトを細分化・階層化して管理するWBS(Work Breakdown Structure)や、情報を整理する際に用いるMECE(Mutually Exclusive, Collectively Exhaustive)のように、上から順に枝分かれさせる形で対象となる要素や課題を分解して整理するということが、ロジカルシンキングの基本的なフレームワークとして推奨されています。企業も、組織図に象徴されるように縦のつながりばかりで構成され、横のつながりがないという状況が当たり前になっており、気がつけば組織内の対人関係もV字形ばかりになっています。
19世紀の軍隊にルーツを持つ、そのような階層型の組織は、20世紀の工業社会、大量生産の時代にはうまく機能していました。しかし、21世紀の知識社会、知識が知識を生み出し知識の掛け合わせによって新たな価値を創造する社会では、通用しなくなりつつあります。特に、生成AIの登場により誰もが簡単に膨大な知識を活用できるという知識のオープン化が実現されたことは、組織のあり方に大きな転換を迫っています。
――生成AIが組織のあり方を変えてしまうということでしょうか。
旧来の階層型の組織には、仕事の意思決定と責任を分担するという目的があります。意思決定には情報や知識が必要ですが、大量生産時代の標準化された仕事であれば、上の階層から与えられた自分の担当範囲の情報と知識さえあれば意思決定ができ、仕事もうまく回っていました。一方、知識社会の創造性が求められる仕事では、自分の担当範囲の情報と知識だけでは意思決定できません。私は山形県の出身ですが、山形県の未来を考えて価値を創造する仕事は、山形県のことだけ知っていてもできませんよね。日本全体はもちろん、世界全体の動きに関する知識もなければならない。知的生産的な仕事はすべてそういうものでしょう。
そこに登場したのが生成AIです。生成AIによって人間は、デジタル化されネットワーク上でアクセスできる知識であれば、ありとあらゆる知識を簡単に活用することが可能になりました。
人間の知性や創造性というものは個人個人のアタマの中にあると思われがちですが、実はそうではなく、人と人とのつながり、相互作用の中で生じるものです。ルネサンス期にイタリアのフィレンツェでダヴィンチやミケランジェロやラファエロやマキャヴェリといった数々の天才が現れて芸術と文化が花開いたのは、彼らがそれぞれ個別に突然賢く創造的になったからではありません。地理的・歴史的条件が重なり、メディチ家のような大富豪の支援のもとで聖職者や知識人などの知のネットワークが形成され、その相互作用の中で、もともと持っていた才能が高められた結果です。いわばコレクティブインテリジェンスの産物ですね。
生成AIを活用することで人間は、自分の外側にある膨大な知識との相互作用を起こすことが可能になりました。これは、本格的な知識社会が幕を開けるための基盤が整ったことを意味します。生成AIとの相互作用で創造性を高めた個人個人が、三角形のつながりの中で相互作用を起こすことでさらに創造性を高める。それはいわば知識の三位一体化であることから、そうした三角形がたくさんある組織を「トリニティ組織」と名づけました。これからの時代、トリニティ組織こそが生産性を飛躍的に高め、生き残っていくでしょう。19世紀から続いてきた階層型組織が大きく変わる転換点にわれわれはいるのです。(後編へつづく)
矢野 和男
株式会社日立製作所 フェロー 兼 株式会社ハピネスプラネット代表取締役CEO
1959年山形県酒田市生まれ。1984年早稲田大学物理修士卒。日立製作所入社。同社中央研究所に配属。2007年主管研究長、2015年技師長、2018年より現職。博士(工学)。IEEE Fellow。
1993年単一電子メモリの室温動作に世界で初めて成功し、ナノデバイスの室温動作に道を拓く。2004年から先行して実社会のデータ解析で先行。
論文被引用件数は4500件、特許出願350件以上。大量のデータから幸福度を定量化し向上する技術の開発を行い、この事業化のために2020年に株式会社ハピネスプラネットを設立し、代表取締役CEOに就任。ウエルビーイングテックに関するパイオニア的な研究開発により2020 IEEE Frederik Phillips Awardを受賞。