一橋大学特任教授(PDS寄付講座競争戦略およびシグマクシス寄付講座仕事論)楠木建氏
人間の仕事は、生成AIをはじめとするデジタルテクノロジーに代替されてしまうのか。そんな議論が繰り返される中、改めて人間が持つ潜在能力に注目し、それを引き出そうという提案が「好き嫌いHR(ヒューマンリソース:人的資源)」だ。以前から人間の好き嫌いを深掘りしてきた楠木教授独自の考察と論理を、今月はじっくりとご披露いただく。その3では、生成AIなどのデジタルテクノロジーで、スキルとセンスの価値はどうなるのかを考える。

「第1回:「良し悪し」と「好き嫌い」」はこちら>
「第2回:努力の娯楽化」はこちら>
「第3回:スキルのデフレ化とセンスの価値」

※ 本記事は、2025年4月25日時点で書かれた内容となっています。

「好き嫌い」と「良し悪し」という区別は、以前山口周さんと一緒に作った『「仕事ができる」とはどういうことか?』という本の主題になっていた「スキル」と「センス」に重なるところが多くあります。スキルというのは、努力すれば身に付く能力のことです。一方でセンスというのは全く別の問題で、例えば異性にモテるというのは典型的なセンスの問題になります。スキルを勉強してもモテないやつはモテない。これがセンスです。

スキルというのは「私はTOEICが900点です」といったように、人に見せる、示せる、測れるという特徴があります。ところがセンスには、客観的な物差しがありません。例えばおしゃれのセンスがない人は、努力をしてもずっとないまま。むしろ努力が悪い方に出ることさえあります。投入努力と成果の因果関係が不明確なのがセンスです。スキルには、教科書とか学校とか研修といったそれを開発する定型的な方法がありますから、自分で育てることができます。一方のセンスは、そうした定型的な方法がないので、直接的には育てられません。

スキルとセンスをこのように対比すると、企業ではスキルが優位な理由がはっきりします。つまりスキルの特徴が、企業の目的にマッチしているのです。努力すれば身に付くのでモチベーションが生まれますし、インセンティブとして活用することもできます。しかも、優れた開発の方法論があり、どんどんいいものが低コストで出てくるので、とても取り組みやすい。

僕は別にスキルが要らないと言っているのではなく、仕事はスキルとセンスの掛け算で成果が出ると思っています。けれどもこれは全然違う性格のものなので、ごっちゃにしてはいけない。「混ぜるな危険」、それがスキルとセンスです。

そういう視点から、生成AIなどのデジタルテクノロジーを見てみます。生成AIはChatGPTをはじめいろいろと出てきましたが、これはインターネットと同じような基盤的な技術ですから、今後あらゆるところで使われていくのは間違いないことです。AIが人間を凌駕するという人がいますが、当たり前です。テクノロジーの本質というのは、人間がそれまでやっていたタスクの外部化です。別にAIにかかわらず、産業革命のときの蒸気機関も自動車も飛行機も、電卓だってそうなんです。

産業革命で蒸気機関が使われるようになって、それまでと比べて重いものが持ち上げられるようになった。それは人間がやっていたことがテクノロジーに外部化されるということです。ではなぜ外部化されるのか。それは人間よりもうまくできるからです。ということは、AIもある特定の領域について人間を凌駕できなければ技術として存在する意味がない。

だからAIが人間を凌駕することを心配する人は、「新幹線が人間の走るスピードを凌駕する」と言っているようなもので、人間を凌駕するからテクノロジーなのです。そういう意味でも便利なツールとしてAIはどんどん使われていくでしょう。それを使いこなすスキルは絶対に必要です。

ただ、AIも熾烈な競争下にありますから、人間にとって使いやすい方向に急速に進化していきます。つまり、AIに外部化された知識やスキルは、いずれ誰もが使いこなせるようになる。それは人間のスキルの価値を低下させますから、これまでスキルを持たなかった人ほどAIの恩恵を受けることになります。

昔は足が速い人はすごく大切で価値があった。ところが今、会社の面接で「僕は足がすごく早いんです」という人はあまりいません。つまりそのスキルは、テクノロジーが出てきたことによって価値を失った。いわゆる「スキルトラップ」です。

AIも例外ではありません。どんどんスキルが外部化されていくと、何か定型的なチェックをするとか、文章を作成するとか、ある問題に対する複数のアプローチを考えるとか、これまで人間がスキルを持ってやっていたことがAIへと外部化されていくわけです。

しかし複数出たアプローチの中で、どれにするかという意思決定はAIに任せるわけにはいきません。あるいはもっと手前で、何が問題なのかについての洞察や、さらに手前でそもそもわれわれ何のためにこの問題と取り組んでいるのか、といったことになるとAIではどうしようもない。これは、スキルがデフレ化していくのに対して、センスの価値はますます上がっていくということです。

ということは、これからは仕事の場においてもスキルよりセンスがものを言うようになる。音楽とか洋服とか、そういう文化的な活動で「あの人センスがいいね」と言われているセンスが、仕事の場で求められるようになってくるはずです。しかしセンスにはインセンティブが利きません。センスをドライブする源泉は、その人がそれを非常に好きだということしかない。ですから、仕事においても「好き嫌い」が重要になってくるわけです。

第4回は、7月28日公開予定です。

楠木建(くすのきけん)
経営学者。一橋大学特任教授(PDS寄付講座競争戦略およびシグマクシス寄付講座仕事論)。専攻は競争戦略。企業が持続的な競争優位を構築する論理について研究している。著書として『楠木建の頭の中 戦略と経営についての論考』(2024年、日本経済新聞出版)、『絶対悲観主義』(2022、講談社)、『逆・タイムマシン経営論』(2020、日経BP、杉浦泰との共著)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。