※ 本記事は、2025年4月25日時点で書かれた内容となっています。
僕は競争戦略という分野で仕事をしていますが、そこから派生したものとして経営論や仕事論についての本も出しています。「好き嫌い」という基準にこだわっていた時期がありまして、その頃に4冊ほど本を作りました。センスにあふれた経営者の方々と好き嫌いを軸に対談した『「好き嫌い」と経営』、その続編としてアスリートや小説家などにジャンルを広げて対談をした『「好き嫌い」と才能』。仕事論をまとめた『好きなようにしてください たった一つの仕事の原則』『すべては「好き嫌い」から始まる 仕事を自由にする思考法』という4冊を、僕は勝手に「好き嫌い4部作」と呼んでいます。
全部に共通しているメッセージは、「好き嫌いの復権」です。世の中は気がつくと「良し悪し」という基準が優先して、結果的に「好き嫌い」が劣後する傾向にあります。しかし経営にしても仕事にしても、本当に大切なのは「好き嫌い」だということを僕は伝えたかったのです。
「好き嫌い」と言うと何かふわふわした言葉に聞こえがちですが、僕の定義では「好き嫌い」でないものが「良し悪し」、「良し悪し」でないものが「好き嫌い」です。どちらも価値基準なのですが、世の中で普遍的なコンセンサスが成立している価値基準のことを一般に「良し悪し」と言っています。これは良いことだ、悪いことだというように誰もが共通の価値基準で判断できるようなものは「良し悪し」です。一方で、特定の組織や個人だけの価値基準というものもあって、その局所的な「良し悪し」のことを「好き嫌い」と言ってるわけです。
例えばいくら「好き嫌い」が大切だと言っても、「俺は人殺しが大好き」という考えは決して許されません。それは日本の場合、刑法199条で「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する」という法規定があり、この法律は民主的な選挙で選ばれた人たちが国会で意思決定しているわけで、相当高いレベルで普遍的なコンセンサスが成立している価値基準です。人を殺すことは悪いことであるというのは、「好き嫌い」ではなく「良し悪し」の問題です。
一方で「ユニクロとZARA、どっちが好き?」と聞かれて、「僕はユニクロの方がいいな」「私はZARAのほうが好き」、これは個人に局所的な「好き嫌い」の問題です。「お昼ご飯、カツ丼か天丼どっちにする?」と聞かれた時に、「僕は天丼で」というのも、完全に個人に局所的な「好き嫌い」です。
つまり、一般的な普遍性が高まるほど「良し悪し」の問題になり、局所的になればなるほど「好き嫌い」の問題になる。別な言い方をすると、普遍的なコンセンサスが成立している価値基準は「文明」、シビライゼーションです。一方局所的な価値基準は「文化」、カルチャーです。このように「良し悪し」と「好き嫌い」を対比して考え、「良し悪し」でないものを「好き嫌い」、逆もまた真なりというのが僕の定義です。
何度か言ってきたことではありますが、仕事に関しても僕は対概念とセットで定義していまして、「趣味でないものを仕事」「仕事でないものを趣味」だと考えています。趣味というものは、100%自分のためにやるもの。自分がうれしければ全てOK。一方で仕事というのはそれと裏腹になっていて、自分以外の誰かのためになってはじめて成立するものです。つまり釣りは趣味だけれども、漁師は仕事です。
これも何度も話してきたことですが、僕の趣味はロックバンド“BLUEDOGS”です。これは100%自分たちが気持ち良くなるためにやっている活動ですから、自分たちがうれしければ本来は全てOKなんです。やっかいなのは人前でライブをやりたくなるということで、なぜかといえばスタジオで演奏するよりも自分たちが気持ちいいから。しかも観客が多ければ多いほど気持ちがいいので、僕はもうやめたくて仕方がないFacebookを、ライブの告知のためだけに離脱できないでいます。
しかし機会を見ては告知しているにもかかわらず、ライブに足を運ばれる人はほとんどいません。何でお客さまが来ないのかというと、それは価値がないからです。なぜ価値がないかというと、趣味だからです。プロは仕事ですから、お客さまのために演奏するわけですが、われわれはお客さまのためにやっていないので、結果として誰も来ない。これは趣味と仕事の違いをはっきりと指し示す例だと思います。
このように趣味と仕事を整理しますと、自分を満足させる趣味は「好き嫌い」で良い。しかし自分以外の人を満足させる仕事は、「良し悪し」でなければならない。そう考えがちですが、僕は仕事こそ「好き嫌い」が重要だと思っています。これについては、また次回。
第2回は、7月14日公開予定です。
楠木建(くすのきけん)
経営学者。一橋大学特任教授(PDS寄付講座競争戦略およびシグマクシス寄付講座仕事論)。専攻は競争戦略。企業が持続的な競争優位を構築する論理について研究している。著書として『楠木建の頭の中 戦略と経営についての論考』(2024年、日本経済新聞出版)、『絶対悲観主義』(2022、講談社)、『逆・タイムマシン経営論』(2020、日経BP、杉浦泰との共著)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。