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「第3回:「学歴無用論」」
※ 本記事は、2025年3月31日時点で書かれた内容となっています。
その2で紹介した盛田昭夫さんの「会社は遊園地ではない」は、翌年の1966年に「学歴無用論」という書籍となり、日本の現状に一石を投じます。約60年前のことなのですが、面白いことに今のジョブ型雇用を巡る議論とほとんど同じ話をしています。
当時のアメリカの企業が人を募集する時には、どういう仕事をやってもらいたいかを細かく記述した仕様書を作って公開する。職務記述書(ジョブ・ディスクリプション)です。そこにはどんな能力を持った人に何をしてもらいたいかが明示されていて、就職を希望する人は、その仕様書を見て自分の能力や適性を考えた上で応募してきます。そして給与や勤務条件、契約期間といったさらに細かい条件を話し合い、双方の要求が折り合うと契約書が交わされて雇用関係が成立する。アメリカだけでなく、ほとんどの国で行われている普通の雇用形態です。
ところが1965年の日本では、あまりにも漫然と採用が行われていました。応募する側は、自分の能力や適性ではなく、組織が大きくて安定しているというような会社の評価で就職先を選んでいた。採用する会社の方も、この人は優秀な大学を出ているとか学校の成績がいいといった理由で採用通知を出していた。盛田さんはそこを問題にしたわけです。
当時の日本企業は、実際の仕事とは関係なく採用を行い、ほとんど無条件にその人の一生を保証するという雇用を行っていた。つまり明確な理由もなく採用した人たちに、会社の将来を委ねていた。これは非常に恐ろしいことではないかという考えが、「学歴無用論」になっていきます。
「学歴無用論」における盛田さんの問題意識のコアは、「そもそも学歴は何を意味しているのか」ということです。会社というのは厳しい競争の中で実力勝負しなければならない。にもかかわらず、そこで働く人を大学や学部だけで決めるというのは明らかにおかしい。日本における仕事本位の実力主義を妨げている最大の要因は、学歴重視である。この盛田さんの問題提起は、受験戦争が過熱していた日本社会にインパクトを与えました。
彼の持論は、「楽しい職場」は大切だけれどもそれはあくまでも遊びとは違う仕事の楽しさであるべきだ。仕事の楽しさというのは、働いている側も雇用している側もお互いが評価し合うことを通じて、新しい可能性が開けていく経験をすることが仕事の楽しさであって、それを追求するのが会社だということです。
この盛田さんの指摘というのは、本質を突いていると思います。今になってメンバーシップ型雇用からジョブ型雇用への移行が急務だと言われますが、当時から会社が仕事をする組織だったことは変わらないわけで、仕事本位で採用するのは当然のことです。ジョブ型雇用にも際限ないほどのバリエーションがありますが、僕は仕事である以上、ジョブ型以外の雇用はないと思っています。
「ジョブ型雇用は日本の文化には合わない」と言う人がいます。しかし、僕は100年続かないものは文化と言うべきではないという考えです。100年前の日本における労働市場の流動性はアメリカより高く、アメリカの方がよっぽど長期雇用でした。当時アメリカの企業に学びに行った人たちは口を揃えて言っていました。会社が大きな家族のように経営されているので、技術が蓄積されて大企業のモノづくりが発達する。ところが日本では、労働市場の流動性が高過ぎていつまでたっても大企業のモノづくりができない――今と逆です。つまり、俗にいう「日本的な雇用」は戦後復興から高度成長期にかけての特殊状況に適応しただけの話で、日本に固有の文化ではありません。
雇用を文化論にするところがそもそもヘンです。盛田さんが言っていたように会社は働くところ・儲けるところで、お互いを厳しく評価し合って事業を進めるところだという原理原則に徹するべきです。幸いにして、今の日本は労働市場の流動性も高まり、昔ほどの理不尽や非合理も少なくなりました。学歴重視で採用しているのはもはや一部だと思います。盛田さんの「学歴無用論」から60年、日本もようやく普通の雇用に近づきつつあります。
第4回は、6月23日公開予定です。
楠木建(くすのきけん)
経営学者。一橋大学特任教授(PDS寄付講座競争戦略およびシグマクシス寄付講座仕事論)。専攻は競争戦略。企業が持続的な競争優位を構築する論理について研究している。著書として『楠木建の頭の中 戦略と経営についての論考』(2024年、日本経済新聞出版)、『絶対悲観主義』(2022、講談社)、『逆・タイムマシン経営論』(2020、日経BP、杉浦泰との共著)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。
楠木特任教授からのお知らせ
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この10年ほどX(旧・Twitter)を使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。
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「楠木建の頭の中」は僕のXの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
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