楠木教授が子どもの頃から夏休みを過ごし、今も頻繁に訪れる長野県軽井沢町。今回は夏期休暇の読書がテーマということで、軽井沢の静かな森の中にある複合施設『軽井沢コモングラウンズ』にて取材を行った。今月は4回に渡り、休暇の時にぜひ読んでいただきたい楠木教授お薦めの本を毎週2冊紹介していく。第1回は、忙しすぎる毎日を過ごしている人たちに、時間や生活への新しい視点を与えてくれる『限りある時間の使い方』『簡素な生き方』。

「第1回:『限りある時間の使い方』『簡素な生き方」
「第2回:『訂正する力』『不思議な宮さま』」はこちら>
「第3回:『方丈記』『資本主義の中心で、資本主義を変える』」はこちら>
「第4回:『引越貧乏』『宿六・色川武大』」はこちら>

※ 本記事は、2024年6月10日時点で書かれた内容となっています。

夏休みの読書ということで、普段の仕事を離れて自分を振り返るための2冊を取り上げてみました。1冊目は、オリバー・バークマンの『限りある時間の使い方』。タイトルだけを見るとよくある時間管理のハウツー本のように見えますが、中身は全く逆。そこに大いに共感しました。

『限りある時間の使い方』 オリバー・バークマン著 かんき出版

「タイム・イズ・マネー」というように、時間とお金は人間にとってどちらも大切な資源です。ただし、時間にはお金とは違う3つの特徴があります。まず第1に、時間は有限だということです。著者も、「人生は4,000週間しかない」ということを強調しています。第2に、時間は貯蔵できないということです。時間富裕層というのは存在しません。しかも第3に、時間は平等です。誰もが1日は24時間しかありません。

人生は時間の使い方そのものなので、いかに少ない時間で多くのタスクをこなすかという「タイムマネジメント」の話になりがちです。しかしこの手の話は何のために効率を向上させるのか、という目的が欠落しています。目的もわからず目の前のタスクを効率的にこなしていると、生産性が上がるほどできる仕事が増えてますます忙しくなる。これが「生産性の罠」です。時間が有限である以上完璧な効率化というのはありえない。コントロールしようとすればするほどコントロールが効かなくなるのが時間の厄介なところです。

時間と戦っても絶対に勝てない。だから、時間は限られているという元も子もない現実を直視し、味方にするべきだというのがこの本の主張です。ひたすら生産性を上げようとして目先の仕事にかまけていると、かえって自分にとって何が大切なのかが分からなくなる。忙しさというのは、選択肢を多く持っていたい、確保しておきたいという誘惑からくるので、選択肢を絞るというのが限られた時間を味方にするカギになります。

可能性が無限に広がっているというのは気のせいで、それを追いかけていたら時間がいくらあっても足りない。それよりも自分にとって大切なことを主体的に選び取ることが重要です。チャンスを逃したらどうしようと思う人が多いのですが、実際のところ人間はほとんどのチャンスを逃しているわけです。もう全部手に入れるという幻想を手放して、一握りの重要なことに集中するべきだ、ということです。

だからといって、本当に自分がやるべきことは何も大それたことである必要はない。ミケランジェロやアインシュタインと同様の業績をめざすのは、期待値の設定が間違っている。社会変革とか、壮大な宇宙レベルのことをめざす必要は全くない。スティーブ・ジョブズでさえ宇宙には何の影響も与えていない。人間一人ひとりは浜辺の砂粒みたいなもので、そんな砂粒の集積で社会は成立しています。著者の社会観、人間観に僕は共感します。

『簡素な生き方』 シャルル・ヴァグネル著 講談社

次に紹介するのが、シャルル・ヴァグネルの『簡素な生き方』です。1895年に出版された本ですが、今読んでも新鮮な内容になっています。

著者の言う簡素というのは、豪華でないことではありません。複雑で不安定なことの対語として簡素という言葉を使っています。

著者の目から見た当時の人は、みんな自分の境遇に不満を覚えて、物理的な欲求に振り回され、未来への不安にとらわれている。情報があふれているにもかかわらず、真実を知ることが難しくなっている。いったいこれはなぜなのか――著者の問題意識はそのまま今に当てはまります。

お金があればあるほど必要なものが増えていき、持っているものが多いほど持っていないものへの執着心にかき乱されるという矛盾に陥る。そうならないためには、心の掟(おきて)に従って生活すること。自分の望みや行動が心の掟と一致している状態が、この著者の言う「簡素な生活」です。この状態を逸脱すると、人はどんどん複雑で不安定になっていく。簡素な生活を送るために大切なこと、それは身近な人に対する単純な義務を果たすことだと著者は言っています。

『限りある時間の使い方』と共通していますが、水平線の彼方にあるような素晴らしいものにばかり心を奪われて、人類とか社会のために情熱を注ぐ。そういう人は、すぐそばにある人々の問題には目もくれないことが多い。それよりも自分の関わりのあることに専念しようというのが著者のメッセージです。

『簡素な生き方』では、お金に対して持つべき規律を非常に厳しく論じています。人間の生き方が複雑になる根本には、やっぱりお金がある。仕事をして報酬を受け取るのは当然の行為ですが、仕事をしている時に報酬のことしか頭になくなると、心の掟は崩れていく。これでどれぐらい儲かるかということを基準に仕事をする人間に、大した仕事はできない――肝に銘じたいと思いました。

今月は休暇の読書にお薦めしたい本というテーマで、8冊の本を紹介します。せっかくの休暇が、やりたいことリストをこなしていくような時間にならないよう、ぜひゆったりと好きな本でも読みながらお過ごしください。

「第2回:『訂正する力』『不思議な宮さま』」はこちら>

(撮影協力:軽井沢コモングラウンズ 軽井沢書店 中軽井沢店)

『楠木建のEFOビジネスレビュー』特設コーナーのお知らせ

取材にご協力いただいた軽井沢コモングラウンズ 軽井沢書店 中軽井沢店に、今回の記事でお薦めしている書籍や楠木教授の書籍を取り揃えた特設コーナーを設置していただきました。軽井沢にお出かけの際には、ぜひお立ち寄りください。
(コーナー設置期間:~2024年9月1日まで)

Karuizawa Commongrounds
〒389-0111
長野県北佐久郡軽井沢町長倉 鳥井原1690-1
お問い合わせ:0267-46-8590

楠木 建(くすのき けん)
一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授。専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授、同ビジネススクール教授を経て2023年から現職。有名企業の経営諮問委員や社外取締役、ポーター賞運営委員(現任)などを歴任。1964年東京都目黒区生まれ。

著書に『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2019年,宝島社,共著)、『室内生活:スローで過剰な読書論』(2019年,晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年,文藝春秋)、『経営センスの論理』(2013年,新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年,東洋経済新報社)ほか多数。

楠木特任教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどX(旧・Twitter)を使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける

「楠木建の頭の中」は僕のXの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。

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