2005年の入社以来、通天閣の潜在能力を引き出すべく変革に取り組み続けてきた高井隆光氏。最終回では、通天閣観光株式会社という組織に対して高井氏が行った改革、そして通天閣と大阪、関西のこれからについて伺った。

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「第5回:職場環境としての通天閣の魅力」

インバウンドと従業員定着

――冒頭で、高井さんが通天閣に入社当時の従業員数は、アルバイトを含めてわずか10人だったとのことですが、現在はアルバイト登録を含めて総勢80人いらっしゃるというお話がありました。職場環境の点ではどのような課題があり、改革に取り組んでこられましたか。

高井
入社当時は入場者数が芳しくなかったこともあり、少ない人数で運営せざるをえないという事情から週休1日制が続いていました。また、アルバイトも低賃金で雇用せざるを得ない状況でした。そこでまずは、数字の面で他企業より劣っている点をなくそうと、待遇面の改善から着手しました。現在は従業員の年間休日が120日以上ありますし、アルバイトの賃金もかなり向上しました。

通天閣観光株式会社 高井隆光氏

待遇面の改善に加え、従業員一人ひとりが自分の仕事に魅力を感じられるような経営努力も続けています。基本的には、事細かに指示を出すのではなく、個々の意見を尊重するスタンスをとっています。その代わり、責任を持って目の前の仕事に取り組んでもらう。そうすることで、一人ひとりがやりがいを感じられる――そんな好循環が生まれています。

お客さまと接する商業エリアだけでなく、従業員が使用するバックヤードも改装し、働きやすい職場環境づくりに努めました。同時に、「大阪のシンボルである通天閣で働いている」ことへの矜持や魅力について日々、従業員に伝えるコミュニケーションを欠かしません。

――従業員のロイヤルティという点ではかなり高い状態を維持できているのでしょうか。

高井
そうですね。僕が入社した2005年頃は、従業員の定着率と高齢化が大きな課題でした。

潮目が変わったタイミングは、インバウンドが増え始めた2014年以降です。それまで入場者数の少なかった平日に外国人観光客がたくさんいらっしゃるようになり、一週間を通じてコンスタントにアルバイトを雇用する必要が生じたのです。入場者数を増やす目的で海外向けに仕掛けたプロモーションが、従業員の安定雇用をもたらしたわけです。

特に20代の活気ある入社希望者が増えています。若年層が新世界に持っているイメージも、かつての「ディープで夜は怖い街」から「大阪らしい賑やかな下町」に変化していますし、通天閣で働くことで「外国人のお客さまとのやりとりを通じて語学を学べる」というメリットも生まれています。やはり、若い方が安心して働ける職場環境が整って初めて、会社の将来を見据えて経営ができる。今、あらためてそう思います。

通天閣2階、エレベーター前の通路。電車の車内を模した内装で、エレベーター待ちの観光客を楽しませる工夫がなされている

コロナ禍で浮き彫りになった社会との絆

――コロナ禍における通天閣の運営についてお聞きします。大阪のシンボルとして、通天閣はどのように機能したのでしょうか。

高井
2020年4月に緊急事態宣言が出されたあと、突然マスコミから連絡が来ました。吉村洋文大阪府知事が府の新型コロナウイルス対策本部会議でこのような趣旨の発言をされたそうです――「大阪モデル(※)」に基づくコロナ感染状況の警戒度を、色で府民に伝えられないものか。例えば通天閣のようなシンボリックな施設に協力してもらって――。驚きましたが、感染拡大のストップに少しでも貢献できればと、すぐに協力することを決定しました。その後、府から正式な要請をいただき、広告主である日立製作所に依頼して、2020年5月から警戒度に合わせて赤・黄・緑の3色でライトアップしました。

※ 新型コロナウイルスの感染拡大に伴う自粛要請・解除の基準となる大阪府独自の基本的な考え方。

コロナ禍で外出の自粛が求められる中、大阪府の要請を受け赤くライトアップされた通天閣

当然ですが、赤くライトアップしている間は本当に人が来ませんでした。コロナ禍が終息して通常のライトアップが再開され、賑わいが戻った新世界の様子を目の当たりにして、通天閣が地域のランドマークとして機能していることをあらためて実感しました。

かつて、阪神淡路大震災、東日本大震災が起きた年、節電への対応や哀悼の意を表するために、通天閣の点灯を自粛していた時期がありました。すると、地域の方々からクレームをいただくのです。「なんで消してんねん」「街の活気がなくなるやないか」と。オイルショックの頃は、地元で嘆願運動が起きて住民の方々が日立製作所に点灯再開を依頼したこともあったと伝え聞いています。そのくらい、通天閣は本当に地域に根付いた存在なのです。

「スピード」と「見せ方」で、大阪と関西の潜在能力を引き出す

――高井さんからご覧になって、大阪というエリアにはどのような潜在能力が秘められているでしょうか。

高井
観光にしても食文化にしてもさまざまなコンテンツがあり、大阪だけでなく関西各府県にまだまだいろいろな魅力が詰まっています。コンテンツの見せ方一つで大きな産業になりうる可能性を秘めているのではないでしょうか。2025年に控えている大阪・関西万博を1つのトリガーとして、関西がさらに明るくなってほしいと願っています。24時間利用可能な関西国際空港にも、まだまだ活用の余地があるのではないでしょうか。

やはり、大切なことはスピードと見せ方です。モノをつくるだけではなく、どう世の中に伝えていくか。そこを考えないと、収益につながらないと思います。近年、気軽に発信できる手段としてYouTubeなどSNSが注目を集めていますが、やはり既存のテレビ放送や新聞、雑誌とは影響力が違います。あくまでもYouTubeを1つの起点としながら、テレビをはじめとするマスメディアに騒いでいただける、社会にブームを巻き起こせる、そんな多くの人の心に引っかかるコンテンツをつくって発信していくべきだと僕は考えています。

取り組みを続けることは大事です。なぜなら、文化が根付くには時間がかかるからです。その時間を短くするものが広報であり、広告なのです。取り組みを継続しながら、同時に世の中へ発信し続けることで、新しい文化をより早く根付かせることができるのです。

――高井さんが通天閣観光に入社して20年近く経過しました。今、通天閣のどのような将来像を描いていますか。

高井
めざす姿は、100年先も愛される通天閣です。それを実現するためにも、つねに時代に応じて変化していくことが、通天閣を後世に存続させることにつながると考えています。

通天閣は単なる施設ではなく地域のランドマークとして継承していくべきものです。観光施設としての伸びしろをつねに考えながら経営していく。その中で情報発信しながら、地域の方はもちろん、地域以外の方にも愛され、つねに注目を浴びる施設づくりをしていく。これからも日立製作所にご協力いただきながら、大阪の灯を守り続けていきたいと思っています。

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高井隆光(たかい りゅうこう)

通天閣観光株式会社 代表取締役社長
1974年大阪府生まれ。奈良産業大学(現・奈良学園大学)卒。1997年、マイカル(現・イオンリテール)入社。大阪の店舗で婦人服などを担当。2005年、通天閣観光に入社。2019年より現職。全日本タワー協議会幹事も務める。