一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授 楠木建氏
イーロン・マスクとは、どんな思考や行動をする人物なのか。過去に彼が幾度となく経験してきた経営における軋轢に、その特徴が見て取れると楠木建特任教授は指摘する。

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「第3回:時空をひずませる力。」
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※ 本記事は、2024年1月19日時点で書かれた内容となっています。

イーロン・マスクの思考や行動の特徴は、彼が1995年に初めて起業したZip2という会社の設立とその後のごたごたによく表れています。

当時はインターネットが世に出てきた頃です。事業者の電話帳をオンラインで検索できるようにする。それを地図ソフトと連動させて、すぐに道案内ができるオンラインサービスを提供する。これがZip2のビジネスアイデアでした。

マスクは投資家の関心を引きつけるため、大型コンピュータのフレームだけを買ってオフィスに設置します。実はこれ、中に入っているものは小さなコンピュータ1台だけ。オフィスを見に来た投資家はてっきり、でっかいサーバを使ってがんがんサービスを開発しているものだと誤解します。この辺の才覚はすごいものがあります。

マスクは起業から4年でZip2をCompaqに売却し、27歳で2,200万ドルを得ます。で、高級なコンドミニアムとかマクラーレンのスーパーカーを買う。将来は雑誌『Rolling Stone』の表紙を飾りたい――。結構世俗的な人です。名声を得るのは大好き。それは今でも変わりません。

いくつか大きな消費をした後、Compaqに売却した資金の残り全部をつぎ込んだ先が、X.comという金融サービスの会社でした。1990年代当時、「インターネットで金融界にディスラプションが起こる」と言われ、当時のマスクもそう信じていました。

通常の銀行業務とデジタル決済、クレジットカード、投資といった金融系のニーズすべてをワンストップで満たすサービスをやる――これがX.comのアイデアです。

ここに、マスクの典型的な思考様式があります。お金とは「データベースに数字を入力すること」にほかならない。だとしたら、すべての処理を安全確実でリアルタイムに記録する方法をつくればいい。従来の金融処理システムからお金を引き出そうとする理由を全部なくしてしまえば、お金は情報処理システムの内部にとどまることになる――鋭い視点です。

同時期に、インターネット決済サービス事業のConfinityという会社がありました。創業者のピーター・ティールはC to Cの送金サービスにフォーカスする戦略を採り、マスクのX.comと正面から競争し、個人顧客の獲得競争を繰り広げます。

マスクは、完全なワンストップサービスをバーン!とぶち上げるイケイケ一辺倒の戦略。片やティールは、リスクをなるべく極小化し、冷静に計算していく。で、「とも倒れになるのはまずい」ということでティールからX.comとConfinityの合併話を持ちかけ、1998年にPayPalが誕生します。ティールとマスクが共同創業者で、存続会社はマスクのX.com。最大株主だったマスクはPayPalの会長に就任すると、すぐにCEOを追い出して経営の実権を握ります。

当時、PayPalが提供する個人間の電子決済サービスは堅実に成長していました。ですが、マスクはニッチなビジネスには満足できない体質です。銀行業界をぶち壊すようなソーシャルネットワークを構築したい。ところがティールは、個人間の電子決済サービスに集中するという考えを変えませんでした。

その頃はeBayという企業がオンラインコマースの主要プレーヤーで、PayPalの決済システムを上手く運用していました。ですが、マスクの考えとしては、PayPalはX.comの一ブランドに過ぎない。決済システムの名前も「PayPal」から「X PayPal」に代えようとして、すぐにティールと衝突します。

2人はずっと揉めるのですが、社内での評判は「マスクが言うことは出まかせだ」。で、ティールにCEOに返り咲いてくれるよう、多くの人がお願いします。PayPalの株を持っていたベンチャーキャピタルのSequoia Capitalも、ティールへのCEO交代を支持します。

そのとき何回目かの新婚旅行中だった彼は、社内のクーデターを知って急いで帰国し、自分を支持してくれる社員と夜遅くまで対策を練ります。のるかそるかの重要な会議の後にマスクがしたことは、オフィスでずっと格闘ゲーム『ストリートファイター』をプレイする――この辺が彼らしい。

結局、マスクは更迭されます。で、すぐに飛行機を買って、向こう見ずな操縦に没頭する。この辺もハワード・ヒューズそっくりです。

しばらく経った2022年、テスラの株を一部売却したマスクは100億円の手元資金を得ます。で、大好きなTwitter(現・X)を買収します。彼は今、Xの広告依存度を下げて、サブスクリプションの料金とデータのライセンス料金、少額決済の手数料を収入源に転換しようとしています。24年前に彼がX.comでやろうとした、金融プラットフォームとソーシャルメディアの組み合わせを今、実現しようとしている。だから、社名をTwitterからXにしたのです。

「Xの本来の姿は多様な意見が集まるメディアだ」と、マスクは言っています。そのほうが、人間の文明の進化に貢献するんだ、と。はたから見ると、スペースXとかテスラに比べれば大した話じゃないと思うのですが、マスクの頭の中では「Xに文明の未来が懸かっている」ということになっている。

そう言いながらもマスクは、自分とは意見が異なるリベラルなメディアを追い出すようなポストを繰り返している――まったく矛盾しています。それでも彼の頭の中ではすべてが一貫していて、何の矛盾もない。この能力を、評伝『イーロン・マスク』は「時空をひずませる力」と呼んでいます。(第4回へつづく

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楠木 建
一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授。専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授、同ビジネススクール教授を経て2023年から現職。有名企業の経営諮問委員や社外取締役、ポーター賞運営委員(現任)などを歴任。1964年東京都目黒区生まれ。

著書に『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2019年,宝島社,共著)、『室内生活:スローで過剰な読書論』(2019年,晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年,文藝春秋)、『経営センスの論理』(2013年,新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年,東洋経済新報社)ほか多数。

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