今、価値創出の場は現実空間からサイバー空間へと急速に広がりつつある。サイバーシステムを社会に根付かせていくために、どのような工夫ができるだろうか。日立製作所の研究開発グループが2023年9月29日に開催した協創の森ウェビナー「サイバーシステムの社会実装とその課題」では、2022年に『サイバー文明論 持ち寄り経済圏のガバナンス』(日本経済新聞出版)を著した慶應義塾大学総合政策学部教授の國領二郎氏を迎え、研究開発グループの佐藤暁子との対談を行った。その模様を3回にわたってお送りする。

「その1:なぜ今、サイバーシステムが必要か」
「その2:パーソナライズとプライバシーのジレンマ」はこちら>
「その3:コミュニティにシステムを根付かせる」はこちら>

経営学・経済学の角度からテクノロジーを捉える

高田
ナビゲーターを務めます、日立製作所 研究開発グループ サイバーシステム社会実装プロジェクトのデザイナー、高田将吾と申します。本日は経営学者の國領二郎 慶應義塾大学教授をゲストにお招きし、「サイバーシステムの社会実装と『持ち寄り経済圏』」というテーマで、日立製作所 サイバーシステム社会実装プロジェクトリーダの佐藤暁子との対談をお送りします。

左から、日立製作所 佐藤暁子、慶應義塾大学教授 國領二郎氏、ナビゲーターの日立製作所 高田将吾

國領
慶應義塾大学の國領二郎と申します。わたしは約30年にわたって、経済学や経営学の角度からテクノロジーについて探究してきました。「テクノロジーをいかに社会実装するのか?」ではなく、「社会や経済のダイナミクスのなかでテクノロジーがどんな役割を演じるのか?」といった視点から、テクノロジーの進化を追いかけています。

佐藤
日立製作所の佐藤暁子と申します。入社以来、研究開発グループで主にデジタルシティやスマートシティの構築に取り組まれているお客さまとの協創に携わってきました。また、2015年からはシンガポールに駐在し、アジアにおけるスマートシティ関連プロジェクトを経験しました。現在、今年4月に発足したサイバーシステム社会実装プロジェクトのリーダを務めています。

近代工業文明とは異なる統治機構

高田
國領先生は、サイバーシステムの社会実装を考えるうえで大きなヒントとなるコンセプト「持ち寄り経済圏」を提唱されています。どんな考え方か、教えていただけますか。

國領
サイバー文明には、近代工業文明とは異なる統治機構が必要なのではないか――これが、わたしの研究活動における最も主要な論点です。明治維新や産業革命以来の大きな文明の転換点が今、来ています。では、どこが近代工業文明とは“異なる”のでしょうか。

1つはビジネスモデルです。工業中心の経済は、「所有権を移転させる」というビジネスモデルのうえに構築されてきました。かつてはトレーサビリティの精度が低かったため、出荷した製品がどこへ行くのか把握できませんでした。とにかくお金と交換しないことには、大量生産した品物をさばききれなかったのです。ところが今や、至るところにセンサーが設置され、あらゆる場所がネットワークでつながったことでトレーサビリティが確保されています。その結果、「〇〇 as a Service」やシェアリングサービスのように「アクセス権のライセンスを付与する」ビジネスモデルへのシフトが進んでいます。

慶應義塾大学教授 國領二郎氏

もう1つは、所有権が持つ価値の変化です。工業中心の経済では、大量生産品の“排他的な所有権”を大衆に販売することで、企業は競争していました。ところが今や、自社が持っている情報単独では価値を生みにくい時代です。むしろ、さまざまな企業がデータを持ち寄って組み合わせるほど、大きな価値を生み出せる。これが「持ち寄り経済圏」のコンセプトです。

ネットワーク外部性の高さ、マージナルコストの低さ

高田
なぜ今、このタイミングで「持ち寄り経済圏」について検討を行う必要があるとお考えなのでしょうか。

國領
大きく2つ、これまでの経済モデルと異なる特徴が「持ち寄り経済圏」にはあると考えています。1つはネットワーク外部性の高さです。これまでの近代工業文明の経済では、例えば、ペットボトルのお茶が1本あると1人が飲める。2本あると2人が飲める――というように、数に比例してモノの価値が上がっていきました。一方で、サイバー文明の経済の場合はどうでしょう。例えば、スマートフォンを1人しか持っていなかったら“つながりの数”は0ですが、2人が持つと1に、3人が持つと3に、4人が持つと6に……と、“つながりの数”という価値が指数関数的に大きくなっていきます。

もう1つの特徴は、情報にかかるマージナルコストの低さです。マージナルコストとは、追加1単位を複製するためのコストを指します。近年の知識集約産業では、例えばアプリを作るには大小のコストがかかります。しかしアプリさえ出来れば、それをコピーしたり複数人へ配信したりするコストは非常に低く済みます。

そうした変化に加えて、世の中がより複雑系になってきた点も見逃せません。ここで言う複雑系とは、グローバル化とネットワーク化の影響でさまざまな要因が相互作用し、近代工業文明での管理手法ではコントロールできないシステム(系)を意味します。かつての工場は、ノイズの発生を抑制し、コントロールされた安定した空間で、理論どおりに現象を繰り返し発生させるというパラダイムで大量生産を実現してきました。しかし、今やあらゆる設備がネットワークでつながり、ノイズがない環境などあり得なくなっています。レジリエントやアジャイルといった考え方が生まれた背景には、そうした必然性があるのです。適応能力の高さが求められる時代になっています。

個人の生活スタイルに寄り添う

國領
先ほどトレーサビリティについて触れました。産業革命で巨大な生産能力を人類が手にしたことで、地域経済のなかだけで製品を消費しきれなくなり、遠いところに製品を運ばざるを得ないという現象が起きました。それ以前は地域社会の信頼関係のなかで、ある種、どんぶり勘定でさまざまな経済活動ができたわけです。そうではなく、取引の度に正確に決済できるような仕組みを高度に発達させてきた――それが近代の法体系であり、市場のさまざまな制度でした。さらに今、サイバーシステムの誕生によって必然的に、まったく違う経済の仕組みができつつあります。

佐藤
日立でも、サイバーシステムを人に寄り添った形で社会実装するためにどうすべきかを日々議論しています。ここで言う「サイバーシステム」とは、これまでリアルでつながらなかった人や組織、モノをつなぐことで、社会の可能性を広げるシステムのことです。「社会実装」とは、新しいイノベーションを社会が受容し、人や組織が能力を最大限に発揮できている状態を指します。

日立製作所 佐藤暁子

やはり近年、コロナ禍でサイバーシステム導入の動きが加速しました。また、國領先生のお話にもあったように大量生産・大量消費のマーケットから、One to Oneマーケットへのシフトが急速に進みました。企業としても人それぞれの生活スタイルに寄り添った製品やサービスを生み出していかないとビジネスとして成り立たない――そこで求められるものが、サイバーシステムなのです。

「その2:パーソナライズとプライバシーのジレンマ」はこちら>

國領二郎(こくりょう じろう)

慶應義塾大学総合政策学部教授
1982年、東京大学経済学部卒、日本電信電話公社(現・NTTグループ)入社。1992年、ハーバード・ビジネス・スクール経営学博士。慶應義塾大学大学院経営管理研究科教授、同大学環境情報学部教授、同大学総合政策学部長、慶應義塾常任理事などを歴任。2006年より現職。主な著書に『オープン・ネットワーク経営』(日本経済新聞社,1995年)『オープン・アーキテクチャ戦略』(ダイヤモンド社,1999年)『オープン・ソリューション社会の構想』(日本経済新聞社,2004年)『ソーシャルな資本主義』(日本経済新聞出版社,2013年)、『サイバー文明論 持ち寄り経済圏のガバナンス』(日本経済新聞出版,2022年)など。

佐藤暁子(さとう あきこ)

株式会社日立製作所 研究開発グループ サイバーシステム社会実装プロジェクト プロジェクトリーダ
兼 サービスシステムイノベーションセンタ 副センタ長
1998年、日立製作所に入社。中央研究所にてICカード管理システム、地図情報システムなどの研究開発に従事。2015年から日立アジアシンガポール社にて、タイのスマートシティ、ベトナムのコールドチェーンに関するプロジェクトに参画。2018年より顧客協創活動に従事。2020年、戦略企画本部 経営企画室 部長を経て、2023年より現職。情報処理学会、研究・イノベーション学会所属。

高田将吾(たかだ しょうご)

株式会社日立製作所 研究開発グループ サイバーシステム社会実装プロジェクト デザイナー
2018年、日立製作所に入社。鉄道事業を中心としたモビリティ分野をはじめ、都市・交通領域におけるパートナー企業との協創をサービスデザイナーとして推進。2023年よりサイバーシステム社会実装プロジェクトに参加。人に寄り添ったサイバーシステムのあり方やその実装について検討を行う。