一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授 楠木建氏

※本記事は、2023年7月11日時点で書かれた内容となっています。

毎週月曜日に配信されている、楠木建の「EFOビジネスレビュー」。その中で載せきれなかった話をご紹介する、アウトテイク。これが、めちゃめちゃ面白いです。

僕は昔から「特殊読書」を重視しています。自分とは意見が違う作者の本を敢えて読む。読んでイヤな気分になる著作を意識的に読む。で、「うわあ、イヤだな」という感情を楽しむ。これが特殊読書です。

人間のイヤな面や愚かさの直視・開陳は、文学でよく扱われる基本テーマの1つです。僕の好きな私小説家の西村賢太さんの場合、どの作品を読んでも主人公が愚かな人間。つねに自分に都合よく考え、人につらく当たり、刹那的な自分の気分の良さを優先して、周りに迷惑をかけまくる――そういう作品を読む。ただし、こういうのは特殊読書ではありません。

ドストエフスキーなどの作品でも描かれる人間悲喜劇は、ある種の人間の本質を示したものです。西村賢太作品に登場する主人公は、確かにとんでもない。――でも、これって自分にも言えることだよな。実際の生活では、社会との関わりの中でなんとか折り合いをつけるために、なんとなく自分で自分を律している面がある。自分にも、どこかしら醜い面がある。人間とはそういうものだ――文学作品でも映画でも、そう感じることはたくさんあります。

特殊読書は、それとは違う。書き手が「俺のこの思想、最高!」「俺ってすごい!」と主張しているにもかかわらず、読み手の考え方や意見はまったく違う。だから読んでいてイヤな気持ちになる。これが正党派の特殊読書です。

僕の特殊読書との出会いは、高校生の頃に読んだジャーナリストの本多勝一さんの著作でした。本多さんは完全なリベラル、左の人です。左翼の論客として一番人気があった人なので、僕も本多さんの本をいろいろ読みました。ところが読み進めていくうちに「あれ?」となる。全然、自分と意見が合わない。おかしいな。もう1冊読む。やっぱりおかしいな。読めば読むほど、意見が合わない。もう本当にイヤな感じなんです。でも、それがめちゃめちゃ面白い。

読めば読むほど本多勝一さんの立論や価値観がわかってくる。で、自分とは合わない。良し悪しじゃないんです。単に僕と意見が違うだけ。「出るぞ、出るぞ。本多勝一のイヤなところが出てくるぞ――やっぱり出た!」みたいな。そういうときは本に「出た」とメモ書きする。で、その部分を繰り返し読む。これが本当に楽しい。我ながら相当ゆがんでいます。

石原慎太郎さんは、本多さんとは真逆の政治思想です。明らかに右の人。石原さんが書いた小説は、子どもの頃から楽しく読んでいました。『狂った果実』『太陽の季節』などの純文学もいいのですが、エンターテインメント長編小説が抜群に面白い。ハラハラドキドキの連続で、もう最高――ですが、文芸評論をはじめとするエッセーはもう最悪。あくまでも個人的な感想ですが、とにかく気持ち悪い。でも、それが最高。本多さんと石原さんは思想的には両極の人ですが、2人とも僕にとって特殊読書界の重鎮です。

誤解のないように付け加えると、自分がイヤな人物について書かれた評伝を読んでも、特殊読書にはなりません。もしその人物が自分で自分のことを「わたしはこんなにイケている!」とイキっている本なら、特殊読書になる。これから特殊読書を楽しもうという方は、この違いをきちんと理解した上で本を選んでください。

僕の家には特殊読書の本棚があって、そこに本多勝一や石原慎太郎、スーザン・ソンタグ(※)といった特殊読書界の重鎮の本が、手を伸ばせば届くところに置いてあります。今日はちょっとこの辺でイヤな気分になりたいな――そう思ったとき、手に取って繰り返し読む。

※ Susan Sontag(1933年~2004年)。アメリカの作家・批評家。

なぜ、そんなに特殊読書が好きなのか。あるとき出版社の編集者からこう指摘されました。――あなたは自分の中の一番イヤなところを、特殊読書に見ているに違いない。自分の中の石原慎太郎、自分の中の本多勝一、自分の中のスーザン・ソンタグを、読書を通じて垣間見る。それが特殊読書の本質なんじゃないか――。

これを聞いて僕はぞっとしました。言われてみればそういう気もする。心が寒くなりました。特殊読書、ぜひ暑い日にお試しください。

楠木 建
一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授。専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授、同ビジネススクール教授を経て2023年から現職。有名企業の経営諮問委員や社外取締役、ポーター賞運営委員(現任)などを歴任。1964年東京都目黒区生まれ。

著書に『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2019年,宝島社,共著)、『室内生活:スローで過剰な読書論』(2019年,晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年,文藝春秋)、『経営センスの論理』(2013年,新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年,東洋経済新報社)ほか多数。

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