山口周氏 独立研究者・著作家・パブリックスピーカー/楠木建氏 一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授
経済成長だけを追わない高原社会にはどのようなビジネスを展開するべきか。山口氏は、近藤麻理恵さんとウィリアム・モリスにヒントがあるのではないかと語る。

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「第3回:高原社会のビジネスはウィリアム・モリスに学べ」
「第4回:ビジネスの軸足をどこに置くのか」はこちら>
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こんまりさんに見る歴史の変曲点

山口
個人的に切実な問題を解消していくことがビジネスにおける最もわかりやすいマーケットオポチュニティだとすると、そうした問題、特にモノによって解決できるような問題があらかたなくなるのが「高原社会」です。そのような経済成長だけを追わない社会では、一体何のビジネスをやればいいのかという疑問が生じますよね。

松下幸之助は「水道哲学」で大成功を収めました。これは「生活物資を無尽蔵に供給することで貧を除く」、つまり普遍的かつ個人的に切実な問題を物資によって解決するというビジネスモデルです。物資は大量生産すれば安くなり、安くなればさらに売れるという歯車がうまく噛み合って経済は発展します。その結果、現在は、精神的なことはともかく、ほとんどの人が物質的には不足のない状況になりました。

そのことを象徴しているのが、「こんまり」こと近藤麻理恵さんだと思います。彼女の『人生がときめく片づけの魔法』シリーズは世界で1200万部以上売れています。2010年代に世界で同じぐらい売れた本は、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』です。

楠木
それは知りませんでした。

山口
彼女は2015年にTIME誌が選ぶ「世界で最も影響力のある100人」にも選出されています。私は、こんまりさんは歴史の変曲点を示す存在だと思っていたのですが、TIME誌も同じように考えたんじゃないでしょうか。なぜ変曲点なのかというと、彼女は、モノを減らす、なくすことで富を生み出した人なんですね。これは人類の歴史上初めてのことではなかろうかと思います。これまで富というものは、ほとんどの場合、モノが生み出す価値に付随して生じてきました。ところが彼女は基本的にモノのなくし方のノウハウを教えています。なくしたことで富が生まれているということは、モノにマイナスの価値が生じていると捉えられます。

モノにマイナスの価値が生じている時代に、コストをかけてモノをつくっても儲からないのは当然なのかもしれません。そのことを、彼女が象徴的に示している気がするんです。

楠木
言われてみればそうですね。モノをなくすという行為が有する精神性というか、生活哲学のようなものが、人々を惹きつける価値になったわけですね。

山口
そうですね。ミニマリストという生き方もありますけど、そもそもモノを持つことにはコストが伴います。場所をとるし、メンテナンスが必要だし、事業者ならば保管コストもかかる。とは言え、差し引きすれば持つことのメリットのほうが大きいために、みんなモノを手に入れてきたのですが、高原社会ではそれが成り立たなくなります。

インストルメンタルかコンサマトリーか

山口
そうした社会におけるビジネスの役割を考えるとき、ヒントになるのはウィリアム・モリスではないかと思います。彼はアーツ&クラフツ運動を主導したデザイナーとして知られる一方で、社会主義活動にも熱心に取り組んでいました。当時は世界中でマルクス主義者や社会主義者が革命を叫んでいたわけですけれど、みんなが革命をどうやって起こすかを考えていた中で、モリスは「革命の後、どうするか」を考えていました。そこが非常に鋭い問いの立て方だったと思います。彼は、革命によって自由や時間的余裕を得た後は、「生活と芸術の一体化」、つまり生活を飾ることが大切になると考えていたんです。

モリスは産業革命によって大量生産されるようになった粗雑な日用品が労働者の家庭にあふれていることに耐えられず、芸術的価値のある日用品をつくって人々の生活を豊かにすることをめざしていました。それは必ずしも理想どおりにいったとは言えませんが、このモリスの思想は高原社会におけるビジネスのカギになると私は思います。「飾る」というのは装飾することだけではないでしょう。楠木先生と私の共通の趣味である音楽も、ある種の飾りであり生活を豊かにしてくれるものだと思います。実用性を超えたその先に価値があるということですね。

楠木
贅沢ではなく心地いい生活をしようということですよね。そうしたウィリアム・モリスの感覚は、「丁寧な暮らし」というような日本の価値観との親和性も高いと思います。

山口
それは、インストルメンタルとコンサマトリーという話に関わってきますね。人生を道具的に考える、未来のために今という瞬間を道具として犠牲にするという考え方がインストルメンタルであるのに対して、コンサマトリーというのは、その瞬間、瞬間の充実や感動を大切にする、手段と目的が一体化しているという考え方で、高原社会ではコンサマトリーな経済活動に転換すると『ビジネスの未来』にも書きました。人間性に基づく衝動を大切にしようということです。

楠木
そのような自己充足的な状態が、本当の消費の動機になっていくと、それはたぶん量の問題ではなくなります。もしかすると、こんまりさんのように減らすこと自体がコンサマトリーかもしれない。そういうことを実際にうまく捉えて、価値を生み出しているビジネスも出てきていますよね。例えば、中川政七商店などはそうでしょう。

そういうコンサマトリーな価値というものを普通の人々が自然に感じることができるようになることが、僕は成熟の一番いいところではないかと思っています。(第4回へつづく)

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楠木 建(くすのき けん)
一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授。専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授、同ビジネススクール教授を経て2023年から現職。有名企業の経営諮問委員や社外取締役、ポーター賞運営委員(現任)などを歴任。1964年東京都目黒区生まれ。

著書に『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2019年,宝島社,共著)、『室内生活:スローで過剰な読書論』(2019年,晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年,文藝春秋)、『経営センスの論理』(2013年,新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年,東洋経済新報社)ほか多数。

山口 周(やまぐち しゅう)
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。

著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)、『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』(プレジデント社)他多数。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。