糸井重里氏 株式会社ほぼ日 代表取締役社長/山口周氏 独立研究者・著作家・パブリックスピーカー
会社と広告をめぐって、残るもの、残らないものについて語り合う山口氏と糸井氏。プロセスが大切であると考える理由について、つまるところ「羨ましくないもん」という姿勢ではないかと糸井氏は話す。

「第1回:『一番嫌じゃないものを選ぼう』」はこちら>
「第2回:『近いんだけど、ちょっと違うんだな』」はこちら>
「第3回:問われるのは『無駄をした後をどう生きるか』」はこちら>
「第4回:稀代の経営者から学んだ『質問返し』の経営」はこちら>
「第5回:『羨ましくないもん』という佇まい」

残るのはプロセスと生み出したもの

山口
私が広告の仕事をしていた若い頃に言われたことで、最近になって違うんじゃないかと思っていることがあります。それは、「広告を残そうとするな」という言葉です。「残るのはクライアント企業やその商品なんだから」と。

確かに、一般的には広告というのはキャンペーンの終了とともに消えていくし、時代とともに消えていくわけですよね。でもそれは、そう思っている人がつくったからであって、堤清二さんが当時いろいろ仕掛けていたことは、消えると思ってやっていたのではないと思うんです。その証拠に、糸井さんの西武百貨店やパルコのキャッチコピーは、ある世代以上の人はみんな覚えています。セゾングループはなくなっても、あの表現は残っているわけですよね。パルコの石岡瑛子さんの広告も坂本龍一さんのCM音楽も、本当に素晴らしい作品として残っています。

会社は無くなったけれども、そのプロセスの中でいろんな人が育ったり、その人たちが生み出したものが世の中に残ったりする。セゾングループの広告で糸井さんという人が育って、やがて会社を経営されて、その中でまたいろんな人が育って、いろんなものや知恵が生み出されていることを考えると、残るのはどっちなんだということを考えてしまいます。残らないのはむしろ会社のほうで、残るのはその経営のプロセスの中で生み出したもののほうだと思うのですが。

糸井
そのとおりだと僕も思いますね。最近、別の対談でふと言ったのが、「あらゆる起きたことは何も消えないんだよ」という言葉です。記録には残らないけれど、全瞬間は消えない。「あったことはあったんだよ」という、その凄まじいばかりの真理がある。

山口
それは、考えてみると恐ろしいことですね。

糸井
すごいことです。いい悪いを超えて全部あったというのは確かで、その意味では、残そうとすることは足掻きかもしれないから、そういう邪念みたいなものを取り払えということが、広告という商いの教訓なのかもしれない。でも、ロートレックの絵も、モーツァルトの曲も、アルタミラ洞窟の壁画だって、それぞれテーマがあったり、誰かのためにつくるという動機があったりしたのは確かだろうけれど、後々まで人を感動させるのは、テーマや動機ではなく作品やサウンドそのものですよね。けれどもやはりその背景にはテーマや動機があったからこそ、作品が生まれたというのも事実なんです。

それは別の言い方をすると、「景色」というか「あったこと」という、ただの事実に対する敬意を持つしかないということです。「あったこと」というベースを時代に合わせたやり方で切り取ると商品にはなる。だけど、僕が一番やりたいのは、おっしゃるように会社という場で、「楽しかった」とか、「つらいけどおもしろかった」とか、「目的には辿りつけなかったけれども満足だよ」と、なるべくたくさんの人が言えるようなプロセスをつくることなんだと思います。

楽しそうに遊び、生きる姿を見せる

山口
ビジョンを言葉にすると縛りになるという話をしましたが、一方でビジョンってないよりあったほうがいいという面もありますよね。「ビジョンって結局、実現しないよね」と言う人もいます。確かにマーチン・ルーサー・キングがあの演説で語ったビジョンも実現していないけれど、実現しなくてもビジョンがあることでそれをめざすプロセスが生まれるわけですから。

糸井
そうですね。プロセスをなぜ大切に思うのかと言えば、到達点にいる人、いわゆる成功者とか権力者と言われる人々が必ずしも幸せそうに見えないということがあるような気がします。逆に持たざる人や、権力者に対して負けまいと頑張っている人たちのほうが幸せそうに見えたりします。そう考えると、「羨ましくないもん」というのが社会を変えていく1つのキーワードかもしれない。

山口
そうですね。その「羨ましくないもん」を糸井さんは「佇まい」としてすごく上手に見せていらっしゃいますよね。

糸井
そうですか。

山口
それが「自由になる技術」ではないかと思います。今の社会は、権力やお金を基準とする序列の中にみんな並ばされていますよね。これもある種の呪いと言えるかもしれませんが、例えば、偏差値68と偏差値74だったら問答無用に74のほうが人間として上なんだという考え方に支配された社会では、68の人がいくら「羨ましくないもん」と言っても負け犬の遠吠えに聞こえてしまう。そう聞こえないためには、やっぱり佇まい、現実にその人がものすごく楽しそうに遊んでいる、生きている姿を見せることが大切だし、そういう大人が増えることが、今の閉塞感や生きづらさを解消していくカギになるかもしれないと思います。私は8年前に東京から葉山に引っ越して、当時としてはイレギュラーなライフスタイルを採用したんですけれども、それはものすごく意識的に行ったことです。子どもたちに「ああ、この人はこんなにふざけた人だけど楽しそうだな」とか、「大人になるって楽しいことなんだな」と感じてほしいと思ったからです。

糸井
ああ、なるほどなぁ。子どもたちにね。その「佇まい」ということについては、これからもっと考えてみたいところですね。

「第1回:『一番嫌じゃないものを選ぼう』」はこちら>
「第2回:『近いんだけど、ちょっと違うんだな』」はこちら>
「第3回:問われるのは『無駄をした後をどう生きるか』」はこちら>
「第4回:稀代の経営者から学んだ『質問返し』の経営」はこちら>
「第5回:『羨ましくないもん』という佇まい」

糸井 重里(いとい・しげさと)
1948年、群馬県生まれ。株式会社ほぼ日 代表取締役社長。1979年東京糸井重里事務所設立、コピーライターとして数々のコピーをヒットさせるとともに、作詞やエッセイ執筆、ゲーム制作など多彩な分野で活躍。1998年に開設したウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」では、「ほぼ日手帳」をはじめ「ほぼ日のアースボール」、「ほぼ日の學校」などさまざまなコンテンツを手がける。「株式会社 ほぼ日」に改称、2017年ジャスダックに上場した。
『インターネット的』(PHP新書、2001年)、『ほぼ日刊イトイ新聞の本』(講談社、2001年)、『思えば、孤独は美しい。』(ほぼ日、2018年)など著書・共著多数。最新著は『生まれちゃった』(ほぼ日、2023年)。

山口 周(やまぐち・しゅう)
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。
著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)、『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』(プレジデント社)他多数。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。