糸井重里氏 株式会社ほぼ日 代表取締役社長/山口周氏 独立研究者・著作家・パブリックスピーカー
トイレに横向きに座ってみるという無駄なことは「変拍子」だと糸井氏は話す。山口氏は無駄を取り込んだ経営で一時代を築いた亡き堤清二氏の例を挙げ、結果よりもプロセスを大切にすべきと指摘する。

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「第4回:稀代の経営者から学んだ『質問返し』の経営」
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飽きたから横に座ってみた

山口
糸井さんは以前どこかで「トイレの便座に横向きに座ると感動します」とおっしゃっていましたよね。「その不安定さに感動する」と。それがすごく印象に残っていて、私も実際に座ってみたんです。そしたら本当に感動しました。便座というものが、前向きに座るということに対していかによくできているか。

糸井
それ以外はない(笑)。

山口
前向きに座らないと違和感がすごいですね。糸井さんに言われて座ってみる私もなかなか無駄なことをやっていると思いつつ、誰からも言われていないのに一度横に座ってみようかなと思う、その糸井さんの「ナイスな無駄」をやってみるセンスにも感心させられるのですが、ご自分で思われたんですよね、横に座ってみようって。

糸井
うん(笑)。変拍子ってありますよね。どうして作曲家が変拍子をつくるのか。最近はビートルズ研究が盛んで、ジョン・レノンは変拍子をありえない回数使っていることが分かっています。弾いていると変拍子だという概念なく変拍子にしているんだと。

山口
自然にそうなっちゃう。

糸井
なるんですよね。それにバンドが合わせて曲として残していること自体、すごくおもしろいことですけど、僕がトイレに横に座ってみるのは変拍子だと思うんですよ。同じように、電車の吊り革を上に押してみるというのもやってみたんですけど。

山口
おっしゃっていましたね。やっぱり引くようにできていて、引くとすごく安定すると。

糸井
はい。それで、押したときにちょっとした快感があるんです。それは、なんというか、新しい音楽ができたのと同じようなことだと思うんです。トイレについても、あるとき、一体自分は何回同じことを繰り返しているんだと、「もうトイレに行くの飽きたよ!」って思ったんです(笑)。

山口
それでちょっと横向きに座ってみようか、と。

糸井
そうそうそう。それで、「でも飽きたからどうするの?」という問いかけがあるわけですよね。「飽きたからトイレに行かないのか」と言われると、「いや、行くよ、仕方ないから」となる。そういうことをずっと繰り返している人間のこの「たいしたことなさ」にまた感動するわけですよ。アインシュタインだってトイレに飽きていたはずです、きっと。

山口
みんな飽きているでしょうね。

糸井
飽きていても、みんな行かないわけにはいかない。でも「それもいいな」って思えるようになるんですよ。

経営を通じた社会への問いかけ

山口
一方で今は、効率とか、「タイパ(タイムパフォーマンス)」なんてことが言われているわけですが、無駄や非効率なことが、どれほどの豊かさや偶然の出会いというものをもたらしてくれるのか、考えさせられます。

そうした無駄、あるいは美意識というものを会社の中に取り込んだ経営者と言えば、かつて西武セゾングループを率いた堤清二さんの名前が挙がります。あれほど無駄なことをやった経営者もなかなかいないでしょうし、それによって確かに一時代を築きました。その後の衰退については外的要因もあるので彼一人の経営能力だけに帰することはできないと思いますが、セゾン自体が彼の作品だったと言える面はありますよね。利益だけを求めている人からすれば戯れ言と言われてもおかしくないような考え方だったのかもしれませんが、同じ経営者というお立場からは、どのように思われますか。

糸井
影響は受けていると思います。直に接していたときにはそういう実感はなかったんですけど、それは当時の僕にとっては堤さんが経営者のスタンダードだったから。これは世の中の普通とは違うぞ、と思うだけの経験がまだ僕にはなかったので。

山口
お若い頃でしたものね。

糸井
そうなんです。30歳ぐらいのときに直接、会長プレゼンというのをやっていましたからね、周りから見れば相当失礼なこともしていたはずです。それをさせていた堤さんもおもしろい方でしたし、それが僕にとっての経営者像だったんです。

今、堤さんのことを振り返ると、山口さんがおっしゃるように無駄とか利益を考えないことを基点にしていたのは、それで「負けない」と思っていたからじゃないでしょうか。堤さんは、自分の育てた馬を走らせるみたいな気持ちで経営をしていたんだと思います。普通に考えれば、弟の義明さんや財界の人たちのやり方が正しいのだろうし、成功もしているけれど、「僕のやり方が違うってなぜ決められるの?」というふうに、まさしく詩を書く動機と同じような感覚で経営をしていたのかもしれない。ですから、たとえ負けても、「そうですか、負けましたか」、みたいな感じだったのでしょう。例えば、当時すでにスーパーマーケットの西友ストアーにロボットを導入したり。

山口
そんなことありましたか。

糸井
やっていたんですよ。勝ちも負けもないですよね、それには。

山口
それ自体がパフォーマンスアートみたいな感じですね。

糸井
そうですね。池袋の西武百貨店の最上階に現代美術の美術館をつくったのも「それの何がダメなんですか?」と思っていたはずです。そういう「質問返し」みたいなことをたくさんやっていました。「質問返し」なんていう言葉は初めて使ったけど、僕自身がやっていることもそれとちょっと似ています。そういう「問いかけ」を堤さんは社会に対してやっていたんだろうなと。それで勝つこともあったんですよね。

山口
失敗や成功ということを考えると、結局のところ「人間って何のために生きているのか」という話になるのですが、経営者なら会社の業績や時価総額の向上など、何かしらの達成をめざすわけですよね。けれども人も会社もいつかは形が無くなりますから、そのときにはプロセスしか残らない。だからプロセスの大切さ、結果よりも過程がどうだったかということに、もっと目を向けて評価してもいいんじゃないかなと思います。

糸井
僕は昨年、地元の前橋で、本を持ち寄るイベント「前橋BOOK FES」 に発案者として関わったんです。本当にフルに動いて、実際きつかったけれど、ああいうことにチャレンジしないと僕自身が変われなかったとも思うし、初めてのイベントをつくり上げるプロセスは、関わった人たちにとってものすごく勉強になったと思います。イベント自体、収益を上げるようなものではなくて、むしろクラウドファンディングで資金を募ったんですが、そのプロセスにはお金に換えられないものがあったと思っています。(第5回へつづく)

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糸井 重里(いとい・しげさと)
1948年、群馬県生まれ。株式会社ほぼ日 代表取締役社長。1979年東京糸井重里事務所設立、コピーライターとして数々のコピーをヒットさせるとともに、作詞やエッセイ執筆、ゲーム制作など多彩な分野で活躍。1998年に開設したウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」では、「ほぼ日手帳」をはじめ「ほぼ日のアースボール」、「ほぼ日の學校」などさまざまなコンテンツを手がける。「株式会社 ほぼ日」に改称、2017年ジャスダックに上場した。
『インターネット的』(PHP新書、2001年)、『ほぼ日刊イトイ新聞の本』(講談社、2001年)、『思えば、孤独は美しい。』(ほぼ日、2018年)など著書・共著多数。最新著は『生まれちゃった』(ほぼ日、2023年)。

山口 周(やまぐち・しゅう)
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。
著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)、『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』(プレジデント社)他多数。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。