一橋ビジネススクール教授 楠木建氏
楠木氏ご自身が仕事において課題と感じている「確信」と「謙虚さ」のトレードオフ問題に対して、アダム・グラント著『THINK AGAIN』* が提示する処方箋とは。
*『THINK AGAIN 発想を変える、思い込みを手放す』

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「第4回:『確信』と『謙虚さ』。」

※本記事は、2022年7月11日時点で書かれた内容となっています。

『THINK AGAIN』を読み進めていくうちに「じゃあどうすりゃいいのよ……」という気持ちになったのですが、著者のグラントさんはちゃんと「ああ、こうすればいいんだな」というヒントを提示してくれます。

「心配すんな。すべてにおいて固定観念を捨てる必要はない。そんなことできない」。で、どうすればいいかというと、「謙虚になれ」。言われてみれば当たり前の話です。「謙虚さが大切だ」と言われると単なる説教になってしまうのですが、グラントさんの持ち味は、組織心理学の研究蓄積を幅広く参照して因果関係をきちんとモデル化し、結論を導く点にあります。一般に言われる「謙虚さが大切」という言葉の背後にあるメカニズムを本のなかでわかりやすく説明してくれている。

グラントさんは科学的な思考の王道を突き進む。デカルト(※)以来の「分ければ分かる」という論理演繹思考です。普通の人には1つの固まりにしか見えない物事であっても、科学的な視点で俯瞰すればまったく異なる構成概念に選り分けることができる。細かく分けて考えれば理解が深まり、選り分ける前とは違った景色が見えてくるというわけです。

※ ルネ・デカルト(1596年~1650年)。フランス生まれの哲学者、数学者。近世哲学の祖として知られる。

僕自身が仕事で直面しがちな問題は、「確信」と「謙虚さ」のトレードオフです。確信がより強くなると傲慢になり、知的柔軟性にとってカギとなる謙虚さが失われる。でも謙虚過ぎると自己肯定感が低くなり、自分の思考に確信が得られない。すぐに考えつくのは、「トレードオフなんだからバランスを取らなきゃ」という発想です。シーソーのように、確信と謙虚さの均衡点がどこら辺にあるのかを探る。でもそうじゃない、とグラントさんは言います。

グラントさんによると、確信にはまったく異なる2つのタイプがある。1つは「自分自身」に対する確信。もう1つは「自分のやり方」に対する確信。自分自身を信頼することは大切である。ただ、それは自分のやり方を確信しているというわけではない。だから、謙虚であることが自分自身への信頼を抑制することにはならない。そもそも自己信頼を失ってしまうと不安で仕方がないので、何もできなくなる。ただ、2つの確信の両方とも強まってしまうと、独り善がりの思い込みに陥ってしまう。

グラントさんの結論はこうです。「自分自身に対する充分な信頼を持ちながら、自分のやり方に対してははつねに自問する謙虚さを持て」。まさに「分ければ分かる」の好例です。

グラントさんの主張で一番なるほどと思ったのは、「自分の意見や考えを、自分のアイデンティティとは分けるべきである」。普通、人は自分の信念や信条で自分を定義しがちです。しかしグラントさんによれば、信念や信条というものは永続的な価値観とは違う、似て非なるものだと。だから、「自分はだれなのか」というアイデンティティを問うとき、実は今の自分の信念ではなく、自分の価値観を問うている。これは、人生の中核となる原理だと。

お医者さんだったら、人の健康を守る。教師であれば、生徒が学べるように喜んで手助けする。警官であれば、安全と治安を守る。これがアイデンティティ、価値観です。信念とは、あっさり言えば、それを実現するためのやり方だとグラントさんは定義します。

学ぶという行為は自分の信念を肯定するためのものではありません。信念は、だんだんと進化していくものです。革命のようにあるとき丸ごと全部変わるものではありません。もし「革命」が起きたとしたら、それは何の信念も持っていなかったということです。つまり、「考え直す」とは、アイデンティティを変えていくのではなく、信念を進化させていくということを意味しています。

ここで、僕の問題、確信と謙虚さのトレードオフがほどけます。裏を返すと、知的柔軟性を高めるには、実は強固なアイデンティティが不可欠だということです。しかしそれは信念ではない。

この考え方は、この連載でも何度かお話ししてきた教養の定義と軌を一にしています。教養とは自分の言葉、自分の考えで得た自分の価値基準であって、博識であることが教養ではない。それと同じように、ある時点における自分の信念と、ずっと持ち続けてきた自分の価値基準とを区別して思考できれば、謙虚に他者の見解を受け入れ、信念を進化させることができる。『THINK AGAIN』は、非常に優れた教養書でもあります。ぜひ読んでみてください。

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楠木 建
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。

著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

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