一橋ビジネススクール教授 楠木建氏
今月のテーマは、楠木氏が監訳した『THINK AGAIN』* 。組織心理学を専門とする著者、アダム・グラント氏が提唱する、世の中の認識とはまったく異なる理想のリーダー像について語っていただいた。
*『THINK AGAIN 発想を変える、思い込みを手放す』

「第1回:『考え直す』行為を、考え直す。」はこちら>
「第2回:『知的柔軟性』のジレンマ。」
「第3回:トータリタリアン・エゴ。」はこちら>
「第4回:『確信』と『謙虚さ』。」はこちら>

※本記事は、2022年7月11日時点で書かれた内容となっています。

「リーダー」と聞いて多くの人がイメージするのは、非常に明確かつブレないビジョンを持っている人。あるいは、どんな困難に直面しても自分の信念を忠実に実践し、乗り越えていける人――そうした意味での「強さ」がリーダーにとって不可欠であるというのが一般的な認識です。自分の考えをちょろちょろ変えたり信念を引っ込めたりするのは「弱さ」の表れであって、それはリーダーとして失格だと考えられています。

『THINK AGAIN』の著者、アダム・グラントさんは、こうした暗黙の前提に疑問を投げかけています。もちろん、知識はあったほうがいいし、それを十全に使いこなせる知性も有用ではある。実際、知識を持っている人のほうが複雑な問題をより効率的に解くことができる。ですが、実はそれ以上に「考え直す」能力が重要だというのがグラントさんの主張です。自分の考えを変えることを、「弱さ」ではなく「知的柔軟性」と捉える。ここに思考能力の本丸があるということです。

本の中でグラントさんはさまざまなエピソードを紹介しています。例えば、Amazonを創業したジェフ・ベゾスさんは「自分の考えを頻繁に改めなければ間違えることも多くなる」とおっしゃっている。グラントさんに言わせれば、こういう姿勢が知的柔軟性の表れです。「考え直す」とはどういうことなのか。なぜ「考え直す」ことが大切なのか。思考の柔軟性を獲得するためにはどうすればいいのか。こうした問いに対して、心理学の研究成果に基づいて答えを導き出しています。

なぜ「考える」ことよりも「考え直す」ことのほうが難しいのか。そこには心理学で指摘されている2つの認知的バイアスが存在します。1つは、自分が予期するものだけを見ようとする「確証バイアス」。もう1つは、自分が見たいものだけを見ようとする「望ましさバイアス」。どうしてこれらのバイアスが生じるのかと言うと、結局のところ人間にとってラクだからです。人間というものは、認知において倹約家です。「再考すべきかな……」と思うこと自体を節約する。これ、人間の本性だと思うんです。思考において「ラクをしたい」と思うのはだれにでも見られる傾向です。だからこそ「考え直す」という行為は難しい。

さらに厄介なのは、思考能力があるからといって思考の柔軟性があるとは限らないことです。ある研究によると、知能指数が高い人ほどより早くパターン認識ができてしまうので、かえって既成概念にとらわれやすくなる。ということは、頭の回転が速い人ほど信念を改めるのが難しくなる。思考力と柔軟性とは別物というだけでなく、むしろ思考力がある人ほど思考の柔軟性を失う――トレードオフの関係があることをグラントさんは指摘します。

普段身体をガンガン動かしている人ほど、身体の柔軟性は高いはずです。トレーニングを一生懸命している人ほど、その前後にストレッチを入念に行うものです。でも思考の場合は違っていて、普段頭を使っている人ほど思考の柔軟性が低下していくという成り行きになる。知性がある人ほど、自分の獲得した知識を大切にする。物事に対してハッキリとした見解を持つ。これがその人にとっての信念として形成されていく。

ある意味、仕事も生活も自我の一部になってしまっている。自分にとってどうでもいいことだったら、自分とは異なる見解に対してオープンな姿勢を持てるはずです。ところが、自分の信念が問われる話題になると、エゴが出てきてしまう。先ほどの「確証バイアス」「望ましさバイアス」が強く働くので、自分の信念を脅かすような知識や情報を、無意識のうちに門前払いしてしまう。結果、再考するのが難しくなる。

単に「知的柔軟性を獲得しましょう」と言うのは簡単ですが、実は人間にとって本質的に難しいことなんだというのがグラントさんの認識です。人間の本質を突いた視点です。(第3回へつづく)

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楠木 建
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。

著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

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